今日から三連休も。雨なのか
昨日の朝、我がボロマンションの建つ寺の境内で、確かに狸を見ました。
やはり、居た。
狸は私に見られると、まだ遠いのに、さっさと踵を返して隠れてしまった。
そこへ向かうと、狸と同じ毛並みの猫が。
う〜ん。
さっき、あんなに遠くから逃げたのに、ここに堂々と居る訳は無いし、ややこしいな。
境内に住み着く猫は、いつも堂々として、絶対に視線を外したりしない。
狸が化けたのなら、大したもんだが。
いや、まあ、狸は居る。
気になって、検索して画像を見回したが、外来種でも無さそうだ。
次、いつ見掛けるかな。
前の土曜日。
既に死を待つのみの両親を見舞う。
もう、老いるのみかも知れぬ私が。
実家の建つ新興住宅地で、基本同じ世代ばかりの中、周りは既に伴侶に先立たれながらも、私の両親だけ揃っているのは、私が、特別放蕩息子で、安心して往けないからだろう。
でも、もう、そろそろ、流石に、揃って往くか。
私が、孫の顔でも見せられれば、まだ、寿命も延びるかも知れないが
私自身は次の世代に命を繋ぐよりの生きる意味は知らない、思い浮かばない。
もっとも、無意味でも無駄でも、善いかも知れません。
しかし、しかし、もっと死を近付けた医療は、無いものか。
もちろん、ここで何を語ったって、いざ私が、往く時、狼狽えて、鼻水流して泣きながら、医者に、もっと生きたいと、訴えてるかもだが。
いや、もう、だからこそ、周りから、死を突き付ける医療で好いって。
母は老人ホームで車椅子で、父は家の中で杖を突いて、もう、張り切って死ぬしか無かろうて。
毎日、読経して、写経してれば、反って元気で長生きしそう。
坊主 もっと働け
今は、もう、坊主も鼻水流すか
月に一度、京都から、和歌山へ行く感じだが、そうすると、やはり京都は、日本文化の首都かと思う。
それも都会らしく縮んで、味わい強し。
一方、田舎はダサくて足りなくて、間延びしてますが、縮んでないから、水分がある。
こんな言い方をしても、何のこっちゃかな。
いや、でも、しかし、月に一度、観光でもないのに、確かに心に水分を補給してる私。
それから二日後の月曜日。
自転車で買い物に出ると、途中、後ろのタイヤの空気が抜けつつあるのに気付く。
なので、先へ行くのを諦めて、丁度、その近くの駐輪場に自転車を止めて、中古CDを物色へ。
そうして買って戻ってくると、おかしいかな、料金が発生してる。
もう一度、見直して駐輪番号を入力しても同じ結果。
ここで気付いたが、最初の一時間無料が、30分無料に変わってる。
200円也。
傷心で自転車を押して帰った。
昨日は、久し振りに、ネットで中古CDを買いました。
このところ、こんな調子で、雑に中古CDを 買ってます。
あまり期待せずに。
それでも、今回は、下のリンク先で、名前だけ知ったグレン・グールドが、私的に目玉。
https://www.denon.jp/jp/dcdsx1/seigen_ono.html
バッハに始まりバッハに終わった演奏活動らしく、該当の二枚を購入。
とか言っても、バッハなんか何も知らんし。
ここで少し失敗したかもなのが、同じ録音の盤で同じ値段なら、極力新しい物を買うべきだと、考えますが、一方が、4年、古いのを クリックしてた。( 2008年と2004年 )
私の、ささやかな経験では、洋盤と邦盤でも、音質は違いましたし、時間を置いて、邦盤で持っていたのを洋盤の他の作品と併せての3枚組の内の一枚とでも、違った。
前者では邦盤が好み、後者では新しい洋盤が、良い音質だった。
後者の時の間は、4年よりも、もっとずっと、長いけれど。
逆に、同じ作品の異なる盤を聴いて、音質まで同じであったという経験が有りません。
そうして更に、クラシックの巨匠なら、とても安いボックスセットが売ってたかもと、遅ればせながら探したが、丁度のは無くて、けち臭く安心する。
この記事の最後に語りますが、CD選びが雑な理由の一つは、時代が変わりつつ在り、かなりの数が、古ぼけた物に為るでしょうと、思っているから。
それは、戦後体制の終焉。
もう、日本は、敗戦国を続けられません。
今の音楽も、全てでは無くても大好きだけど。
もう、日本風味で、やり過ごす卑怯は、無理。
国境を溶かして、愛と平和を 呼び掛ける夢想も、無理。
香港を見ろって。
それでも、国境を溶かす、平和を愛す、真の愛の使者で在りたいとか、思うならば、あいちトリエンナーレ2019 へ 行ってきな。
そこで感動したなら、貴方は、真の愛の使者の素質あり。
私とは、立場は異なるが、これがリスク分散。
今のところ、あっちが優勢だし。
しかして、この記事を正しく月曜に雑に間違いで買ってしまった、リチャード・クレイダーマンを聴きながら、記すは奇跡か。
今は、曇り空。
これから、パンクの修理。備忘録 九。