私も職業柄、“状況・人間観察”をする方ですが、
駅弁一つでここまでできるか?と言われると、
ちょっち自信ないな~・・・
と思わせてくれた新聞のコラムがありました。
ひょっとして今、「駅弁でぇぇぇ?(^0^;A」と思われた方、、、
いらっしゃいません?
こういう観察眼とか思考の深め方って、
実は仕事にとっても必要だと思うんですが、
いかがでしょうか?
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
それはフリーライター・武田砂鉄さんが
日経MJに連載されてるエッセイ「そもそもそれって」のある回。
タイトルは「駅弁のタイミング」。
書き始めはこうです。
「東京駅から新幹線に乗ろうとすると、
おおよその人が駅弁を手にぶら下げているのだが、
注目すべきは食べ始めるタイミングである」。
武田さんによれば、食べ始めるタイミングは3つ。
①すぐに食べ始める派
②品川駅過ぎるまで待つ派
③新横浜駅過ぎるまで待つ派
武田さん自身は②の「品川駅過ぎるまで待つ派」。
その訳は、
「東京駅で乗り込んだ途端に食べ始めると、
駅弁に集中し始めた頃に品川駅からの客が
入り込んできて、荷物をあげたり、
手刀を切りながら多くの席に入ろうとしたりする。
(ということは、いつも通路側に座るんだな、
この人は・・・。)
『ほほう、シウマイ弁当ですか』
などとのぞき込まれている気もする。
いずれにせよ、私と駅弁、というコミュニケーションを
阻害する要素があまりにも多過ぎる」から。
ただ一方、自分が「待つ派」なもんで、
すぐ食べ始める人の気持ちを知りたいと、
友人に「なぜ?」と聞いてみたりもされてます。
その友人曰く、
「駅弁を膝に置いて、本当は食べたいのに、
みんなが乗り込むのを待ってますって感じが、
いかにもダサい」から。
これを「(自分にはない)新しい見地」だと面白がる。
そして、
「図星である。
東京・品川間は、食べるのを楽しみに待っている感じが、
あちこちでダダ漏れになっている。
確かに『すぐに食べ始める』派に切り替えた方が
いいのかもしれない」
と考え出し、ふと件の友人に、
「そのうち、駅弁買ったのに、ホームで食べ終えるように
なるんじゃないの?」と冗談交じりに聞いてみたりもする。
するとその人は「待ってました!」的予定調和で
「あ、食べたことあるよ」と。σ(^_^;)
またまたそれを聞いて一言、
「それはそれで駅弁の概念を覆す別問題なのである」。
う~ん、、、駅弁一つでここまで引っ張るすごさを感じます。
それに見事なオチもついている。
「数日前、ひとまず品川駅に着く直前に食べ始める、
という中途半端なことをしてみた。
少し勇気がいった」。
いかがでしょう?
たかが駅弁、されど駅弁。
日頃何気に買って食べている、
どこにでもあるもの一つを“観察”の契機に、
しげしげ~と眺めて、分析(?)してみる。
そして必要とあらば、
「こんなこと聞いてくだらん奴を思われるかも・・・」なんて
思いつつも、聞いてみる。(=リサーチしてみる)
そして×2、話しを組み立ててオチまで付ける。
どこにでも転がってるものを
見て、聞いて、考えて、
「聞かせられる話し」にする。
この、一見
「なんのこっちゃ?σ(^_^;)」的能力って、
AIの時代の仕事人に真に必要な“人間力”
のように思えました。
えっそんなこと思ってるのはあんただけや、って?
う~~ん、、、そうなんかなぁ。。。
“人間力”っていかに意外な
=「えっ?そこ?\(◎o◎)/」っていうオモロイ切り口
を見つけられるどうかやと思うんやけどなぁ。。。
それこそ、AIにできへんことやし。
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