何かが間違っていたんじゃない、だから結果を受け入れられない | まつろぐ

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いろいろ

18歳で発症することが衝撃。悲しみより、ええ!が最初に吐き出した息とともに出る。スマホのネットニュースの小さな活字を拾った直後のことだった。

それがトップスイマーの池江さん。

血も縁もないわたしごときが発信すること自体、どうかと思うほど世界的なアスリート。

病気については義父が患って闘病していた。ほどほどに知っているけど、彼女は若干の年齢。励ます言葉はかけられない。彼女の境地に立ってそれを聞くと違和感を覚える。

 

なんでここで池江さんの事を書きたくなったのかな?
彼女が中学生、ようやく頭角を現す頃だった。素足のように飾りっけのない天真爛漫な毎日を報道で見たのだよね。まだからだが細く、どうやってスピードを得てるんだろう、不思議なスイマー。

数年後、来年に迫る東京五輪の顔となった今、この病気である。

持ってゆく場所のない焦り、怒り、悔しさ、泣きたい。どこほじくっても楽しくない入院生活。どんな言葉がかけられるってゆうのかな。

信じて無言で祈るだけです。きっと大丈夫。

 

ひとつ心配なことがあるんだが、杞憂に過ぎればいい。

間違いなく池江さん、スイマーとして戻る日を夢に見て治療をしている。それが自然だとまわりのみんなは思う、期待しているに違いない。池江さんだからできる、治る、復活する。
それが重荷になりはしないだろうか。治療のモチベーションに変わると良い。治療の負荷になって欲しくは無い。また、笑顔で健康で、泳がなくても泳いでいても、彼女らしい生活が戻れば良い。それがすべてなのだ。