おねフェア1巻~ダメ小学生恋をする~に作者がなぐさめられた理由。
10年間続けたお願い!フェアリー。略して「おねフェア」
最終巻が23巻だから、22巻あたりから、最終巻までの執筆と新シリーズの立ち上げを同時にやっていた。
おねフェアはするする行くのだが、新シリーズがどうにも上手くいかない。
集英社みらい文庫から出している「君約」の最終巻もあり、その続編の「スターになったらふりむいて」略して「スタふり」もあり、この状態で新シリーズを立ち上げるのは、できるひとはできるけど、自分には無理。
何より10年間続けたシリーズの最終巻を想いこめて書きたい気持ちが勝ってしまい、新シリーズを考えることは一度やめてしまった。
そしておねフェアが終わった。いい最終巻ができ、めでたしめでたしとなった。
年が明け、仕事はスタふりだけになった。時間があまった。口をあけてぼーっとしていた。
映画やドラマだと、ここでいいのが思い浮かぶのだが、そうはうまくいかないのさ(笑)
鬱々とする日々が流れ、毎週聞いているラジオ番組をきこうと、radikoを開いた。
たまたまある曲が流れてきた。
「いける」と確信した。「いける」というのはその曲のことでもあるし、自分がそのとき、思いついたアイデアでもある。
書きあがったものは、ちょっぴりおねフェアに似ていた。
送ったら、そのまんまもろもろ進んでしまった。
調子にのって、もう一つ企画書を作った。もう一度ロングシリーズをやるなら、これだと、すごく笑えるタイトルを思いついたのだ。
ハイスクール奇面組みたいなふざけたタイトルやめてほしい!と反対される不安もあったが、「みずのさんらしくていい」と通ってしまった。
わたしはこの「みずのさんらしい」って言葉を反芻した。
さらに調子に乗って、10年間読者からお手紙をもらい続け、ちょっと気になることがあり、「こういう本はどうでしょう」と文字にしてみたら、協力者が出てきてくれた。
この段階になって、自分がなんで空回りしていたかに気づいた。
おねフェアの最終巻を書きながら作っていた新シリーズは、どれもこれも、おねフェアとはちがうものだった。
おねフェアとはちがうものを、みずのまいらしくないものを作らないといけないと大きなかんちがいをしていたのだ。
自分はおねフェアが終わったら、作家人生の第二部がはじまる。
そこはおねフェアとはつながってはいけないと、なぜか思い込んでいた。
実際はおねフェアあっての第二部で、おねフェアとつながっていないとどうにもならんのだ。
もっと早くきづいていれば、今頃、新シリーズの1巻が発売されていたかもしれない。
けど、わたしはせこいので、今発売じゃなくてよかったのかもと、自分で自分に巧みな言い訳をするのであった……。
そんな自分にぴったしのフェアリーの言葉があった。おねフェア1巻、デビュー作のP114。
自分の作品に慰められた。フェアリー、ありがとう。(付箋の意味はひみつ)
↓↓↓現在発売中。続きは6月末発売。