高校野球の壺

高校野球の壺

1980年代から現在に至るまでの高校野球を自分なりに紹介しております。
さらに自分が住んでいる福島県や東北地方の高校野球情報や高校以外の野球の話題、そして時には他のスポーツ、或いはジャンルを問わない話題にも触れていこうかなと思ってます。

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 今大会の閉会式で、高野連会長の奥島氏が「花巻東の大谷投手を甲子園で見れなかったのは残念」と発言したようですね。一部で花巻東を倒して甲子園に出場し た盛岡大付に対して「失礼」だと批判の声が出たようですが、それ以前に高野連会長という自分の立場を全く分かっていない人だなと私は思いました。アマチュ アでしかも学生野球、それを統括する組織の長は、どのチームに対しても「公平」で「中立」の立場でいなければいけない。でも、実際は「そうじゃない」って ことを何も全国放送で発表する必要もなかろうに・・・ 以前のブログで 「21世紀枠」について否定的な意見を述べましたが、その根底にあるのは高野連や主催者に対する「不信感」です。だから、今回のような発言も「然もあら ん」という受け止め方でした。百歩、いや千歩譲って、「他意の無い発言」だったとしても、盛岡大付は「見たかった」大谷投手を打ち崩して甲子園を勝ち取っ たのですよ。野球を分かっている人なら、それがどれだけ意味があるか理解出来るはずです。味方打線の援護が無く、1ー0 で甲子園を逃したわけじゃない。 「この人は本当に野球という競技が好きなんだろうか? 深く理解しているのだろうか?」と疑問を抱いてしまいます。

 花巻東を下して甲子 園に出場した盛岡大付ですが、今回も甲子園初勝利を達成することは出来ませんでした。ただ、今の野球スタイルを貫けば、いずれ結果は出ると思います。春の 東北大会ではスタメンに名を連ね、本塁打も放った福島県出身の1年生・菜花選手は甲子園ではベンチに入ることはできませんでしたが、新チームでは主力選手 として活躍が期待されます。他にも常総学院で3番を打っていた2年生の内田選手も福島県出身です。菜花、内田、両選手ともいわき市の出身、さらに聖光学院 の4番打者・園部選手も同じです。他にも県内外のチームを問わず、いわき市から素材の良い選手が最近出てますね。

 それにしても、内田選 手が所属する常総学院は本当に久々に甲子園で勝ちましたね。03年の全国優勝以来、一度も甲子園で勝てずに苦しんでましたが、佐々木監督に代わって「流 れ」が変わったのかもしれません。これまでも、甲子園に出てくる常総学院は選手個々の能力では常に大会上位クラスでした。でも、勝てない・・悪循環でした からね、佐々木監督は茨城・取手二高時代、桑田・清原のKKコンビ(あっ!)を倒して、選手権で優勝した時のメンバーです。確か、2番を打っていたはずで が、非常に身体能力の優れた攻撃的な2番打者だった印象があります。そう言えば、東東京代表・成立学園の菅沢監督は同年のセンバツでやはりKKコンビの PL を倒して優勝した東東京・岩倉高校のメンバーでした。この大会で菅沢選手(当時)は、準決勝の岩手・大船渡高校戦でサヨナラホームランを打ちました。当 時、私はその場面をラジオで聞いており(なぜ、テレビでは無く、ラジオだったんだろう・・思い出せない)、「大船渡旋風」(当時、そう言われた)に終止符 を打った人でもあります。私が子供の頃にテレビで見ていた人達が監督として甲子園に戻ってくる機会が多くなりましたね。成立学園に関しては、「意外に早 かったな(甲子園出場が)」という印象です。最近、野球部に本格的に力を入れ始めたチームであることは知っていましたが、帝京、関東一、更に多数の強豪が ひしめく東東京を勝ち抜くとは思ってもいませんでした。それは、菅沢監督にしても同じ思いだったかもしれません。メンバーを見ても、まだまだ帝京や関東一 と比べれば「落ちるなぁ」という選手が多いですが、今回の甲子園出場をキッカケに一気に戦力が上がるかもしれませんね。今後の動向に注目ですね。

  東海大甲府は久々に出場して、前回出場(04年夏)した時と同様にベスト4まで勝ち上がりました。山梨学院大付、日本航空、甲府工業など実力的に甲乙つけ 難いライバル達との争いから抜け出せず、甲子園から遠ざかっていたチームですが、山梨を勝ち抜けば、これぐらいの結果は残せるポテンシャルを持っているん ですね。その辺が甲子園では実力を出しきれないまま敗退するライバル・山梨学院大付との違いですかね。最近の甲子園では東海大の「タテジマ」のユニフォー ムは本家の「相模」の方が印象強くなりましたが、私の子供時代、少年時代は「タテジマ」といえば、「甲府」の方が有名でした。かつては本家である「相模」 のユニフォームを着て、選手として、更に監督として甲子園で脚光を浴びた村中監督も久々の甲子園でベスト4という結果にホッとしたでしょうね。その東海大 甲府に3回戦で 2ー3 と敗れた、山口・宇部鴻城も夏初出場ながら2つ勝ちましたね。山口県は、かつて甲子園で大暴れした宇部商など公立優位の時代が長 く続きましたが、昨夏の柳井学園、今春の早鞆、そして今夏の宇部鴻城と別々の私学チームが3季連続で甲子園に出場し、山口県もいよいよ私学優位の時代に突 入したと感じました。

 逆に公立で目立ったのが九州勢、興南、沖縄尚学という全国レベルの強豪私学を直接下して甲子園出場を勝ち取った浦 添商業は地力がありました。宮里、照屋の強力二枚看板は打でも活躍、それぞれが本塁打を一本ずつ放ちました。照屋投手は桐光学園戦で途中から登板しました が、150キロに迫る速球は「噂通り」で、潜在能力の高さを感じました。それにしても、最近の沖縄勢はレベルが高い。以前は特定のチームが抜きん出て強い という印象がありましたが、今は上位4チームぐらいは全国でも十分に通用する力を持っている印象です。浦添商以外では、熊本・済々黌が面白い存在でした ね。2年生左腕の大竹投手が予選で大本命の九州学院を完封、全国でも上位に入る強力打線を抑えた左腕は甲子園でも春夏連続出場の徳島・鳴門高校を4安打、 自責点0(失点1)に抑えて、九州学院を完封した力は本物だと証明しました。進学校ながら、今年は野手もそこそこ揃っており、その巡り合わせの良さが久々 の甲子園出場の下地になったと思います。それにしても大本命・九州学院の勝負弱さは以前から気になっていたので、春の九州大会優勝校である名門・熊本工業 や秀岳館辺りに競い負けするかもしれないと思っていました。萩原、溝脇など1年生の夏から甲子園を経験した選手が最上級生になり、全国大会での上位進出も 期待されていたのですが、最後にこのチームの弱点が出ました。夏の甲子園で見たかったチームの一つだったのですが。

 甲子園のお膝元で ある近畿勢は大阪桐蔭の優勝で面目躍如、天理も久々にベスト8進出でしたね。天理はセンバツでは初戦敗退しましたが、大型選手揃いで夏に力を発揮するタイ プのチームだなと思っていたので、選手権ベスト8というのは頷ける結果だと思います。兵庫では久々に滝川第二が甲子園に戻ってきました。兵庫は報徳学園、 東洋大姫路、育英、神港学園、神戸国際大付、神戸弘陵など強豪がひしめいて選手が分散し、大阪桐蔭のような傑出したチームが出にくい状況が続いています。 その合間を縫って、滝川第二が甲子園に出場してことで更に分散化が進むのでしょうかね。混戦の中から抜け出すチームは今後出てくるのでしょうか。

  今大会の印象を好き勝手に述べさせてもらいましたが、最後に言っておきたいことがあります。今大会の開幕試合で相双福島(連合チーム)の選手が始球式を行 いました。彼が着ていた白地にグリーンの刺繍が入ったユニフォームは、過去の選手権に3回出場経験(通算2勝3敗)のある双葉高校のユニフォームでした。 「このユニフォームを甲子園で見るのは最後だろうな・・」と思ったら、凄く寂しい気分になりました。双葉高校は福島第一原発のある双葉町にある高校です。 旧制中学時代から続く地域の伝統校でしたが、現在は原発事故で県内各地に避難した生徒がサテライト方式で授業を受けるという歪んだ形で存続しています。双 葉町の現状を考えると5年、10年で人が住めるようになるとは到底思えません(住んではいけないとも思う)。そうなると双葉高校の存在意義というのが、今 後は無くなってしまう可能性があります。政府関係者は、こういったマイナス面が強調されることを嫌がり、現状の歪んだ形でも学校を存続させようと今後も動 くのかもしれませんが、実際に入学する生徒がいなくなってしまえば学校を存続させることは難しいでしょう。だから、双葉高校のユニフォームを甲子園で見る のは色々な意味を含めて「最後だな」と思ったのです。野球に限らず、スポーツというのは「国が平和な状況」にあってこそ行える、繁栄するものだと思いま す。昨年は震災、原発事故の影響で春季東北大会が中止(宮城、福島では春季大会そのものが中止)になりました。かつて太平洋戦争が行われた時代は戦況が悪 化すると大会が中止に追い込まれ、本来なら球場でプレーしているはずの選手達が戦地に送られました。正直、昨夏の被災地で行われた高校野球は「いつもの高 校野球」とは違っていました。大会こそ行われたものの、試合の内容、勝敗で一喜一憂する選手、観客が例年より少なかったと感じました。これをどのような視 点で捉えるかで伝わり方が違ってきます。「勝敗関係無く、野球が出来る喜びを選手、観客が共有していた。これぞ高校野球の原点」という見方も出来ると思い ますが、実際に私が感じたのは球場の雰囲気とか、全体の雰囲気が「重かった」ということです。第三者から見れば、選手、観客とも一見すると「普段通りの 姿」にしか見えないかもしれませんが、実際は選手、観客とも例年と比べて「試合に集中出来ていなかった」、それを本人たち(私も含め)が自覚しているかは 微妙なところなんですが、心の何処かで違うことを考え、気にしていたはずです。試合後に選手が泣いている姿も少なかった・・・というより試合の勝ち負けで 泣いている選手が少なかった。サバサバしていると言うか、「感極まれない」という感じでした。感情のピークはすでに違う所で使ってしまったから・・・そん な気がしました。1945年(昭和20年)に日本が戦争で負けて、翌年に高校野球(当時は中等野球)の大会が復活しました。これは高野連の長い歴史の中で 最も評価すべき功績と言えるでしょう。しかし、敗戦に打ちひしがれながら、日々生きることで精一杯であった当時の日本人の心に「中等野球復活」のニュース が届いていたかは別問題であり、大部分の日本人、更にはプレーしている選手、観戦している客にしても、「野球は二の次、三の次」という存在だったのだろう なと昨年の被災地の高校野球を見て、ふと思いました。社会の様々な問題に比べれば、「たかが高校野球」なのかもしれませんが、その野球で選手、観客が泣い たり、笑ったり、感極まれることは、つまり「この国が平和で豊かな社会」であることの証なんだなと改めて感じました。


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この学校紹介も今となっては色々と考えさせられます。