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旅ラン「甲州道走膝痛シ」…石和宿~蔦木宿、その10(なんば歩き)

2020年08月15日 | 甲州道走膝痛シ(旧甲州街道ランニング)

  
    

(すみません!
一部youtubeが公開設定になっていませんでした。
本日10/10訂正いたしました。)

旧甲州街道、台が原宿にて


そこで、お茶壺道中を調べてみました。

---------ウィキペディアより
宇治採茶使(うじさいちゃし)

宇治採茶使は、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中という。宇治では茶を栽培製茶して茶壺に詰めるまでが茶師の仕事で、その茶壺を運搬するのは購入者が行なうことになっており、幕府の場合、その茶壺運搬を御茶壷道中と称して幕府の威勢を示すのに利用した

(中略)

経路は年代により、年により変遷はあるが旧暦の4月頃、将軍家伝来の100個以上の空の茶壷が江戸を出て東海道を運ばれた。宇治に着くと初昔、後昔など最高級の碾茶を詰められて復路は中山道・甲州街道を江戸に向けて運ばれたが元禄時代までは甲斐国谷村(現・都留市谷村)の谷村城の近くに所在する勝山城(都留市川棚)の茶壷蔵に納められた。その後、富士山の冷気にあてて熟成され夏を過ぎてから江戸まで運ばれた。

この御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであるから自ずからたいへん権威があり、摂関家や門跡並で、御三家の行列であっても、駕籠から降りて、馬上の家臣はおりて、道を譲らねばならなかった
---------

お茶壺道中 ~ 再現された江戸時代の歴史絵巻


しかし、こんな斜めに進む歩き方、進み具合じゃ
トロトロしていて時間がかかりすぎますよね。

なんでこんな面倒くさい進み方なんでしょうか?

どうやら、この進み方は「俺たちの行列は凄いぞ」と威厳を示すために、大きな宿場や要衝の宿場、城下や関所など、特別な場所だけの行列行進だったようです。
ですから、普段はサッサと歩いていたと思われます。

しかも、「土下座しなさい」という意味の
「下にぃ~」
は御三家の行列だけで、その他の大名の場合は、道をよければやらなくてよかったみたいです。
立って見物していてもOKだそうです。

それに、行列しているのは他藩の領地なので下手な無礼討ちは問題になってしまいます。
(ただし、行列を横切ることは厳禁!生麦事件がその悲惨な例ですね。
でも、医者と産婆は行列が途切れるのを待っていたら患者が死んでしまうので横切ってもお構いなしでした。)


お茶の場合は御三家以上なのですから、当然に「下にぃ~」の行列ですね。

このトロトロ歩き方を調べていたら、面白いことが判ってきました。

まず、参勤交代の行列の進む速度ですが、なんと
「毎日40キロ程度の移動」であり、
「歩行時間は1日約10時間」
という大変にハードなペースだったみたいです。
ですから、藩主の身の回りを世話する次女たち女性たちには過酷すぎるので、行列とは別個に出立したようです。

それにしても、自分のジョグペースをはるかに上回っていました。
街道ランなんて言ってる自分が恥ずかしいくらいです。
いくら歳だとはいえ、相当、甘いです!


とにかく、かなりのな体力が必要であることは確かだと言えそうですが、
もしかすると歩き方も特殊な違う歩き方なのではないか?と考えました。

忍者走り?

そこで、またまた脱線ですが調べてみました

すると、歩き方が昔の人は違うという話がありました。・・・参考:加州大聖寺藩 参勤交代うぉーく2019

なんば歩きという歩き方だったというんです???・・・常歩(なみあし)ともいうらしい

ナンバ歩き-甲野善紀-


しかも参勤交代の浮世絵がこの歩き方になってました!


東京国立博物館所蔵
よく見ると右手右足、左手左足が一緒に出てますね。

より詳細な記事は以下ですので、ご覧ください。            
日本人 の歩き方 (神戸大学大学院 人文 学研究 科教授 高橋 昌明)

ただし、明治以前の日本人 がすべて「なんば歩き」していたというのは間違いであるという意見もありますのでご注意ください!

物のついでに、面白い参勤交代の動画を発見!

docomo - 歩きスマホ参勤交代 Samurai Smartphone Parade. 11 2015



  
    

話が脱線しました。



この台が原宿~白州町あたりは旧街道らしい雰囲気を残しています。

青い空のもと、若干ですが、ゆるい上り坂で気持ちが良く、ひとりジョグランしている自分の姿を撮ってみました。

台が原宿を過ぎて白州町へ(旅ジョグ)


徐々に家が少なく、広い田畑になり、旧甲州街道はさらに続いています。



人はいません。
この辺りは誰にも会いませんでした。

(つづく)


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