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再犯してしまうという哀しみ 1

2019年01月20日 | エッセー
 去年の暮れに、30代半ばの、元女子マラソン選手が、たった300円ちょっとの品物を万引きして捕まったという事件があった。
 マラソン選手時代摂食障害など心理的に心が不安定な時期のあった方で、万引きするようになったと。2年前に一度捕まり、再犯であったとも。
 そして、衝撃だったのが、2年前に一度捕まってから、毎日毎日、万引きしたい衝動にかられ、その衝動を抑えることがものすごいストレスで、捕まりたくて万引きをあえてしてしまったとおっしゃっていた。
 人間の哀しみを感じずにはいられなかった。
 2年間も、毎日毎日、こらえて生きるなんて地獄だ。欲しくて万引きするのとはわけが違う。いけないことと知りつつ、心をコントロールできない・・・というか、ゆったりとした気分でのんびり過ごすという時間を物理的には持てても心理的には持てない人生なんて・・。万引きをした一瞬の快感が、きっと、私だったら、100万円の宝くじに当たったくらいの快感なのかなぁ?マラソンってランナーズハイを感じるって言われている。ましてや、この方は、栄光も手にしたことがおありな方だ。そのハイな高揚感を一度体験すると、もともと摂食障害などという依存症を持っている場合、別な何かハイになるものがないと生きていきにくいのかなぁ?
 依存症って、本当にしんどいと思う。
 衝動を抑えるって本当にしんどい。
 常に、気持ちを抑えるなんて。
 万引きよりも快感を感じられる何かに出会ってほしい。
 何だろう?
 万引きって、スリルある。その一瞬、胸はドキドキ、バクバク。生きてるってめっちゃ感じるのかも。
 リストカットをする人も、血が流れる瞬間、生きているという実感が感じられると言う。
 ということは、そうしていない時、生きていない感じ、自分のことなのに他人事のように感じてしまうような感覚で暮らしているってことなのかなぁ?
 生い立ちの中で、自分らしくあることを否定されたというようなきっかけがあり、いい意味でのわがままを表現しないで、誰かの都合のいいように演じて(もちろん、本人は演じているつもりはないだろうけれど)生きることを続けていくと、だんだん、自分なのに自分でないような感覚に陥っていくかもしれない。そんな時、リストカットをして流れる血を見て、自分を取り戻すような。
本当の自分がよくわからなくなって、わけのわからない憂さに覆い包まれてどうにかなりそうな気持ちから一時的であるにせよ救ってくれるツールとして、依存症になるようなアルコールとか覚せい剤とかが存在するんだろうと思う。
 例えば、川で溺れかけたときの浮き輪のような。
 憂さの世界とは、溺れかけそうな世界なんだと想像する。


 単純に、溺れかけている時に、溺れ死なないために必要なものは、浮き輪である。これは間違いない。
 2度と溺れないためには、選択肢は二つしかない。
 一つは、一生、浮き輪を離さないで生きる。
 そして、もう一つは、多少の荒波でも溺れないくらいのプロレベルの水泳上手をめざす。

 つまり、一生、アルコールや覚せい剤やギャンブルの生活を送る。
 もしくは、人がこの世に生まれた意味を洞察し自分のありのままの姿を直視するという苦しみを乗り越え、おそらく、誰かの喜びのために奉仕することに喜びを感じるレベルまで、自分自身を高めていくという道を選ぶか・・・。

 いやはや、後者は、難度が高すぎる。

 でも、おそらく、溺れないためには、この二つの選択肢しかないのではなかろうか。

 世の中には、『ありがとう』って言われるとうれしくって・・・と人のために一生懸命な方がいらっしゃる。

 私自身も、そうありたい。
 でも、日々、生活に忙しくって、たまに、思い出したかのようにちょこっとするレベルで、相当、人間性は低いかな。
 


 

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