Nastro azzurro

思いつきで書いていきます。ビールとは関係ないです。

1989年夏の旅行記(その2)

2020-01-07 | 旅行の話
初日、当時は関空もなかったので、伊丹空港から北京へ向けて出国です。
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(1989年)
7月16日
この日本人のような人々は皆 中国人らしく…
結局、乗客は20人、日本人3人くらいか?
座席はどこに座ってもよいということになった。
天井から水漏れするし、サービスはどこまで良いかわからないし、少々心配である。
16:00機内食 早い。無愛想。日本式サービスが過剰に思える。

空港に着いたら銀行が閉まっていて困ったもんだ。
売店やら国内線売り場やらいろいろたずねたが、結局×
タクシーの運転手に世話になることになってしまった。
タクシーにはあまりのりたくなかったのに。

北緯飯店 まあまあ。

明日、長城へ行く。


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この当時の中華人民共和国のナショナルフラッグであった「民航」にのって、伊丹空港から北京空港に至った経緯を
書いていますね。 空港の「両替所」がことごとく「閉まっていた」ので、到着後、いろいろと尋ねまわって、それでも結局、両替ができなかった思い出が
蘇りました。必死でしたねwww
時代だからですが、なにせ、往路航空券とトラベラーズチェックだけ持って、北京についたわけで、もちろんその日に泊まるホテルの予約もありません(外国人が事前に予約するにはChinaの国営旅行社手配にしなければならなかった。だが学生にとっては価格がかなり高いのでそれはしないということが多かった。)クレジットカードも当時の現地ではほぼほぼ使用できない。 最後のほうに書いている「北緯飯店」というのはホテルの名、これは空港の案内所で聞いたところですが、でも予約は取れていない。その状況でタクシーでそこへ行ったわけです。

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(続く

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