超音波システム研究所

超音波の新しい利用に関するブログです

人生観についての明確な自覚

2023-11-05 13:06:39 | 超音波システム研究所2011
人生観についての明確な自覚

人間は誰でも、人生観というものが明瞭でなければならない。

人生観のはっきりと立っていない人は「生ける屍」にひとしい。

しかし、現代の人々は、
どうも人生観の必要さを自覚している人が少ないように思う。



人生観のはっきりとしない人々が、
自分の自覚を失って盲動すれば、
暴力による非合理的な行動にしかならないものであると思う。

例えば、昨今起こった問題のうち、
皮相な問題としては、最大の事件となった、
学生の一部によるゲバルトの問題がある。

これは、まったく学生に、人生観も、
自己の自覚も欠けている結果起こっているものだと思う。

日本人全体としても、
人生観について明確な自覚を持たない人が多いので、
複雑怪奇な事件が起こってくるのである。

人は何としても、
なにゆえに自分は人間として生まれてきたのかということを、
まず自覚しなければならない。

さらに、自覚ができれば、
人間として生まれた以上、
何をなすべきかということをよく考えなければならない。

こうして、
人間は何をなすべきかということがわかってくれば、
人生というものの価値もわかり、
方向もはっきりしてくるのである。

今日、
われわれがその目的に向かって一所懸命に働けば、
明日はどうなるか、
明後日はどうなるかという未来のヴィジョンも顕われてくる。
 
つまり、人生観という
「一条の筋金」がその人間のバック・ボーンになるわけである。

人生観は人間としての筋金である。

いま、かりに学生のゲバルト事件を見てこれをよく考えてみると、
これらの学生諸君は次代の日本を背負う人々であることに気づく。

さらに、あとに続く高校生、中学生の人々が、
先輩の起こしているこういった事件を、
どこまで真実を追って批判し、
評価できるであろうかということも大切である。
 
これらの若い人々をいかに育てるかということは、
教育するわれわれが、
いかに自分を自覚しているかということにかかっている。
 
教育というものは重要中の重要なものであり、
教育のいかんによってその国の興亡は決定されるものである。

この興亡を決定する学生諸君の今日の状況を見て、
次の世が、どういう日本になるかということを考える時、
わたくしは、釈尊が誠説なされた、
「自覚 覚他」ということを皆さんに提唱いたしたい。

すなわち、人生観をはっきりさせ、
自己を自覚しつつ、生活をすることにより、
正しい考えによる「自覚 覚他」というものができてくるのである。

 
人生観というものは、
私たちにとって必要にして
欠くべからざるものであることを熟知していただきたい。




叩けども叩けども……
 
われわれはお互いに罪業深重で、
叩けども叩けども叩きのばすことのできない人間が寄り集まっています。

しぶといしぶとい何といっても
しぶとい煩悩と業の臭いがしみついています。

煩悩は深重、
無明長夜の闇深く暮らしているわれわれです。

しかしとにかく郭然大悟して、
本当の自覚が生まれてくれば、
こういう問題はきわめて簡単です。

しかしどこまでも
我の強い人にはこれはなかなか難中至難の問題である。

こういうことになりますので、
お互いに謙虚な立場になり、
謙虚な態度を持って日常生活の中に仏道を求めなければなりません。

すなわち自我というものに固執しない、執着しない。

自己に執着しない生活というものが
簡単にわれわれの環境の自覚によって生まれてくる人は、
比較的早くこの修行の端緒をえて、
そして進んでまいることができるし、
いつまでも自我に固執して独善ばかりで、
我がいいと思っている人は、
なかなかこれは難中至難である、
こういうふうに説かれています。

そういうことですから、
修行というものは決してむずかしいことではない、
日常生活のなかの、
つまり自覚の問題であるということになります。

日常生活寝ても覚めても、
お互いに自覚して生活をすれば、
実に簡単な問題ですし、
自覚なしに生活をしているというと、
いつまでたっても道は開けません。

こういうことですから、
どうかその点をよくみなさんもご自覚を願いたいと思います。



仏教の人間観
(講談社現代新書 192) 新書 – 1969/6/1
橋本 凝胤 (著)





超音波システム研究所<理念>

「われわれの最も平凡な日常の生活が何であるかを
 最も深くつかむことによって
 最も深い哲学が生まれるのである
 学問はひっきょうLIFEのためなり。
 LIFEが第一等のことなり。LIFEなき学問は無用なり。」
 西田幾多郎

深い哲学に基づいた
 実験(物として物を観察すること)により
 超音波の有効利用を広めていきたいと考えています


 


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