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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…相模湖~鳥沢、その2(犬神)

2020年01月04日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    


狭い歩道が片側しかない吉野橋を渡りました。




道路に面した囲いもないところで玉ねぎやジャガイモを干している民家

以前、武蔵嵐山で畑をやっていた時があり、ジャガイモがたくさん採れたのですが、東京では風通しが良くて雨を避けられそうな適当な干す場所がなく、干すのに苦労しました。

ここは決して大きなスペースとは言えないですが、自分も自宅の脇に欲しい空間です。
東京じゃ誰かにもっていかれそうですね。




甲州街道(国道20号線)の歩道が、
なんとこの狭さです。
そして車道との段差もあまりなく、簡単に車が歩道にのりあげてしまうようなお粗末な国道だなと思いました。

しかも、車はかなりのスピードで走ってますから、大型ダンプなどが横を通り過ぎると巻き込まれるのではないかと、思わず立ち止まってしまいます。

非常に危ない歩道ですよ!!!




中央高速の下が歩道になっていました。
そのかわり国道は歩道がなく左数メートル下に走ってます。

上の高速道は車が渋滞していますから静かです。

ただ、それだけに渋滞車からでる排気ガスも高速道から溢れ出て、下の町や森に流れているとおもわれ、相模湖周辺の生態系への影響がかなりあると思われます。




関野宿本陣跡

見事に何も残っていませんでした。
このちょっと先、右上に増珠寺(ぞうしゅじ)があり、その直下に庚申塚がありました。
それが唯一、関野宿の名残りでしょうか。

本日、ポンチョを着た街道ウォーカーを初めて発見!
(このあと、他の街道ウォーカーは見ませんでした。)




街道上にお寺がありました。


そこに石碑と江戸時代の力士・追手風喜太郎の案内板がありました。



雨予防のラップ巻きでスマホ画像がぼやけているので、画像が不明瞭ですね。

なんて書いてあるかというと下記の通り。

---------その案内板より

力士追手風喜太郎

 追手風喜太郎は、寛政十一年(1799年)甲州街道沿いの当地関野に生まれ、幼名を「松次郎」と言いました。その生家は、現在もこの寺近くにあり、佐藤博文氏が当主として守っております。
  松次郎が力士への道を歩むようになったのは、九歳の時、同郷出身の力士で叔父にあたる「追手風小太郎」が長崎巡業の折り、松次郎の家に立ち寄ったことから始まります。この時、松次郎は親の止めるのも聞き入れず小太郎の後を追い弟子入りしました。力士としての仲間入りをしてからは、松五郎とも呼ばれ、文政三年 (1820年)春場所には西三段目の下から二枚目となり、シコ名も「黒柳」と改めました。文政十二年には前頭筆頭となり、黒柳の名を「往右衛門」と改め、さらに天保二年(1831年)春場所からは「追手風」としました。
 その後、小結・関脇とすすみ天保七年には西大関と据り、同一〇年には土俵を退いたとのことです。
 土俵を退いてからの追手風は、年寄となり相撲会所の要職に着くと共に、門下からは多くの名力士を出しました。また、敬神祟祖の念に厚く、竜渕山増珠寺には五具足・燭台などを寄贈し、氏神の三柱神社には、青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の幡(写真)を献納しました。
  この「安昌久全信士」の碑は、文政一二年一一月二五日喜太郎の手により建立されたもので、追手風小太郎の碑であります。また、佐藤家の墓地には、昭和四六年建立された追手風喜太郎と弟子の横綱雲竜久吉の碑が建てられています。

昭和六一年二月 藤野町教育委員会
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時津風一門の相撲部屋として追手風部屋というのは現在も埼玉県草加市にあります。

小結の遠藤もその部屋の力士です。



そのすぐ先で国道と旧街道は別れるのですが、その場所にウルトラマンの人形が軽自動車の荷台に立って設置されていました。

何かの宣伝でしょうか?
こちらにスペシウム光線を浴びせかけているようです。
(注:正しいスペシウム光線のポーズは、腕を十字に組んで放つものである)




まあ、意味不明です。
シュワッチ!





境沢と欄干にかかれた橋をわたりました。

この辺りはちょっと体が重く感じられ、軽いはずのワラーチを引きずるようにして走ってました。
こんな時は無理せず歩きます。

さて、諏訪関という関所がこの橋の直ぐ先にありますが、期待するような関所跡は何もありません。



ご覧のとおりアッサリしたものです。

一応、説明版はありましたので写真として残しました。



よくよく案内をみると、明治天皇行幸の際のお召し替え所となっているから、関所の屋敷は、それなりの立派な建物だったんだろうと想像されますね。

そこで、どんな建物であったのだろうか気になり、あれこれと調べてみました。
(気になると、どしても調べなければ気が済まないのです。)



この建物は一時、王子の飛鳥山公園の渋沢邸別園に移され、その様子が明治43年に出版された近藤正一 編の名園五十種に描かれていました。



写真の一部内容は次のとおりです。
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左手は常磐木が生い茂った小山のような丘で、その半腹にかやぶき屋敷の古雅な一棟の家がある。入口が割合に低く、棟梁(むねはり)のがんじょうな様子から手おので削り成した柱などの純朴なことは決して尋常な建物とは見えない。執事の月岡君の話にこの建物は元、甲州にあって信玄が関所に用いて数百年の星霜を経たものをここに移したとだとか。勝手に構われた囲炉裏(いろり)、その上に下げたるところからの竹の自在があたかも黒うるしで塗ったごとく燻(いぶ)ったのまで、当時のままに保存されたるのは、ことにおもしろい。
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この建物が残っていたら良かったのにと、つくづく残念に思いました。



山の中の自動車学校の脇を通り、しばらく行くと諏訪神社があります。

小さいですが、綺麗に整備された神社です。


昔々、この辺りの村人は犬神様を祀っていたようですが、改宗されて今のようになったみたいです。
その時、取り除かれた祠の裏の土手に各家で石を置き、各々の石の上に飯と小魚に青木の箸を添えて、密かに祀っていたと伝えられています。

その石は今でもまとめて祀られているようです。

犬神(ピクシブ百科事典より抜粋)
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犬神とは、狐憑き、狐持ちなどとともに、西日本に最も広く分布する犬霊の憑き物(つきもの)。

呪術としての犬神

犬を首だけ出して土に埋め、その犬から届かぬギリギリのところに食料を置く。そして犬を飢えさせ、死ぬ間際に首を落とす。そうすると、犬の首は飛んで食料に食いつくという。そうやって作られた犬の首を媒介として行う呪術が犬神の術である。
また犬神は、一種の式神のようなものである。術者の意を受けてどこかから物を取ってきたり、あるいは何者かに害をなす。類似に飯綱の術(こちらは管狐を使役する)がある。
飯綱の術にもいえるが、このようなものを宿す家系を「憑きもの筋」といい、古くは差別の対象となっていた。このような憑き物たちは女性に受け継がれていくと言われ、憑きもの筋の女性との結婚が忌避されていた時代もあった。

一説には弘法大師・空海も使役していたという説話があり、猪の被害に困る村に訪れた際に、犬神を護符に封じて猪の来る方面に貼って畑の番をさせ、これを退けて見せたという。
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怖いお話ですね。
人間は一番残酷な生き物です。

この信仰は西日本に広く伝承されているようで、特に中国・四国・九州地方でとても有名だそうです。

(なお、埼玉県秩父市の三峰神社や東京都青梅市の武蔵御岳神社など、犬を神として祀る神社が多く存在しますが、これらの信仰における「犬」とは「ヤマイヌ」=「狼」のことと考えられ、「犬神」ではなく「大神(オオカミ)」であり、憑き物筋の犬神とは無関係です。)

この憑依(Possession) という現象は世界中のあらゆる宗教でみられますね。



この件で気づいたこと、思い出したことをお話します。



憑き物を落とすための霊媒師「お太夫さん、エクソシスト、陰陽師、等々」の話は聞いたことがあり、以前会社の職場の先輩が、子どもの頃、狐憑きになり祖母の紹介で霊媒師に憑き物を落としてもらったという話を聞いたことがあります。

その人は嘘をつくような人でなかったし、また特定の宗教を信じている人でもありませんでした。
ただ、事実として、そういう事があったし、実際に助かった、という話でした。

一種の催眠療法かもしれません。

言えることは、
人間の病は機械の故障とはちがう。心と密接に繋がっているのだ。
ということではないでしょうか。

霊媒師の真偽は別として、不思議なことに医学的に見放されてしまった人がそういうことで完治してしまうこともあるのは事実ではないかと思うのです。

それは、ガンが「心を解放すること。ガンを忘れて何かに夢中になる事」で完治してしまうことが多々あるのと同じことかと思います。



それと、またこの件で別の話を思い出しました。

村という小さなコミュニティーで憑きもの信仰は多いと何かの本で読んだ気がします。

そして、それは皆が力を合わせて働かなくてはならない村社会において、邪魔な存在となる「コミュニティーを乱す可能性のある人」を追い出すための「理不尽なのだが、一応理の通ったかのような陰湿な対処療法」であったという話であったかと思います。

「コミュニティーを乱す可能性のある人」

「ルールに縛られない我が道をいく人、目覚めた人、先見性のある人、はたまた、心身の障害を持つ人、さらには、強欲な人」

いままでの自分自身も考えてみれば、そういう組織に馴染めない人間で「何故か?出る杭は打たれるタイプ」ですから、世が世なら村八分にされてる人間だったかもしれません。

(つづく)



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