こないだあったとある事を友だちに話したら、言われました。
そんなに善行を積んだらきっと自分に返ってくるよ、と。私に返ってこなくても、子どもたちに返ってくるよと。
現世で私が善行を積んだら、極楽浄土に行けるでしょうか。ところで、極楽浄土って何するところなんだろね。


極楽浄土、こんなところだべか。

極楽浄土に行けなくてもいいから今が楽しければいいかな。←最低か


ALSの患者さんの事件。
もちろん、罪は罪ですが、それは置いておいて、死ぬ権利は認められないのかと私は思います。
今回問題なのは、主治医と患者という関係性ではないという事、金銭のやり取りという点だと思うのですが、
本人が死ぬほど辛いと思ったから、委託したわけで、安楽死や尊厳死が認められないからこうした事例が起きるわけで。
生きる権利があるというなら、死ぬ権利も与えてくれないだろうか。

昔飼っていた犬を安楽死させました。
もちろん、最初は嫌だと思いました。
でも40キロ以上あった体重が1週間で10キロ減っていく様をみたら、無理に生かすことが果たして彼のためなのか、末期の癌で痛がっているのに押さえつけて我慢させることが彼にとって幸せなのか、それを考えたら、
楽に逝ける、という医者の言葉を信じるしかありませんでした。
そして苦しむことなく、眠るように逝けました。
もちろん自己満足でしょう。私の思い込みでしょう。
彼は生きたかったんじゃないの、と言われたら、違いますとは言えません。
でもこの事が、安楽死=悲惨、残酷なものである、というのは違うんじゃないのか、と思うきっかけになりました。
あんなに安らかに逝けるのなら、私はあまりに辛かったら、安楽死を選びたいと母は言いました。
ちなみに、誤解している方も多いと思いますが、
保健所で命を奪われる子たちは、安楽死ではありません。
窒息死です。私は偏った人なので、自分が飼った犬猫を持ち込んで、どうにかしてくれ、とかいう勝手な人には、自分で機械のスイッチを押させろと思います。自分の手で自分の目の前でやってみろ、と思います。
飽きたからと言って持ち込んでは、次を性懲りもなく飼う人、アホかと言いたい。
因果応報、お前も飽きたから、と言って山に捨てられてしまえ、と思います。
またブラックな偏った私がムクムクと湧いてきました。いけませんね。大人しくしておきます。



来たばかりの頃のきびたん。
この子も一歩間違っていたら、路上で撥ねられていたか、烏に食べられていたか、餓死していたかもしれない。幸運の女神の前髪を掴めたね。


でっかくなってしまいました。
可愛いんだけどどこかブチャイク。
それがきびたんクォリティ✨✨