キュウリ馬の脚はつまようじにしてしまったので、脚力に問題があるかもしれない(・∀・)
おじいおばあのお家でお盆ごはん(・∀・)
おじいがガレージにおったので、呼びに行った。
夏の日差しを受けて暑そうな、おじいの背中であることよ(・∀・)
「おじい、ごはん食べよー」って言ったら、きょろきょろする(・∀・)
私が背後にいることにも気付きにくくなった(・∀・)お年を召した祖父。
「ほら、おまえらん写真、まだまだあるぞー。ここに入っとーけのぉー(・∀・)ノ*」
と。おじいは私たちが小さかった頃の写真を見返しておって、なんか少し泣けた(*゜∀゜*)
昨日から思っていたのだが、「今だ」と思って訊いてみた。
『じいちゃん。ひいじいちゃんは、どこに戦争に行っとったん?』
そしたら、ガダルカナル島だと教えてくれた。
昨日見たテレビのやつだ。と思って、『あー…(・∀・)』と、なんだかぽかーんとした。
ビルマのね、話は聞いていたんだけど、それは1941年のこと?みたいで、その後にまた戦地に行かされたってことなのかなーって思って、大変だったろうなぁと思ったのです。
で(・∀・)
じいちゃんは悲しいことを思い出すかなぁって思ったんだけど、色々話してくれてね(・∀・)
もう、こっちがびっくりしてしまうくらい、昔のことはよく覚えているみたいで、たくさんの話を聞いたのさ。
テレビで見た川口支隊に配属されていたそうで、テレビ番組を見ていなかったら全然話が分からなかっただろうけれども、今回はおじいの話のほぼ全てが理解できた。
山があって、そこを越えて、飛行場があっての~…って、おじいが話すのを聞いてると、とても介護認定を受けてるとは思えない口調でね。
しかもおじい本人ではなくて、お父さんがそうだったというのに、自分のことみたいに話しててね。よく見るとうっすら涙が浮かんでおって、『あー…やっぱり、悲しみが消えるわけないんだなぁ…』って思った。
おじいが言う山っていうのが、血染めの丘?という一帯らしくて、それを聞くだけでも、どんなに悲惨な場所だったかが分かるというか…。
今までそこまで真剣に関わってこなかったのに、おじいの話や目を見ていたら、あの焼けてしまった古い写真の軍服姿のひいおじいちゃんと間接的に話が出来たようで、戦争のことをすごく身近に感じた。
献花は市内でも行われてるってことをおじいに教えてもらえて、「私みたいな一般人でも、誰でも会場に行っていいの?」って訊いたら、いいんだってさ。
今度日にちを教えてやると言われた(おじいそういうの詳しい)ので、今後ね、行ってみたいと思った。
おじい、話の中で、一切『戦犯』という言葉を使わなくて、違う言い方をしてた。それが分かって、「国の指示で戦ったのにね」って言ったら、「そうやの。」って言ってた。
戦いたかったわけじゃないのになぁーって、すごく思った。
ひいじいちゃんは、人に慕われるすごく優しいひとだったらしいの。
会って、話してみたかったなぁ。
またね(・∀・)ノ!