ネバギバ~再発子宮頸がん闘病記~

ネバギバ~再発子宮頸がん闘病記~

35歳で子宮頸がん(腺癌2b期)と告知された主婦の闘病ブログです。
手術から一年弱、37歳で局所再発&骨転移が発覚。
そしてついに38歳で末期がん宣告!?
それでも決して諦めたくない、あきらめない!
Never give up!!

Anekoことあまねこです。
ブログに訪問して頂きありがとうございます。

35歳で子宮頸がん(腺癌2b期)告知。
2010年12月:広汎性子宮全摘出手術。両卵巣と子宮を失う。術後の後遺症で排尿障害と坐骨神経麻痺が残る。
2011年01月:リンパ転移があったため、抗がん剤(シスプラチン&5FU併用)2クール&放射線28回&ラルス3回の追加化学放射線療法治療を受ける。
2011年11月:骨盤内局所再発&仙骨骨転移発覚。
2011年12月:骨転移治療として放射線治療全12回。
2012年01月:抗がん剤治療DC療法タキソテール&カルボプラチン開始(全7クール)。
2012年08月:抗がん剤治療トポテシン開始(全4クール)。
2013年02月:抗がん剤治療DC療法再開(全3クール)。
2013年05月:サイバーナイフ治療開始(全5回照射)。
2013年07月:深部静脈血栓症で肺塞栓になりフィルター留置術を行う。
2013年09月:リンパ嚢胞炎からの骨盤内腹膜炎になる。
2013年09月:再再々発、CT検査にて腹膜播種が見つかる。
2013年10月:腸閉塞になり永久ストマ(人工肛門)となる。
2013年10月:抗がん剤治療アクプラ開始(全3クール)。


術後後遺症で排尿障害になり約4ヵ月間自己導尿生活。
手術から11ヵ月後、骨盤内に2箇所再発そして骨転移発覚…(ノA`)
そして再発から約1年…もうこれ以上使える抗がん剤がなく
緩和ケアを勧められ事実上の余命宣告を受ける。
そこに突如サイバーナイフという希望の光が…。
サイバーナイフのお陰で骨転移は完治するも、がん細胞の猛威は治まらず再熱を繰り返す。
リンパ浮腫になったり血栓が出来たりストマになったり…。
再発して2年、様々な困難が次々と押し寄せるも懸命に生き続けています。
少しでも希望が持てるなら…諦めない。

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初めまして、あまねこの夫です。

皆様方にご報告するのが大変遅くなってしまった事を
先にお詫び申し上げます。

あまねこは、去る5月29日13時51分 家族に見守られながら
永眠いたしました。

大きくゆっくり三回深呼吸した後、とても穏やかな表情で永遠の眠りにつきました・・・。

翌日5/30通夜、5/31葬儀と滞りなく終えることができました。


昨年までの抗がん剤治療が今年に入ってからは
いろいろと身体の事情で無治療状態が続いておりましたが、
4月初めからもう一度サイバーナイフ治療が出来ることとなり、
それを希望に、疼痛コントロールの為に入院生活を送っておりました。

疼痛コントロールも何とか終えたのですが、退院後サイバーナイフ治療目前にして、
右下肢静脈瘤血栓症が酷く、歩くことすらままならぬ状態になり、
4月初旬に入院・・・
血栓は徐々に良くなったのですが、今度は癌性疼痛が酷くなり、
何種類もの麻薬を点滴し、テープも、飲み薬も・・・ありとあらゆる痛み止めを
試してもコントロールが効かず・・・
結局4月末頃、最後まで拒んでいたホスピスへ転院となりました。

転院してからは麻薬の量も格段に減り、少しずつ食事も摂れ
家族ともゆっくり話せる時間が過ごせる様になりました。

まだまだ今よりも元気な時 妻と・・・
「最期の入院は一緒に居てね」と、約束していたので、
と言うより、私の方が一緒に居たかったのですが・・・
4月初から会社に休みを頂き、ずっと妻と病院での生活でした。


2010年11月に癌告知を受けてから3年半の間・・・
妻はいつも、いつでも前向きで
必ず予習をする人でした。
分からない事はとにかく調べる!自分が納得行くまでとことん調べる!
妻いわく・・・「私は弱いから・・・不安だから・・・だから先に知っておきたい」と、
でも私から見れば妻はやっぱり強かったと思います。

とにかく「負けない!」 「一人じゃない!」と言ってました。
これは家族がいたからだけじゃなく、ブロ友さん達みなさんが今まで
勇気を与えてくれるコメントやメッセージを戴いてきたからだと思ってます。
「苦しんで戦っているのは私一人じゃない」とよく言ってました。

今まで 妻(あまねこ)の心の支えになって頂いた皆様方・・・
本当に本当にありがとうございました。

きっと今頃は、先に虹の橋を渡られた方達と
痛みも苦しみもなく、ゆっくりと話が出来てると思います。

妻の様に文面が上手く書けずにただダラダラと
読みにくい文面になってしまい申し訳けありませんでした。

最後に一言だけ・・・

闘病中の皆様方が
少しでも良い方向に向かっていかれる事を
心より願っております。