ギギギ…くやしいのう

ギギギ・・・くやしいなう(のう)。


大東亜戦争に於いて、我が國が攻めたのは欧米列強により植民地とされた地域であり、それは即ち東亜解放といふ大東亜戦争の大義に沿ふものである。
これは当時の世界地図を確認すれば、すぐに分かる事実であり、この当時に独立を維持出来た國は我が國を含めて僅かであつたが、そのほとんどは列強同士の緩衝地帯となつた事で、受動的にそれが維持されたに過ぎない。

能動的に、列強覇権主義の打倒と諸國・諸民族の解放と自立の爲に立ち向かつたのは我が國のみであつた。もちろん、戦をするのであるからその大義に沿はぬ事態も一部では生じたであらうけれども、結果だけをみても、大東亜戦争が欧米列強の覇権主義を粉砕し、虐げられてきた國、民族は独立を果たした。
世界が覇権主義といふ格差社会から、自存自衛へと舵を取り直す大きな一歩となつた事は動かせぬ歴史事実なのだ。

では何故、我が國のみが世界を相手に孤軍奮闘し、我が身を捨ててこれを打ち砕くまで戦ひ通したのか。
已むに已まれぬ國際情勢や、引くに引けない軍部の権威主義・官僚主義、天皇教といふべき主権論的な盲信があつたからだと賢しらにいはれてゐるが、私はこれらは単なる表層であり、本質ではないと考へてゐる。
何故ならばそれらの理由だけでは、大東亜戦争の輝かしいまでの成果とそれを敢闘した大和魂の苛烈さに釣り合はぬからだ。広大な宇宙を構成するものが既知の物質だけでは到底説明出来ぬやうに、暗黒物質の存在や更なる本質的理論により初めてそれらが釣り合ふやうに、大東亜聖戦といふ精華を説明する爲にはそれに釣り合ふ内容、本来あるべきものが必要なのだ。

それは言葉にすれば、簡素なものだらう。教育に関する敕語にもある通り「此れ我が國體の精華にして教育の淵源亦實に此に存す」となる。

ギギギ・・・くやしいなうといふのは、この本質が戦後日本、詰まり占領体制下の日本に於いては多くの人に知られず、理解されてゐないからだ。

國體とは端的にいふならば、親から子への命脈である。各民族にそれぞれの神話があるが、我が國の神代とは即ち我々の直系の祖先の物語である。それを体現し続けてゐるのが皇統であり、その血統と霊統は建速須佐之男命と天照皇大神へと求められる。霊統といふ表現が漠然としてゐると思ふならば、それをこそ教育の淵源であると捉へれば良いだらう。
皇統が萬世一系であれば、それは詰まり我々を含む命あるものとは萬世一系であるといふ事実へと繋がり、道理として釣り合ふのだ。

今を生きる私達には必ず産みの両親が存在する。その親にもそれぞれに両親が存在するので、これを神代まで辿ればそれこそ膨大な数の祖が今に生きる一つの命を存在せしめてゐる事実が分かる。この連綿と繋がる命脈はただの一度も途切れてはゐない。途切れてゐたら、今ここに私達は存在し得ない。
科学的な事実として命は一系、一統なのだ。御統(みすまる)である。

この事実が我が國の國柄として、國體として今も継承されてゐる。
この國體の在り方を表現するならば、それはやはり「祭祀の道」「祭祀の精神と実践」「本能原理」であるといふべきであらう。非理法権天の「天」といひかへても良いが、それは世界の物理法則に沿ふ自然の本質であり、そこに人間の持ち得る理性は到底及ばない。また、その法則に沿ふ形で発展した本能の方が主であり、理性とはそれを扶翼する従でしかない。科学の発展と同様に理性とはその自然法則の一端を解明しようと世代を超えて相続する事であり、それは主である部分に成り代はつたり、新たに創造する事はないのだ。
さうであるからこそ、大東亜聖戦はその精華として世界の歴史に燦然と輝き、本質的に正統として遺り続ける。

嘗て、そして今尚続く主権論、理性主義による世界支配、共産主義や自由主義、集産主義や個人主義など呼称は様々ではあるがそれらの独善的で非科学的な異端の思想とそれが生む固定的な格差社会や欺瞞に対して 、科学的事実に沿ふ我が國の在り方がそれを「致命的な思ひ上り」であると看破し、またそれが「祭祀」の破壊へと繋がり、自滅へと続くものであるからこそ、大和魂は苛烈なまでに発露され大東亜聖戦完遂へと我々を導くのである。

國や文化の差こそあれ、全ての人類はその存在事実からして「祭祀の民」であり、その正統である「祭祀の道」から外れる事は、「隷属への道」へと続く外道であり、それは時には集産主義による全体主義となり、個人主義・自由放任による超格差社会、衆愚政治となる訣だが、それらはどちらも人を個として扱ふ爲に、正統を欠く異端の思想でしかない。現実的な結果としてどちらも同じ状況を生み出すのは必然である。同じ穴の狢でしかない。

私達はまづ、日本といふ己の足元・根源を知る事から始めなければならない。
また始める爲に先人の遺した辞世を二首挙げてをく。


身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん



あだうたず なもそそがずば しづがみの みくににありし ゆゑうしなはる
(仇討たず 名も濯がずば 賤が身の 皇國に在りし 故失はる)