それは、日頃の授業で「知識を得る」とすると、受験にはもう一つ「テスト力」が必要になるからだ。
問題に慣れる。
時間配分を身につける。
できないところに気づかせ、次の課題を見つけさせる。
などなど。
これを経て、入試までに実力と経験の両方を徹底的に鍛えていく。
我々も生徒の現状を把握し、翌週以降の授業に活かす・・・のだが、
先日、国語のテストで、
何人かの生徒(1人ではなく複数)が「新聞」を書けなかった。
もちろん高校入試で「新聞」が漢字の問題として取り上げられることはない。
カンタン過ぎる。
単純に本文からの抜き出しなのだが、本文からの抜き出しにもかかわらず漢字を間違えるというのもどうかと思うが、それにしても「新聞」である。
まさか「新聞」を書き間違うとは。
テスト後、
キミたち!!
新聞を読め とは言わないが、書けるようにはなろうね。
その昔、ホンの数年前は、入試国語の漢字は、絶対に得点を計算できた。
しかし最近は、書けない漢字や読めない熟語が増えている。
それは漢字を書けないと言うよりは、そのコトバを知らないということ。
コトバを知らなくても生きていける・・・のかもしれないが、個人的には、この状況で、何かを学ぶことは困難だろうなと思う。
いわゆる「ゆとり」などとは違った別の何か、大きな学力低下の波が来ているのではなかろうか。