週末はいかがお過ごしでしょうか
最近、新年会とかデートとかでコース料理を食べる機会が多く、食に恵まれていました
とりわけチーズフォンデュのコース料理はチーズ尽くしでとても美味しかったです
スティック野菜のチーズフォンデュやカマンベールチーズのアヒージョ、トマトチーズ麹もつ鍋、
最後はその鍋にご飯を入れてリゾットにして食べました
デザートは豆乳レアチーズケーキで最後までチーズ満載でした
チーズ好きには最高でした
さて、今回はイライラを鎮めてくれる本を読みました
体調もありますが、自分の思い通りにならないとイライラしてしまいます
そもそもその時点でイライラの種を持っていることがわかります
他人に「人格」という幻を見出す習癖をなくすことは非常にチャレンジングですが、
得るものは多そうです
他人を頼ったり、期待したりしてしまいますが、ロボットと思うのがいいのかな
充分な集中力と、平静さと観察力を鍛えながら、
己の思考・見解が自動生成するありさまに気づきを向け観察してみること。
そうするなら、この刺激も考えも、脳の各所で自動生成して送信されてくるにすぎず、
私の作品でも私のものでもないから、ドウデモイイヤー、と力を抜いてスルーできるようになるでしょう。
思考に先回りすることはできず、意識の座ができることは、
①客観的観察、もしくは②「私がやっている」と勘違いすること。
すべて勝手に自動生成していることが見えるからこそ、「私」が存在する、という錯覚を崩せる。
無我、全自動の気楽さがある。
思い通りにやり取りが進まないと気がすまないという業を積んできた店員が、
思い通りにいかない出来事に触れたことで苛々するというのは、
手から放したリンゴが下に落ちるのと同じく必然的なことです。
つまり、店員さんには選択肢は全くなく、機械的に苛々しているだけです。
そして理不尽な扱いを受けるのは許せないという業を積んできたお客が、
店員に苛立ちをぶつけられたら怒るというのも、必然的かつ機械的な反応です。
そこに人格的自由なるものは見出せず、ただ単に風が吹いて木が倒れたり、
手から放したリンゴが落ちるのと、同じことです。リンゴが落ちて割れたり汚れたりしたとき、
リンゴに対して「なぜ落ちるのか、許せん!」と怒るなら、その人は間抜けということになりましょう。
人的現象も、それと同じように観察してみることです。そうしたなら、理不尽なことをぶつけてくる人も、
怒鳴ってくる人も、「自然現象と同じで、因果律に従って物事が起きているだけよなあ」と分かります。
つまり、機械やロボットのようなもので、機械的な情報の入力と出力が起きているだけ。
ロボットが誤作動して私たちにぶつかってけがをしたとしても、ロボットに対して怒る気にはならないでしょう。
入力と出力の必然を観察することにより、他人に「人格」という幻を見出す習癖をなくしてしまえば、
自分までそれに反応して怒ったり苛ついたりすることもなく、他人の問題点は気にならなくなるのです。