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義理母迷子事件時差ウインウイン

2020年09月05日 | エッセー
先日、モールで恐怖体験をした。
認知症迷子ってやつ。いや、迷子でなく迷婆か?
認知症道半ばの人とは、こういう行動をおこし、こういう言動をするのか・・・と改めて、わきが甘かった自分の判断と行動を猛省している。

教訓1
出かける前に、写メを撮っておく。

教訓2
絶対に離れない。

当たり前のことなのだと思う。
しかし、認知症道半ばの人って、一見、しっかりしている風だけれど、おそらく、脳内はひっちゃかめっちゃかのようで、つい油断してしまう・・・のだ。わかっているのに。


認知症道半ばの義理母が、「暇だ。暇だ。どこか連れてって・・・と三日連続で電話してきた。それで、少し、遠いし、今この時期にどうかなと思いつつも、義理母の体力と認知度を見て、これが最後かもという思いもよぎり、連れていくことにした。

ところが、あともう少しで到着という頃、私に睡魔が襲ってきた。
やっとの思いでモールに到着。
でも、ほんの少し、この睡魔を処理してから、つまり、寝てから、行動したいと思い、義理母にそのことを告げた。

道中、3回はトイレ休憩を促したと思う。でも、大丈夫と言って、トイレに一度も行かなかったのに、到着したとたん、トイレに行きたいという。
え~~~~~、この睡魔を押してトイレまで連れていけない。
義理母の認知レベルはどうだろう?
幸い、入り口近くに駐車できた。
大丈夫かな?

母は、携帯を持っていない。

もしも、迷子になってしまったら・・・と一抹の不安がよぎったけれど、睡魔がなだれ込んでくる。
「トイレは、入ってすぐ左側にあるからね。」と言って、一抹の不安を抱えながらも睡眠の誘惑に負けて横になった。

しかし、帰ってこない。
15分経過。

やばい。

慌てて、モールに飛び出す。
バックがないから、ついでにフラッとショッピングに行ったのではないか?
もし、迷ってしまっても、年だから、きっと、あっちこっちに置いてあるソファーに座り込んでいるはず・・・。
もし、仮に迷ってしまっても、口が達者で社交的な義理母のことだから、きっと、誰かに尋ねる力は残っているはず・・。

などなど、まさかの事態はないでしょうと最悪の状況を回避せんと頭の中がぐるぐる回りながら、足もちゃっちゃかモール内をぐるぐる。

いない。

ソファーにもいない。

かれこれ1時間歩き回ったけれど、姿が見えない。

義理母はどこに行ったのか・・・。

まじ、やばい。

仕方ない。
コールをお願いしよう。

優しそうな素敵な女性が対応してくださった。

そこで、質問。
「今日はどんなお洋服でした?スカートですか?ズボンですか?ズボンは何色でしたか?」

「え、何色だったっけ?」

「上は長そでですか?半袖ですか?」

「え、どっちだったっけ?」

「どんな色ですか?」

「え、ベージュだったけ?」

「帽子をかぶってらっしゃいましたか?」

「え、かぶっていたっけ?」

「お靴は何色でしたか?」

「え、いつものサンダルなら黒かな?」

「バックはどんな色でしたか?」

「え、ベージュかな?」


という感じで、全く持って義理母の今日のコーデを認知していない。
めっちゃ、認知症じゃん。

もう、ほとんど、無難なベージュの世界しか思い出せない。

認知症になっても、外出する時は、お化粧を忘れず、おしゃれにも少し気を使っていた義理母。
肌がきれいなので、めっちゃ、若返る。
しかし、この日は、気合が全然入っていなかった。

そうすると、ベージュの世界の人となるんだなぁ~。とにかく、思い出せない。

きっと、お化粧をしようという意気込みのある時は、人の心にも何かしら、印象が残るものなのかもしれない。

 結果、義理母は、『ベージュの半袖シャツでジーンズ生地のズボンで黒の靴を履いた84歳の〇〇〇子さん』とアナウンスされた。

1時間経過。

4回ほどアナウンスしてくださったが、義理母は現れない。
店内の全スタッフも意識して接客してくださるようなニュアンスでアナウンスをしていただいたが、現れない。
駐車場や倉庫などのスタッフも持ち場で意識してくださる体制になっているということであったが、現れない。

やばい。

4時を過ぎて、スタッフの方が「警察にお願いしますか?」と聞いてこられた。ついに来たか・・・。とにかく、日が暮れぬうちになんとかせねばという思いから、承諾をした。

しかし、30分過ぎても警察の方が来ない。
時間だけが、どんどん過ぎてく。
4時半をすぎて、諦めかけたころ、やっと、警官の姿を発見。
普段は、警察の方が近づくと、緊張感が走る。しかし、この日は、青い制服にめっちゃほっとした。

でも・・・・。

え、おひとり?


そう、たった一人しか来られなかった。
しかも、若い。

大丈夫かな?

たった一人でこの広いモールをどうやって探されるの?

今日中に義理母見つかる・・・かな?
と不安になる。

私としては、店内にいる可能性が低いので、きっと、駐車場で迷ってどこかに行ってしまったのではないかと思っていて、それでは、あまりにも捜索範囲が広すぎるので、多くの人で、あるいは、自転車などで見て回ってもらいたかったのだけれど・・・・。自転車もなく、私と二人で、さぁ、探しましょうと・・。

捜索願寸前の状況だと、人は探し回るだけでも疲労が蓄積していく。しかし、それに加えて精神的ダメージがものすごくて、めっちゃ疲れるということを、体験で初めて知った。椅子に座っているだけでも、マイナスのドキドキはエネルギーを浪費する。
150分、ずっと、最大級のドキドキバクバクが続いているのだ。
もし、見つからなかったら・・・。もし、命にかかわる事態になっていたら・・・・という最悪な事態を想像するだけで、カラダに力が入らない。何をする気にもなれない。
アナウンスの女性は優しかったけれど、一緒になって探してくれるわけではない。アナウンスをしてくださるだけ。
独りぼっちは、非常に心細い。
嫁という立場も一層心細くさせる。
心細くなると、人は一人では前進できないんだなぁ~。誰かの支えが必要なんだなぁとやっとわかった。伴走者が必要。寄り添って少しリードしてくれるような支え。
これが、自分の親だったら、もう少し、気が楽なのだと思う。
義理姉や義理妹にどう説明しようかという不安や恐れも手伝って、一層、心臓に負担がかかる。

たった一人のお巡りさんと、おそらく、駐車場の片隅で、座り込んでいるはず・・・という仮説をたて、モールの外に出た。
途中、雨が降っていたらしく、だとしたら、そう遠くには行っていないはず・・・と願った。

しかし、建物の周囲4分の一くらいを見回ったころに、なぜか、その若いお巡りさんが、トイレじゃないかと思うんですと言い始めて、10か所以上ありそうなモールのトイレの確認をすることになった。と言っても、女子トイレなので、私しか入れない。そして、大の方をされている方がいると、終わるまで待たないと確認できないので、めっちゃ時間を食う。こんなんじゃ、日が暮れる・・・と3か所目のトイレを捜索しかけた時、アナウンスが聞こえてきた。あ~、私の名前がコールされている。イヤだな・・。携帯の番号を記入したから、携帯に電話をしてくれたらいいのに・・・・と思いつつも、何か進展があったのかも…と期待を膨らませて、インフォメーションのところへと、足早に移動する。

いた・・・。

義理母が椅子に座っているじゃない。

よかった~~~。

あ~~~~、ほんとうによかった。

思わず、腰が抜けるというか、へなへなと座り込んでしまった。

義理母の隣に、警察官がお二人。

義理母は、トイレから出たところにあった、バス停の椅子に傘をさして座っていたのを発見されたという。
私と一緒に見回った警察官は、モールに一番近い派出所のお巡りさんで、義理母を見つけた警官お二人は、本署の方だと。

人生の中で、これほど、ありがたくかんじたことはない。
もう、ありがたさしかない。
もし、見つからなくて、捜索願沙汰になったら・・・。もし、義理母の命に何かがあったら・・・・。という恐怖は、半端なかった。
人生最大の恐怖と言っても過言ではない。


派出所の若いおまわりさんと、義理母を探している時に、「もうすぐ、5時になる。もし、このまま見つからなかったら,どうなるのでしょうか。」と尋ねた。

「捜索願を出してもらうことになります。」とひょうひょうをおっしゃる。
私としては、それを避けたくて、警察に依頼したのに一人しか来てくれないなんて、そんな・・・。ぜめて5人くらいは来ていただいて、日が暮れる前に捜査をしてほしい。

もし、捜索願を出すと、消防の人など総動員で探すことになる。
おおごとにしたくない。
すでに、ヘロヘロなのに体力持つかな?
お金はどれくらいかかるのだろう。


それにしても、見つかって本当に本当に本当にめっちゃよかった。
ほっとするの極みを体験した。

ジェットコースター、大嫌いだけれど、義理母捜索事件に比べたら、全然いける。
5万円払ってくれるなら乗ってもいいと言っていたけれど、義理母捜索事件のことを思えば、100回乗ってもいい。

それくらい、しんどかった。

ところで、義理母が3時間ずっとそのモール前のバス停に座っていたという。
その理由を聞いたら、「だって、迷ったら動いてはいけないでしょ。だから、トイレ以外は動かなかった。」と。
「え、じゃぁ、建て門の中には、トイレ以外入っていないの?」と聞くと
「うん。だって、動いたらダメでしょ。」

 義理母は、めっちゃ社交的で、動じないタイプだから、トイレ以外動かないという選択をしたことが驚きだった。
 受け答えはしっかりしてそうだけれど、幼児のような回答をする義理母の認知症は結構進んでいるんだなぁと痛感した。


そのベンチから、私の車は見えたと言うので、「え、だったら、車のところまで来てくれたらよかったのに。私は20分くらいは車の中にいたんだよ。その後も、何回か、私が車のところに行ったり来たりしたのが見えなかった?」と聞くと、
「見えなかった。」と。

 そんなことはないんじゃないかなぁ?
 もし、迷ったら、私の車をずっと見続けると思う。

 きっと、トイレから出てきたら、もう、わけがわかんなくなっていたのだろう。
 何とか、つじつまを合わせようと取り繕ってしまったのかなぁ。認知症なので、その人の人生観がこんな時に出て来るんだろうなぁ。

 ま、いい。
 とにかく、捜索願を出さずに無事帰還できて何より。
 帰りの道中、人生でこんなにほっとして幸せなことって滅多にないなぁ~と何度も何度も呟きながら、幸せをかみしめての至福時間だった。

 それにしても、生きるか死ぬかの心配事があると、動かないのに、めっちゃエネルギーを吸い取られるんだなぁ~。
 不安がピークの時って、立ってられないほど、カラダに力が入らない。
 フニャフニャだ。
 思考回路もフニャフニャ。

 この体験は、私にとって、まさに時差ウインウイン体験だった。

 人は、不安でいっぱいになると思考停止に陥る。
 一人で立っていられないので伴走者がいてくれると、すごく安心する。
 というか、寄り添ってくれる人が必須。

 私は、人の目を気にしー人間が原因の自律神経不安定人間だ。でも、わけのわからない不安とかイライラに襲われるようなタイプではなかったので、悩みを人に相談して寄り添ってもらいたいと思うほどではなかった。だから、依存的になる人の感覚世界がピーンと来ていなかった。
 でも、もしかしたら、世の中、依存症になりやすいタイプの人は、意識してか無意識か、私が今日体験した捜索願い直前レベルの立ってられないような不安を心のどこかに抱えていて、それでも、どうにか生きていこうとしている人なのかもしれない。だから、何かに頼りたくなる人なのかもしれないと思った。本当は、人に寄り添ってもらいたい。だけれど、そんな仏様のような慈悲深い人ってそう巡り遭えない。だから、ギャンブルやアルコール、買い物、麻薬などで、その不安を誤魔化す・・・・のか。

 めっちゃ不安な状態、不穏状態のときって、ほんとうに一人では立っていられない。そんな時、とにかく、一人でいいのだ。誰か信頼のおける人が一人そばにいてくれて、自分の希望をかなえてくれようとしてくれたら、おそらくそれを寄り添うというのだろう・・・めっちゃ頼っちゃう。

 ところで、モールに一番近い派出所のお巡りさん、若かった。
 
 おそらく、モールの駐車場のどこかにいるかも。雨が降っているから、建物の周りをまず、一周してみましょう・・・と私の推理で、その若いおまわりさんと捜索をスタートした。私としては、
私の車を駐車していた辺りからスタートしたかったけれど、その若いおまわりさんが、「僕は、きっと、こっちの駐車場の方じゃないかと思うんですよね。」と言って、私の行きたい方向と正反対の方から捜索し始めた。「え、そっち?」と思いながらも仕方なく、ついていく。でも、なぜか、4分の一くらいのところで、「僕はやっぱりトイレで倒れているんじゃないかと思うんです。」と言い、トイレを片っ端から見て回ることになった。と言っても、さっきも書いたように、彼は男なので、私がやるしかない。長~くトイレに入っていらっしゃる方もいるので、意外と時間がかかってしまう。
 で、結果として、本署から応援に駆け付けてくださった中堅のお巡りさんお二人が、あっさりと義理母を見つけてくださった。 

経験値・・・だろう。
 
私に寄り添ってくれた若いお巡りさん、経験値が少しはアップしたかな?



 
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