カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

アメリカの醜聞444 スーパーに鹿が

2020年02月20日 07時58分19秒 | 海外

アメリカの店に鹿が乱入 


米のスーパーに珍客 店内パニック、子ども大興奮!:テレ朝 2020/02/17 19:01

米のスーパーにシカが闖入 居合わせた子どもは大喜び:アフロ 2020/2/19(水) 16:31  


鹿には馬鹿(ばか)などの話が多いのですが・・・・


学問のない馬鹿なら恐くはないが、なまじ学問のある馬鹿ほど始末に負えぬものはない。・・・・ 将軍の命令とあらば、それがどんなに非常識きわまりない政策でも、諫言(かんげん)する者もなく、実行に移されていった。そして将軍をロボット化し、その陰で柳沢吉保のように私腹を肥すものがあらわれたのである。:樋口清之「逆・日本史2」祥伝社

現代では金正恩~文在寅~トランプという「裸の王様」ですが、その側近にもそれを利用しようと保身をはかる人たちが無数にいます(笑)。 


家康は、賢い大名を目の仇にして・・・・したがって、大名はまったくの馬鹿でも困るが、利口ならなおさら困った利口と馬鹿の中間で、少し抜けたくらいがちょうどよかったのである。・・・・

大企業のトップに求められる最初の要件は「才能よりも人柄」とされ、「彼は才能がありすぎて社長競争に負けた」などという言葉をよく耳にするが、これなども、江戸時代の大名に求められる資質を、明治以降もわれわれ日本人は無意識のうちに受け継いできたからだといえる。:樋口清之「逆・日本史2」祥伝社

保身する「賢い人」には、「自分は賢くない」という演技が必要で、従順を装い、また上司もそれを知っているという「日本式経営システム」でした。経営者の悪いクセ「意向に沿わない人を閑職に追いやりたがる」を逆手にとったものでしょうか。

この逆で「賢くない人が賢いふりをして出世街道を駆け抜ける」のが現代版経営らしい。

賢くないふり、賢いふり」は、いずれも見た目よりは深刻で、「大変」という言葉では表しきれないようです。 


五木寛之「韓国では、何でも大衆とつけば、頭から馬鹿にされるお国柄ですからね」:岡野弁「演歌源流・考」学芸書林 

いい悪いは別として、代々の老舗が韓国(朝鮮半島)に存在しなかった意味が分かってきました。

「大衆を馬鹿にする国是」を逆手に取ったように見えるのが文在寅で、選挙の荒波を受けない「市民団体」を優先したり、「国民請願制度」を2017年8月17に設置しました。しかしそれらにはすべて、国を恣意的に操作する目的があったのですね。みんな失敗しておりますが・・・・ 


三都名物

(江戸)武士鰹 大名こうじ生いわし、茶店むらさき 火消し錦絵

(大坂)橋に舟 お城芝居に米相場、総嫁あげやに 石屋植木屋

(京都)水みぶな 女はぶたいみっしゃばり、寺に織り屋に 人形焼物

奈良大仏に 鹿のまきふであられ酒、春日灯籠 町の早起き

奈良では鹿を殺すと厳しく罰せられたので、朝早起きして家の前で鹿が死んでいないか確認する習慣がついたらしい:桂米朝「鹿政談」

このあと「早起きして自分の店の前で鹿が死んでいるのを発見すると、そっとまだ休んでいる隣の店の前へ移動させる」と笑いを誘っております。

今では少し意味がわかりにくいのもありますが・・・・

    • むらさき:全国にある「醤油~たまり」のことか
    • そうか :総嫁は江戸時代の上方で「路上の売春婦」
    • あげや :置屋のことか(近年では串カツ揚げ屋か)
    • まきふで:巻筆のことか
    • あられ酒:鹿醸造(今西清兵衛商店)が老舗  

ペーレウスの子(アキレウス)は、それからまたもや、容赦ない言葉でアガメムノーンをののしりつづけ、いっこう怒りを抑えようとしなかった。

「あなたは、酒びたしで重くなってて、顔といったら(恥知らずな)犬のよう、心臓は鹿(みたいに臆病)な男だ」:ホメーロス 「イーリアス」世界文学体系1  筑魔書房  

アキレウス(ラテン語では「アキレス」)とは、ホメーロス「イーリアス」のギリシア神話に登場する人物のようで、「臆病」の代わりに「鹿の心臓」と言っています。


蘇我氏が645年の大化改新の前のクーデターで滅んだといわれるが、滅んだのは蝦夷(エミシ)、入鹿(イルカ)の家であり、蘇我氏全体が滅んだのは、672年の壬申の乱であり、クーデターから壬申の乱まで3人もの大臣を出している。:井上満郎「古代豪族と朝鮮」 


蘇我氏はずっとありましたが

  • 最後の3代:蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿
  • 645年:乙巳(いっし・おっし)の変 蝦夷・入鹿死亡
  • 672年:壬申の乱で蘇我氏全体が滅んだ

とされています。  


一句:猿丸をまねて奥山踏み入るも 鹿見つからず秋は悲しき

本歌:奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋は悲しき

      本歌は小倉百人一首にある猿丸大夫の作でした 


さてさて、皆様はどう思われますか。


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