身内の、特に親の葬儀となると、
いろいろ考えたり大変なことが多いですね。
でも、葬儀社との打ち合わせだったり、
お坊さんの説法だったり、
自宅へ祭壇を作りに来てくれた仏壇屋さんとの会話だったり、
知らないことを知れたり、
思い込みを考え直す機会でもあったりして、
これはこれで貴重かも・・・と思いました。
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
昨日、実家が門徒になっている
お寺の住職さんのことを
「お坊さん然としてないお坊さん」
なんて書きましたが、(^-^;
「お坊さんらしくない」がゆえに、
説法も分かりやすく心に残る話でした。
中でも、「お清め塩」についての話には
「そうだよな」と思いました。(*゚ー゚)( 。_。)
式のあった会館の入り口には「お清め塩」のかごがあり、
「ご自由にお持ちください」と書いてあったのですが、
住職さんはそれに触れ、
「お持ちくださっても、そうでなくても
どちらでも結構かと思います。
でも少し考えて頂きたいのですが、
故人様は、できればお別れされたくなかった方、
いつまでも一緒にいてほしかった方ですよね。
そんな方が、お亡くなりになったというだけで、
塩で清め、身辺から離さなければならないって、
どうなんでしょう?
故人様は身をもって、
元気で活動していた人が年を取り、衰え、
やがて死んでいく様を見せてくださった。
そんな方に
塩をもって報いるのが良いことなのかどうか」と。
考え方の違いもありますし、
あくまで判断は一人一人に委ねた形にされましたが、
言われてみれば確かにそうだな('◇')ゞと。
それからこんなふうに続けられました。
「若い方(小学生・中学生・大学生の親族がいました)は、
人生の終わりなんてまだまだ考えたこともないでしょう。
反対に、それなりのお年の方は、
感慨深いものがおありになると思います。
だからこそ、先に生まれた者は、
後に生まれた者に対して、
自分の生き様をさらすのが役目」。
(若い子たちは精進落としのお膳を食べないからって、
代わりにこんなのを食べてました。^^;)
その言葉の意味を実感したのが、
出棺~斎場~お骨上げの時でした。
孫たちが祖父の骨を拾う。
数時間前まで人間の形をしていた人が、
煙と共に天に昇り、
今度はお骨となって目の前に現れる。
これって最高の教育だな、と思いました。
核家族化や少子化の中で、
子どもたちが人の生老病死
~かつては家の中に当たり前にあったこと~
に触れる機会って少なくなりましたから。
父が最期に身をもって教えていってくれたこと、
きっと孫たちの心の奥に残ったと思います。
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