(画像説明)新横浜公園(横路浜スタジアム横)の多目的遊水地。

これによって、昨年の大雨は氾濫を防いだ

 

専門家や科学者、学者と言えば、とりあえず、その発言に一定程度以上の信頼があると想定することに、異論をはさむわけではない。だが、2020年のコロナ禍においても、そして、2011年の原発事故においても、彼ら(の一部。すべてではない)の立ち位置と彼らに何かをお願いする人たちの言動に疑念を抱く機会が多くあり、それでは一体、専門性とは何なのか、科学とは何なのか、学問とは何なのか、そうした反省は今も、そして、これからも避けられないだろう。

 

しかも、コロナ禍における「専門者会議」のありようは、「政治」に振り回されっぱなしで、いかに「専門家」というものが脆弱な立ち位置にあるのかを露呈させた。ただし大事なのは、彼ら専門家は、この問題点を表舞台に出した、ということである。

 

専門家は、直接的であれ、間接的であれ、何か発言したり、社会的責任を負おうとした場合、必ずこうした「政治」との絡みが発生する。そのことは避けられない。では、そうした中で一体何ができるのか。何を言いうるのか。

 

***

 

ところで、科学と学問はほぼ同じような意味で現在では用いられる一方、科学は、場合によっては自然科学に絞って指されることもあるし、他方では科学技術として、技術との連動性が前提となることもあり、少々厄介である。

 

専門家と言った場合、科学者や学者のみを指すのではなく、その道に習熟している人を指すため、科学や学問にかぎらず、広い。

 

適応される範囲としては、

 

専門家>学者>科学者

 

となるかもしれないが、そのこと自体はさして重要ではない。

 

以下では、ややあいまいに、これら、専門性、科学性、学問性、場合によっては、技術や哲学という言葉で言われているものも含んで語るが、それというのも、科学が歩んできた今日までの歴史が生み出したものがそうさせているということである。

 

議論の参考にした書物は、村上陽一郎『科学の現在を問う』(講談社現代新書、2000年)である。これは、ちょうど現代新書シリーズの1500番目にあたり、出版社や編集担当者が相当気合を入れた一冊であると考えられる。

 

著者はちょうどサバティカルの年であり、当初は海外を回る計画をたてていたようだが、近親者の死によって、国内にとどまることになり、その間に生まれたのが本書であるようだ。

 

しかし、2020年の読者としては、むしろ、本書の発行された年が2000年であったことに注目をしたい。

 

他の書においてもそうであるし、本書においてもそうであるが、村上は、1999年に起こった東海村の臨界事故を「科学の現在を問う」際の具体的事例の一つとしてとりあげている。

▼過去の関連記事

 東海村臨界事故への道(七沢潔)、を読む

 

 

おそるべき裏マニュアル~東海村臨界事故への道 その2

 

*この記事は2013年にアップしてから今日に至るまで地味ではあるが継続的に読まれている

 

本書ではそのほかに、JRの新幹線のトンネルのコンクリート壁が剥落するという事故、三番目が、H2ロケットを使った発射実験の失敗、をとりあげている。

 

しかし、こうして並べてみると、臨界事故のインパクトが格段に大きい。なぜならば、ここから10年少したって、原発事故が起こっているからである。

 

新幹線に関しては、その後も深刻な事故は起こっておらず、ロケット開発についても、当時の失敗の後にはコストダウンや純国産にこだわらないなどの方針転換を行ったことによって順調に開発が進められて現在に至っていることをふまえれば、1999年に起こり、その後にも大きく影響を及ぼしたのはやはり、東海村の事故だったと言えるのではないだろうか。

 

また、本書の構成であるが、全体としては、科学と技術をつなぎ合わせて「現代科学技術」を問題にしており、特に、1)安全性(のちに村上は「安全学」を提唱する、2)医療(臓器移植、クローン)、3)情報、4)倫理(科学者の社会的責任)、5)教育(大学における理工学部)、と言ったテーマに各章をあてている。

 

1)に関しては、上記で少し述べたように、3つの事故をもとに論じているが、残念ながら、事象的な、否、現象的な所感を述べるにとどまっている。

 

もちろんそれは、東海村の臨界事故が、原子力における高度な科学力や技術力の直接的な敗北ではなく、現場の無知、現場における「裏マニュアル」による過失にすぎないとみなすことも、できなくはない。

 

しかし、むしろ、この場合、現場で作業をしていた人たちが、そんなことも知らずに働いていたという、これまでの理科教育の不備を問題にしてもよかったであろうし、また、組織における、現場と本部(本店)との温度差というものも、もう一度、検証すべきでもある。

 

しかも後者の組織、制度の逆生産性的な過失は、何もここにおいてはじまわったわけではなく、阪神淡路大震災や酒鬼薔薇事件、オウム真理教によるサリン事件などとの対比のもとに議論されねばならないはずであるが、今ふりかえって本書を見ても、そうした歴史的プロセスが見えにくい。

 

そして何よりも、原子力に対する私たちの向き合い方を、その時点でもう少し問うべきであったろう。

 

もう一点としては、情報に対する見通しであるが、おそらくこの20年間のめまぐるしい進化は、村上の想像を超えている。パソコンはもとより、スマホでどこでも情報を受け取ったり、やりとりをおこなったり、その影響が国政を変えるほどにまでになるとは、きっと思いもよらなかったであろう。

 

しかし、すでにボードリヤールは1981年に「シミュラークルとシミュレーション」を発表しており、将来のネットワーク社会の構図を見通していた。

 

原発事故とシミュラークル(オリジナルなき複製文化)

 

 

 

 

 

本書で繰り返し主張されているのは、「科学者」の特性のようなものである。19世から現在に至る科学者というものの性質を一言でまとめると、「好奇心のかたまり」ということになる。

 

それ自体は目新しい主張ではないが、これを芸術家と対比させているところが興味深い。

 

芸術家もまた、自らの喜びを得ることに基づいているとすれば、対象は異なれども、科学者も同じようなものであるととらえられている。にもかかわらず、芸術家はよほどのことがなければ生活できないが、科学者は比較的それなりの数の人たちが大学や民間研究機関などで働き、生活ができている。

 

もっと言えば、科学者は、一方では自らの活動は「純粋な知的活動」であるとみなしている。すなわち、社会や他者に役に立つかどうかといった基準で研究しているわけではないということを主張し続ける。

 

村上は、こうした二面性を問題視する。

 

とりわけ、原爆開発にかかわった科学者たちのことをふまえて、そこに「科学者の社会的責任」というテーマを突き付ける。ここにおいて、純粋な知的欲求で研究していた、という言い訳を封じ込める。

 

これは、技術者の場合にはそうはならない。技術者は「ものを制作」することにおいて、必ず他者や社会とかかわるため、「社会的責任」から逃れることができないことが大前提となっている。

 

にもかかわらず、「科学」者は、そうした直接性がないか、意識されないか、はたまた、意識しないようにしているのか、いろいろな次元はあるにせよ、直接的な責任が問われないかのような距離感がある。

 

そう考えてみると、現在において、たとえばコロナ禍においてメディア(テレビであれSNSであれ)で発言する人たちは一体何なのか、と考えてしまう。

 

最初にあえて「専門家」「学者」「科学者」という3つの言葉を持ち出したのも、こことかかわるからだ。

 

彼らに求められているのは、明らかに「専門性」であり、「学問的裏付けのある発言」であり、「科学者としての社会的責任を自覚していること」であると、考えられる。少なくとも私はそうしたことを要求するし、それがクリアされていることを前提として発言に耳を傾ける。

 

それぞれの専門領域において活動し、その領域における共有事項をふまえ、かつ、その領域において一定程度以上の信頼が得られている人が、一種の「代表」として語る、というのが理想であるはずだ。

 

ところが、現状はそうではない。

 

むしろ、その外部にいるか、そうした領域内におけるマイノリティがあたかもその領域を「専門家」と称して代表してしまっている。

 

いや、何もそういう人が発言すべきではないと言っているのではない。また、そういうポジションが悪い、と言いたいのでもない。

 

自分がどういったポジションにあるのか、その領域ではどういった闘争が行われているのかを含めて述べてゆくべきだと、私は思う。