アインシュタインの名言のひとつ。
慢性化した病気は、まさに、そうだ。
高血圧や糖尿病、心筋梗塞や脳卒中など。
もちろん、体質的にというか、遺伝的に、なりやすい病気ってある。
でも、高血圧や糖尿病などの病気は、薄味でバランスの取れた食事をしていれば、ある程度防げる病気である。と言いつつも、実は、ストレスが結構大きい誘因で、というか、ストレスが一番の原因かもしれないけれど・・・。
慢性の病気になった時、特に、生活習慣病と言われるような病気になったら、まず、その習慣を変えない限りはよくはならない。食事・運動・休養の三つを変えることが大前提。そこをしないでお薬だけ飲んでも、回復には向かわない。だって、生活習慣という病だもの。
甘いものが大好きだった人は、まず、甘いものを控えないといけない。
塩辛いものが好きだった人は、塩分を控えないといけない。
たくさん食べすぎていた人は、量を控えないといけない。
食べる時間が遅かった人は、寝る前3時間食べない・・・。
アルコールを飲みすぎている人は、一晩で肝臓がアルコールを分解しきる量、多くても焼酎1合くらい・・・に抑える必要がある。
そうは言っても、仕事から帰ってくるのが夜の11時で無理という人は、夕方6時におにぎり1個だけ、職場で食べて、おうちに帰ってから、野菜とお肉を食べるといい。
早食いの人は、ゆっくり食べなさいと言われても、難しいので、まず、野菜をたっぷり食べてから、炭水化物を食べるようにする・・・とゆっくり食べたことと同じ効果がある。
などなど。
つまり、人間、病気になったら、体は『自分に自分で、今までと違う生活習慣にチャレンジすることを宣言して、行動を変える』ことを望んでいるはことを病気という形で心にメッセージを送る。
しかし、心はきまぐれで、ついつい という欲求に任せた生活習慣はそう簡単には変えられない。
そう。そう簡単には習慣って変えられない。
多くの人は、習慣を変えるという選択をしなきゃと思いつつ、ついつい を選択し、とりあえず、お薬や手術でごまかしながら、生きていく。
そして、どうにもならない状況が目前に迫った時に、やっと、習慣を変えるという決断をする。それでも、できない人も多い。
メタボや塩分が原因で全身の血管がもろく硬くなった結果、腎臓の血管がやられて、透析寸前という宣告を受けた時、気合の入る人は多いなと思う。
そうまでしないと、人間の意識って変われない。
気合が入るという意識の変化こそ、病気が本物の回復に向かうターニングポイントといえる。
私の場合、右股関節の疼きがそうであった。
これも、生活習慣のなれの果ての姿だった。
40代初めの頃より、時々、右股関節が疼くことがあった。
元々、身体が右のほうに捻じれているという感覚があって、整体にも10回以上通ったけれど、まっすぐ気持ちよく立っているという感覚はその日限りで、すぐ元に戻るので諦めた。先生曰く、筋力がないからすぐに元に戻る。筋力をつけなさい。
なぜ、右に捻じれたのかという原因もわかっていた。
片噛みのせい。
30代半ばの頃、矯正の歯医者さんの講演会を聞いて、愕然とした。
気づけば、右でしか噛んでいない。おそらく、10代の頃から。20年余り、ず~~っと、右でしか噛んでいなかった。
中学生の頃、左上の奥歯の神経を抜く治療をした歯医者さんが、夜逃げした。なんと、歯医者の免許を持っていなかったというではないか。
そんな歯医者さんで神経を抜いてしまったのだけれど、きれいに抜けてなくて、腐っていて、その後、根治治療に10年以上否、20年くらいかかった。治療しても、しばらくすると疼くことの繰り返しだった。なので、自然と右でしか噛まなくなっていた。
その結果、身体は右に捻じれていった。
長い年月をかけて、しっかり右に捻じれた私の脊椎は、容易に元に戻るわけがない。
そうこうしていううちに、40代に突入。
できるだけ左で噛むようにしていたけれど、老化やストレスにより内臓も張りがなくなって歪みの出やすいお年頃を迎え、とうとう、右股関節の疼きや痛みが出るようになった。
50歳で胃を2/3切った。
このことも内臓が減った分、歪みが生じやすくなったのだと思う。
胃を切って3年目の春に、とうとう、右股関節の痛みでトイレまでも這っていかないといけなくなった。
激痛は数日で治まったけれど、常に疼く。夜、疼いて眠れない日も出てきた。
やばい。
人工股関節の手術なんてしたくない。
ところで、40代に入って、運動しなきゃなぁ。ウォーキングしたいなぁ~。って思い始めてはいた私。
でも、子育てと仕事と家事でどこにも隙間時間がないって思いこんでいて、ついつい10年以上の月日が流れてしまっていた。
時間はないのではなく、作るもの・・・と誰かにアドバイスされたけれど、いえいえ、ほんのちょっとだけでもいいから、ぼ~っとしたいを選択して、時間がないと思い込んでいた。
しかし、人工股関節の手術の可能性が現実味を帯びてきたとき、私の危機管理能力が目覚めた。
夕方、6時半に帰宅し、30分で夕食を作り、7時からスロージョギングを30分。
やった~という満足感に浸りながらの少し遅くなった夕食を、録画したビデオをゆったり見ながらいただく。
股関節の痛みは、激減した。
そして、思わぬ副産物として、顔のシミがうすく半分に減った。
足がつることもなくなった。以前は、夜に一度つり始めたら、1時間くらい繰り返しつることがあって大変な思いをしたことがるけれど、いま、いっさいない。
早朝の全身のこわばりもなくなった。
足の筋肉と足の血管の筋肉も鍛えられ、下肢の血流が改善されたせいだと思う。
そして、なんといっても、全身の病的なレベルのだるさがなくなった。
毎日、足を引きづるようなしんどい思いで仕事に行っていたのが、うそのよう。
元気はつらつ・・・なんて今もわからないけれど、今は、だるさがない分、幸せだ。
深刻な問題は、神様からのメッセージかもしれない。
問題が起こった時に、今までと同じような意識で今までと同じような習慣でいても上向きにはならない。
人生を左右するような問題が起こった時、もし、よくなりたいのなら、今までと違う行動をする自分になるしか道はない。
だって、今までの自分の日々の積み重ねのせいで、問題が発生してしまったのだから。
あ~だ、こ~だと悩まず、とにかく、昨日と違う自分を選択して行動するっきゃないのだ。
悩んでも、行動が変わっていないなら、悩み損。かえって、ストレスで悪化するかも。
改善した人の例という情報を集め、その中から、自分ができそうなことを、自分が続けられそうなことをチョイスして、宣言して、継続する。
生活習慣病という病気になったら、当たり前のことだけど、生活を変えなきゃ。薬だけ飲んでよくなるはずがない。
薬は、血管そのものを健康にはしてくれない。
今、現在、15歳の四男は不登校継続中。
まぁ、なかなかの問題だ。
親としては、行きたくないのに無理して学校に行かせようとは思ってはいない。
ただ、彼が、彼の人生を生きてほしいと願う。
彼は、知ってか知らずか、学校に無理していく という意識から、無理していかないという意識に変えた。
もし、それでも頑張って学校に行っていたとしたら、学校病という病気にかかっていただろう。
私が思う学校病って、何だろう。
自分の本当の気持ちを無意識に封じ込めて、一見、楽しそうに生きる病気?
親の前と子どもたちの前で平気で言葉と表情を使い分ける先生という裏表人間に疑問も持たないという病気?
ほぼやりたくもない宿題、ほぼ楽しくもない勉強も、将来のために、あるいは、友達よりもいい成績でいたいために、あるいは、誰かに褒められることのために、何年間もずっと、やっちゃえるという病気?
彼は、意識を変えた。
だから、私も意識を変える。
私が、彼の人生のお手本になれるよう。
『お母さんみたいな大人になりたいなぁ。』と思ってもらえるように。
今のところ、まだまだ・・・も全然・・・。
私が、ほんの少し、トーン高めな声を発しただけで、気分が悪くなるそう。
いつも、常に、何が起ころうとも、穏やかな心境でいる。
見せかけの穏やかさは、すぐに見破られる。
起こる全てのことに、慌てない。想定内だと実感できる力と、例え、想定外でも、好奇心をもって対処できる力を、意識を変えることで身に着けたい。
いやはや、たいした意識じゃわい。
、
私の母は、すでに、認知症に突入してしまった。
だから、もう、諦めた。
母は、ずっと、問題が起こると、ただ、悩むだけで、何も生活を変えようとしない人だった。
悩んで悩んで心配して、そして、何もしない人だった。
だから、母から、人生の助言をしてもらおうと思ったこともない。
心配するだけだから。
母を見ていて、こだわらない生き方をしたいなとしみじみ。
反面教師だ。
こだわりが強いと、何か問題が起こった時に、意識を変えることが困難に近い。
本気で問題を解決する気があるの?って本気で疑問に思う。
慢性化した病気は、まさに、そうだ。
高血圧や糖尿病、心筋梗塞や脳卒中など。
もちろん、体質的にというか、遺伝的に、なりやすい病気ってある。
でも、高血圧や糖尿病などの病気は、薄味でバランスの取れた食事をしていれば、ある程度防げる病気である。と言いつつも、実は、ストレスが結構大きい誘因で、というか、ストレスが一番の原因かもしれないけれど・・・。
慢性の病気になった時、特に、生活習慣病と言われるような病気になったら、まず、その習慣を変えない限りはよくはならない。食事・運動・休養の三つを変えることが大前提。そこをしないでお薬だけ飲んでも、回復には向かわない。だって、生活習慣という病だもの。
甘いものが大好きだった人は、まず、甘いものを控えないといけない。
塩辛いものが好きだった人は、塩分を控えないといけない。
たくさん食べすぎていた人は、量を控えないといけない。
食べる時間が遅かった人は、寝る前3時間食べない・・・。
アルコールを飲みすぎている人は、一晩で肝臓がアルコールを分解しきる量、多くても焼酎1合くらい・・・に抑える必要がある。
そうは言っても、仕事から帰ってくるのが夜の11時で無理という人は、夕方6時におにぎり1個だけ、職場で食べて、おうちに帰ってから、野菜とお肉を食べるといい。
早食いの人は、ゆっくり食べなさいと言われても、難しいので、まず、野菜をたっぷり食べてから、炭水化物を食べるようにする・・・とゆっくり食べたことと同じ効果がある。
などなど。
つまり、人間、病気になったら、体は『自分に自分で、今までと違う生活習慣にチャレンジすることを宣言して、行動を変える』ことを望んでいるはことを病気という形で心にメッセージを送る。
しかし、心はきまぐれで、ついつい という欲求に任せた生活習慣はそう簡単には変えられない。
そう。そう簡単には習慣って変えられない。
多くの人は、習慣を変えるという選択をしなきゃと思いつつ、ついつい を選択し、とりあえず、お薬や手術でごまかしながら、生きていく。
そして、どうにもならない状況が目前に迫った時に、やっと、習慣を変えるという決断をする。それでも、できない人も多い。
メタボや塩分が原因で全身の血管がもろく硬くなった結果、腎臓の血管がやられて、透析寸前という宣告を受けた時、気合の入る人は多いなと思う。
そうまでしないと、人間の意識って変われない。
気合が入るという意識の変化こそ、病気が本物の回復に向かうターニングポイントといえる。
私の場合、右股関節の疼きがそうであった。
これも、生活習慣のなれの果ての姿だった。
40代初めの頃より、時々、右股関節が疼くことがあった。
元々、身体が右のほうに捻じれているという感覚があって、整体にも10回以上通ったけれど、まっすぐ気持ちよく立っているという感覚はその日限りで、すぐ元に戻るので諦めた。先生曰く、筋力がないからすぐに元に戻る。筋力をつけなさい。
なぜ、右に捻じれたのかという原因もわかっていた。
片噛みのせい。
30代半ばの頃、矯正の歯医者さんの講演会を聞いて、愕然とした。
気づけば、右でしか噛んでいない。おそらく、10代の頃から。20年余り、ず~~っと、右でしか噛んでいなかった。
中学生の頃、左上の奥歯の神経を抜く治療をした歯医者さんが、夜逃げした。なんと、歯医者の免許を持っていなかったというではないか。
そんな歯医者さんで神経を抜いてしまったのだけれど、きれいに抜けてなくて、腐っていて、その後、根治治療に10年以上否、20年くらいかかった。治療しても、しばらくすると疼くことの繰り返しだった。なので、自然と右でしか噛まなくなっていた。
その結果、身体は右に捻じれていった。
長い年月をかけて、しっかり右に捻じれた私の脊椎は、容易に元に戻るわけがない。
そうこうしていううちに、40代に突入。
できるだけ左で噛むようにしていたけれど、老化やストレスにより内臓も張りがなくなって歪みの出やすいお年頃を迎え、とうとう、右股関節の疼きや痛みが出るようになった。
50歳で胃を2/3切った。
このことも内臓が減った分、歪みが生じやすくなったのだと思う。
胃を切って3年目の春に、とうとう、右股関節の痛みでトイレまでも這っていかないといけなくなった。
激痛は数日で治まったけれど、常に疼く。夜、疼いて眠れない日も出てきた。
やばい。
人工股関節の手術なんてしたくない。
ところで、40代に入って、運動しなきゃなぁ。ウォーキングしたいなぁ~。って思い始めてはいた私。
でも、子育てと仕事と家事でどこにも隙間時間がないって思いこんでいて、ついつい10年以上の月日が流れてしまっていた。
時間はないのではなく、作るもの・・・と誰かにアドバイスされたけれど、いえいえ、ほんのちょっとだけでもいいから、ぼ~っとしたいを選択して、時間がないと思い込んでいた。
しかし、人工股関節の手術の可能性が現実味を帯びてきたとき、私の危機管理能力が目覚めた。
夕方、6時半に帰宅し、30分で夕食を作り、7時からスロージョギングを30分。
やった~という満足感に浸りながらの少し遅くなった夕食を、録画したビデオをゆったり見ながらいただく。
股関節の痛みは、激減した。
そして、思わぬ副産物として、顔のシミがうすく半分に減った。
足がつることもなくなった。以前は、夜に一度つり始めたら、1時間くらい繰り返しつることがあって大変な思いをしたことがるけれど、いま、いっさいない。
早朝の全身のこわばりもなくなった。
足の筋肉と足の血管の筋肉も鍛えられ、下肢の血流が改善されたせいだと思う。
そして、なんといっても、全身の病的なレベルのだるさがなくなった。
毎日、足を引きづるようなしんどい思いで仕事に行っていたのが、うそのよう。
元気はつらつ・・・なんて今もわからないけれど、今は、だるさがない分、幸せだ。
深刻な問題は、神様からのメッセージかもしれない。
問題が起こった時に、今までと同じような意識で今までと同じような習慣でいても上向きにはならない。
人生を左右するような問題が起こった時、もし、よくなりたいのなら、今までと違う行動をする自分になるしか道はない。
だって、今までの自分の日々の積み重ねのせいで、問題が発生してしまったのだから。
あ~だ、こ~だと悩まず、とにかく、昨日と違う自分を選択して行動するっきゃないのだ。
悩んでも、行動が変わっていないなら、悩み損。かえって、ストレスで悪化するかも。
改善した人の例という情報を集め、その中から、自分ができそうなことを、自分が続けられそうなことをチョイスして、宣言して、継続する。
生活習慣病という病気になったら、当たり前のことだけど、生活を変えなきゃ。薬だけ飲んでよくなるはずがない。
薬は、血管そのものを健康にはしてくれない。
今、現在、15歳の四男は不登校継続中。
まぁ、なかなかの問題だ。
親としては、行きたくないのに無理して学校に行かせようとは思ってはいない。
ただ、彼が、彼の人生を生きてほしいと願う。
彼は、知ってか知らずか、学校に無理していく という意識から、無理していかないという意識に変えた。
もし、それでも頑張って学校に行っていたとしたら、学校病という病気にかかっていただろう。
私が思う学校病って、何だろう。
自分の本当の気持ちを無意識に封じ込めて、一見、楽しそうに生きる病気?
親の前と子どもたちの前で平気で言葉と表情を使い分ける先生という裏表人間に疑問も持たないという病気?
ほぼやりたくもない宿題、ほぼ楽しくもない勉強も、将来のために、あるいは、友達よりもいい成績でいたいために、あるいは、誰かに褒められることのために、何年間もずっと、やっちゃえるという病気?
彼は、意識を変えた。
だから、私も意識を変える。
私が、彼の人生のお手本になれるよう。
『お母さんみたいな大人になりたいなぁ。』と思ってもらえるように。
今のところ、まだまだ・・・も全然・・・。
私が、ほんの少し、トーン高めな声を発しただけで、気分が悪くなるそう。
いつも、常に、何が起ころうとも、穏やかな心境でいる。
見せかけの穏やかさは、すぐに見破られる。
起こる全てのことに、慌てない。想定内だと実感できる力と、例え、想定外でも、好奇心をもって対処できる力を、意識を変えることで身に着けたい。
いやはや、たいした意識じゃわい。
、
私の母は、すでに、認知症に突入してしまった。
だから、もう、諦めた。
母は、ずっと、問題が起こると、ただ、悩むだけで、何も生活を変えようとしない人だった。
悩んで悩んで心配して、そして、何もしない人だった。
だから、母から、人生の助言をしてもらおうと思ったこともない。
心配するだけだから。
母を見ていて、こだわらない生き方をしたいなとしみじみ。
反面教師だ。
こだわりが強いと、何か問題が起こった時に、意識を変えることが困難に近い。
本気で問題を解決する気があるの?って本気で疑問に思う。