一昨日の5月2日、悲願のK岳の頂上に立つことができて、ほんとうに幸せだった。
3年前は、5合目でダウン。最後は斜面を一歩登っては休み、一歩登っては休み、這うようにしてやっとのことで5合目に辿り着いた。足は動かないし、息苦しくて吐き気すらした。1時間くらい横になって、やっと回復しての下山。
サンダル履きの20代の女性に追い越され、私たちが休憩している間に、なんと下山してきた。
あの時は、胃を切って3年目で、貧血で、ヘモグロビンが8くらいしかなかった。人の3分の2しか、酸素運搬能力がなかった。酸素が全身に行きわたらないため、呼吸もままならず、足も動いてくれない。
死ぬまでに、富士山に登ってみたいという夢は、本当に夢のまた夢だった。
でも、せめて、K岳は制覇したいという願いは持ち続けていた。
スロージョギングをほぼ毎日25分やり続けていくうちに、貧血な私も、体力がついてきた感が出てきての今回のチャレンジ。
5合目直前が、一番の急斜面で、しんどかったけれど、5合目で5分ほど休憩したら、復活して、足も軽くなり、ついに登頂。
やったー!
最高!
悲願の登頂だー。
なんだろう。
充足感に満たされている。
自分の身体への信頼みたいなものが誕生した瞬間だった。
なんせ、胃を切って7年。いろんな栄養の吸収率は、確実に下がっているうえに、閉経という老化が一気に進む年代となり、おまけに、4年前は右股関節の痛みでトイレまでも行けなくなるという情けない体だった。
しかし、今年の2月に受けた人間ドックで、ヘモグロビンは10.7まで回復した。右股関節は時たま、疼くことがあるけれど、そんな時はスロージョギングをすると疼きが消えてくれるということが体験からわかってきた。老化の象徴である小指大のシミも濃さも大きさも半分になった。残すは、爪のもげやすさだけ・・・。
30分ほど、頂上で、天孫降臨の山々の絶景を拝んで、さぁ、下山。
下山なんて楽勝と甘く見ていた。
いやはや、膝とふくらはぎへの限界に挑戦するという結構ハードな下山となった。
ちょっとでも、気を抜くと、足が笑って転びそう。
膝関節の感覚がほとんどなく、ふくらはぎは疲労でパンパンになっているので、石ころでだらけで、ときどき、雨上がりで滑りやすくなっている土の下り坂を、ただただ、膝がかくっとならないよう、気合を入れることに意識を集中し続けた。1時間、ずっと、集中。
こりゃ、絶対、明日は筋肉痛になるって確信した。
生まれて初めての体験。私の人生で、ここまで、集中して下山するということはなかった。きっと、歳のせいだ。
帰宅して、すぐにお風呂に入った。以前、登山直後に、温泉に入ったら、筋肉痛にならずに済んだ体験があったので。
5分くらいしか湯船につからなかったのに、筋肉痛にならずに済んだ。
帰宅後、疲れも一切なく、普段通りに家事もして12時前に寝た。むしろ、元気になれたような気がする。
不思議だ。
振り返って、K岳の登山は、私に何をもたらしたか。
登山は登るだけでは意味がない。下山とセットだからこそ、見える世界がある。
もちろん、私にとってK岳という負荷くらいの山じゃないと見えてこないかも。息子は、少し、物足りなかったと言っていたので。
登山と下山は、身体の全てを使い切るという点で、すごいなと感動している。
もちろん、登りは、肺と足の筋肉を使い切る。そして、2時間、ハーハー息を弾ませながら、しんどい時は小休止しながら、自分でペース配分して、自分の肺と足の筋肉の限界の一歩手前状態を維持し、ゴールにたどり着く。2時間、血流全開状態が続くってすごいことだと思う。体のすみずみまで、つまり、細胞の1個1個に、血液(酸素と栄養)が行き渡る。普段の生活でこんなことは、まず、ない。
そして、ゴールの景色は、広大に拡がる絶景だ。
解放感がたまらない。
至福の達成感。
よくやったと自分の肺と足の筋肉に感謝する気持ちが自然に湧いてくる。
そして、自分の身体への自信。私の場合は、胃を切っているし、更年期という筋肉がガクッと衰えてくる年齢でもあったので、なおさら。
そして、膝関節とふくらはぎを1時間、限界を超えて、気合という集中力だけで下山する。下山って、無心になれるまたとないチャンスだって知った。
私にとっての、K岳登山は、私の身体の全てを使い切った、出し切ったエネルギー活動だった。
翌日の疲れも全くなく、むしろ、いつもより、元気になれた気がする。
おおげさかもしれないけれど、細胞が生まれ変わったような気がしないでもない。
ひょっとして、しんどい登山は、再生する力をもたらしてくれるのではないだろうか。
1年に1回か2回、いんどい登山をしよう!!
追伸 アスリートって、身体の限界に挑戦する人達だ。
私なんて、その正反対で、体力ないし、体力がないから、運動も全然楽しくないし、身体も不器用だから面白くもないし・・・で、つまり、アスリートの気持ちなんて理解 できなかった。運動=きつい・・・の感覚だったので。ただ、羨ましくはあった。体力があって自分の身体を自由に操れるって、きっと、ワクワクウキウキ幸せだろうなっ て。
でも、どうして、あそこまで、ストイックに体を限界まで鍛えられるんだろうって、不思議だった。しんどくないのかなぁ・・・って。
でも、K岳体験で、価値観が180度変わった。
私にとってのK岳、初めてで唯一のK岳体験が、アスリートにとっては毎日何年もずっと・・・なのだ。カラダは、毎日、リフレッシュしてるってことになる。
こりゃ、人間が違うね。全然、別物じゃない?
見える景色が、まったく違う。
ただ、チームでの競技となると、逆に邪念が増える可能性もあるので、リフレッシュできるのかどうか疑問ではあるけれど。
平成で一番印象に残った人物。スポーツ編で、見事1位を獲得した選手は、羽生結弦さんだった。
彼って、数多くの名言を残し続けている。
3年前は、5合目でダウン。最後は斜面を一歩登っては休み、一歩登っては休み、這うようにしてやっとのことで5合目に辿り着いた。足は動かないし、息苦しくて吐き気すらした。1時間くらい横になって、やっと回復しての下山。
サンダル履きの20代の女性に追い越され、私たちが休憩している間に、なんと下山してきた。
あの時は、胃を切って3年目で、貧血で、ヘモグロビンが8くらいしかなかった。人の3分の2しか、酸素運搬能力がなかった。酸素が全身に行きわたらないため、呼吸もままならず、足も動いてくれない。
死ぬまでに、富士山に登ってみたいという夢は、本当に夢のまた夢だった。
でも、せめて、K岳は制覇したいという願いは持ち続けていた。
スロージョギングをほぼ毎日25分やり続けていくうちに、貧血な私も、体力がついてきた感が出てきての今回のチャレンジ。
5合目直前が、一番の急斜面で、しんどかったけれど、5合目で5分ほど休憩したら、復活して、足も軽くなり、ついに登頂。
やったー!
最高!
悲願の登頂だー。
なんだろう。
充足感に満たされている。
自分の身体への信頼みたいなものが誕生した瞬間だった。
なんせ、胃を切って7年。いろんな栄養の吸収率は、確実に下がっているうえに、閉経という老化が一気に進む年代となり、おまけに、4年前は右股関節の痛みでトイレまでも行けなくなるという情けない体だった。
しかし、今年の2月に受けた人間ドックで、ヘモグロビンは10.7まで回復した。右股関節は時たま、疼くことがあるけれど、そんな時はスロージョギングをすると疼きが消えてくれるということが体験からわかってきた。老化の象徴である小指大のシミも濃さも大きさも半分になった。残すは、爪のもげやすさだけ・・・。
30分ほど、頂上で、天孫降臨の山々の絶景を拝んで、さぁ、下山。
下山なんて楽勝と甘く見ていた。
いやはや、膝とふくらはぎへの限界に挑戦するという結構ハードな下山となった。
ちょっとでも、気を抜くと、足が笑って転びそう。
膝関節の感覚がほとんどなく、ふくらはぎは疲労でパンパンになっているので、石ころでだらけで、ときどき、雨上がりで滑りやすくなっている土の下り坂を、ただただ、膝がかくっとならないよう、気合を入れることに意識を集中し続けた。1時間、ずっと、集中。
こりゃ、絶対、明日は筋肉痛になるって確信した。
生まれて初めての体験。私の人生で、ここまで、集中して下山するということはなかった。きっと、歳のせいだ。
帰宅して、すぐにお風呂に入った。以前、登山直後に、温泉に入ったら、筋肉痛にならずに済んだ体験があったので。
5分くらいしか湯船につからなかったのに、筋肉痛にならずに済んだ。
帰宅後、疲れも一切なく、普段通りに家事もして12時前に寝た。むしろ、元気になれたような気がする。
不思議だ。
振り返って、K岳の登山は、私に何をもたらしたか。
登山は登るだけでは意味がない。下山とセットだからこそ、見える世界がある。
もちろん、私にとってK岳という負荷くらいの山じゃないと見えてこないかも。息子は、少し、物足りなかったと言っていたので。
登山と下山は、身体の全てを使い切るという点で、すごいなと感動している。
もちろん、登りは、肺と足の筋肉を使い切る。そして、2時間、ハーハー息を弾ませながら、しんどい時は小休止しながら、自分でペース配分して、自分の肺と足の筋肉の限界の一歩手前状態を維持し、ゴールにたどり着く。2時間、血流全開状態が続くってすごいことだと思う。体のすみずみまで、つまり、細胞の1個1個に、血液(酸素と栄養)が行き渡る。普段の生活でこんなことは、まず、ない。
そして、ゴールの景色は、広大に拡がる絶景だ。
解放感がたまらない。
至福の達成感。
よくやったと自分の肺と足の筋肉に感謝する気持ちが自然に湧いてくる。
そして、自分の身体への自信。私の場合は、胃を切っているし、更年期という筋肉がガクッと衰えてくる年齢でもあったので、なおさら。
そして、膝関節とふくらはぎを1時間、限界を超えて、気合という集中力だけで下山する。下山って、無心になれるまたとないチャンスだって知った。
私にとっての、K岳登山は、私の身体の全てを使い切った、出し切ったエネルギー活動だった。
翌日の疲れも全くなく、むしろ、いつもより、元気になれた気がする。
おおげさかもしれないけれど、細胞が生まれ変わったような気がしないでもない。
ひょっとして、しんどい登山は、再生する力をもたらしてくれるのではないだろうか。
1年に1回か2回、いんどい登山をしよう!!
追伸 アスリートって、身体の限界に挑戦する人達だ。
私なんて、その正反対で、体力ないし、体力がないから、運動も全然楽しくないし、身体も不器用だから面白くもないし・・・で、つまり、アスリートの気持ちなんて理解 できなかった。運動=きつい・・・の感覚だったので。ただ、羨ましくはあった。体力があって自分の身体を自由に操れるって、きっと、ワクワクウキウキ幸せだろうなっ て。
でも、どうして、あそこまで、ストイックに体を限界まで鍛えられるんだろうって、不思議だった。しんどくないのかなぁ・・・って。
でも、K岳体験で、価値観が180度変わった。
私にとってのK岳、初めてで唯一のK岳体験が、アスリートにとっては毎日何年もずっと・・・なのだ。カラダは、毎日、リフレッシュしてるってことになる。
こりゃ、人間が違うね。全然、別物じゃない?
見える景色が、まったく違う。
ただ、チームでの競技となると、逆に邪念が増える可能性もあるので、リフレッシュできるのかどうか疑問ではあるけれど。
平成で一番印象に残った人物。スポーツ編で、見事1位を獲得した選手は、羽生結弦さんだった。
彼って、数多くの名言を残し続けている。