この頃なんでも「平成最後の」が頭に付きますが、^^;
今日8/15も「平成最後の」終戦記念日。
平成という一つの時代が終わる今年の夏は、
いつもに増して、先達が生きてきた歴史と
しっかり向き合う意味が大きそうです。
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
少し前の新聞に、
「いま子どもたちは」というシリーズがありました。
その中に、「東大生の寄り道」と題された数回があり、
同大の「フライ・プログラム」に手を挙げた男子学生さんが
取材されていました。
(東大の赤門)
「フライ・プログラム」とは、
大学を離れて1年間自主活動をするというもの。
(詳しくはこのリンクをご覧ください。)
彼はこの制度を使って、ちょうど戦後70年の
広島や長崎、沖縄の資料館などを巡り、
専門家や当時の様子を知る人たちに話しを聞きました。
戦争から遠く離れた世代が、
しかも苦労して合格したであろう東京大学を自ら離れて
先人たちを訪ね歩く。
彼をこの行動に駆り立てた訳は、
実家の蔵に眠っていた古い手紙や日記。
浪人中に偶然、
戦前・戦中の若き日の曾祖父母が書いたものを
見つけたのだそうです。
丁寧な旧仮名遣いで記された手紙は、
曾祖母が旧満州にいた曾祖父に宛てたもの。
(「満州」と呼ばれた地域。Wikipediaより)
そこには、田んぼの様子や、
まだ幼い娘(=彼の祖母)が元気でいることが
綴られていました。
また曽祖父の日記は小遣い帳も兼ねていたようで、
たばこやあんみつを買ったなんてことが書かれていたそうです。
大学生の彼は、古びた冊子や手紙の中に、
今生きて呼吸している自分と変わらない何かを
感じたんですね。
仏間の写真でしか知らなかった
ひいおじいさん・ひいおばあさんが、
すぐ隣にいるような気になったのかもしれません。
「顔も知らない曽祖父が、
自分と同年代の身近な存在に感じた。
もっと戦前や戦中について学び、
当時を知る人に話を聞きたいと思った」
(降伏文書↑[出典:Wikipedia]調印の頃に生きていた人々の
息吹のようなものを感じたんだと思います。)
そこまで古くはないですが、
私にもこんな思い出があります。
世紀が変わって、ほどなく亡くなった祖母。
入院する前に、古い真珠の指輪をもらいました。
(イメージ)
高くも希少でもない、
恐らく宝石としての価値は皆無の一粒真珠の指輪。
しかしそれは、祖父がまだ十分稼げなかった若い時に、
それでも祖母に贈ってくれたものだったそうです。
それをなぜか私に譲ってくれました。
ただ、元々アクセサリーは付けない方なので、σ(^_^;)
もらって長い間忘れていて、
それでも時々引き出しを見ては、
「ああ、あるな」と確認はしてました。
しかし後年、私自身が命の危機に陥り、
そこを脱して「もう大丈夫」ってなった時、
なぜか、その指輪がなくなってたんです。
持ち出すのは私しかいません。
どこかにつけて行った覚えもない。
それなのに、いくら引き出しをひっくり返しても、
天に昇ったか霞と消えたか、見つかりませんでした。
そして、今もって出てきていません。
まるで“身代わり”になってくれたようです。
(奈良のならまちには「身代わり申」というおまもりがありますが、
まさに“身代わり”になってくれたのかもしれません。)
日本には古来、
長い年月を経た道具などに神や精霊(霊魂)などが宿る
「付喪神(つくもがみ)」という考え方がありますが、
今思うと、祖母は、何をやらかすか分からん孫娘(・・;)を案じて、
自分の代わりに持たせてくれたのかも・・・って
しみじみ思います。
そんな古い記録・モノや人に思いを馳せること。
この夏は少し意識して行ってみられてはいかがでしょうか。
小学生や中学生のお子さんをお持ちの方なら、
一緒に古老のお話しを聞いて歩けば、
オンリーワンの「自由研究」にもなりますしね。(^_^)/
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