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コロナ始まりの地・武漢日記

2020年11月14日 | エッセー
 今、武漢日記を読んでいる。
 あのコロナが始まった地、武漢の都市封鎖された時の、ある女性作家のブログを1冊の本にまとめたものだ。
 作家であり教授でもある、親戚知人に医者や教授など知識人が多いので、武漢の真の情報を得やすい立場であった彼女が発信したブログは、中国という情報操作の国で、翌日は消去されるということが多々あった。あるいはブログが開設できないという状況に追い込まれたこともあるという。
 日本だったら、何のことはない日常を綴った日記である。
 しかし、中国という国は、違う。
 こんな普通のコロナにまつわる日常を綴った日記が封印されるんだなぁと改めてその封印力にため息がでた。


 『ヒトーヒト感染はない』

 武漢の混乱は、すべてこの言葉から始まった。
 そして、この言葉により、コロナウイルスは加速度を増して世界に広がったと言えるだろう。

 ヒトーヒト感染はあると知っていながら、ないとアナウンスしたのはいったい誰なのだろう?

 著者の知人である武漢の医師たちから届く現場の悲鳴は、ヒトーヒト感染はないという誤報により初動が2週間ほど遅れたことによりもたらされた。ヒトーヒト感染があるという情報さえあれば、その2週間をしっかりウイルス対策をして臨むことができたはずだった。

 都市封鎖をしたにもかかわらず、新感染者が後を絶たない不思議に武漢のお医者さんたちも首をかしげていたという。住民は家から一歩も出られないけれど、食料を調達してくれるボランティアやスーパー関係の人たちからの感染かと書いてあった。医療スタッフなどは、完全防備だが、調達する人たちはマスクくらいしか身に着けていたなったと・・・。
 
60日に渡る一般市民は庭までしか外出できないという封鎖は、武漢市民に相当なストレスを与えたと思う。確か、5月か6月のテレビで、封鎖が解かれた武漢のプールでマスクもせず水着姿ではしゃぐ武漢市民の姿があって、当時、そりゃないだろうというような感覚になったけれど、60日間も庭までしか出られなかった、そして、身内とか知人の死が日常であったという状況だと、そりゃ、あれくらいはしゃぎたくなるだろうなと思った。
 私たちは、真実を知らされないまま情報の切り売りをつぎはぎしながら生きている。
 当事者同士しか批判も同調も共感もできない・・・のに、ついつい偏った情報で物を言ってしまう。

 いけない。いけない。くわばらくわばら。

 中国は、物言う人を抹殺する国というイメージが強かった。
 そういう国で、方方さんのように真実を語ろうとする姿勢で、SNSが消去されても怯まず、発信し続けられたということは奇跡なのではないかと思う。
 もし、コロナが中国以外の国で発生していなかったら、中国の武漢に住む人の日常に触れることもなかった。世界の人もそこまで関心をもたないから、方方さんのSNSはもっと滅多切りにされていただろうし、抹殺のレベルが上がっていたかもしれない。コロナが中国の武漢に風穴を開けてくれたような気がする。

 風通しのいい場所に住みたい。
 風通しをよくするための基本は、当事者の問題は当事者で‥の原則に生きること。

 なのに、人間は妬みや嫉妬や恐れなどの感情がそれよりも勝ってしまった時、突っ込みたい衝動に耐え切れず・・・つまり、それを不幸というのだろうか・・・口をはさむ。

 本人は、正義感のつもりで本気で批判している。でも、当事者でない限り、批判は正義の名を借りたストレス発散でしかない。単に批判したら悪口でサイテーのやつになる。でも、そこに、正義の名がついたときは、ヒーローになった気分になれるのだから不思議だ。
 
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