PISAは、このブログでもたびたび紹介しているが、OECD(経済協力開発機構)が3年おきに実施している「世界の学力調査(対象15歳)」である。
日本は、
数学的リテラシーで6位、科学的リテラシーで5位、と、比較的上位を維持しつつも、読解力では15位と、前回の8位から大きく順位を下げた。
個人的には、日頃我々が体感している通りの結果である。
おそらくは、ここからさらに下がっていくだろうし、数学的リテラシーや科学的リテラシーにおいても、同様の結果になっていくのは間違いないだろう。
後日、改めて具体的な実態を報告しようと思うが、現在の「読解力」というかコトバの状況はかなりマズイところに来ている。
こういう話になると、
「小学生から英語なんてやらせるからだ!!」という意見が多く出回るが、それは、コトの本質ではない。
いや、むしろ「英語」は、根本的な問題に蓋をするスケープゴート的な役割になっている。
そもそも日常「目に触れる」あるいは「耳で聞く」コトバ自体が激減しており、これは、もはや「学校マター」ではない。
核家族化が進み、なおかつ共働きが増え、オトナとの会話数が激減。
また、テレビ以外のメディアの台頭により、彼らの「ヒマ潰し」の中身も変わった。
ただただゲーム動画をポケーと見てたりして、生活のなかで空虚な時間が格段に増えた。
SNSが発達し、24時間体制で友達とコミュニケーションがとれることで、「親子のコミュニケーション」も激減。
こういった「生活習慣」が彼らのコトバの広がりを抑え、ひいては社会への興味や学びへのモチベーションを徹底的に下げ続けている。
英語云々なんて、この「生活環境」に比べたら超ミクロな話だ。
学校や教育指導要領の問題ではないのだ。
社会全体として、この現状をどのように捉え、つまり「是正すべき」なのか「時代の移り変わりとして容認する」のか、そこから議論し、具体的な動きが必要だと考える。
たとえば、「スマホの使用」に対して、国や地域で制限を設けるところもちらほら現れている。
具体的な動きとはこういうことだ。
そうしないと、この問題を各家庭に委ねていると、間違いなく「格差」が拡大する。
それすなわち社会の不安定につながり、国力の低迷につながるだろう。
社会全体でかなり目線を下げて、
どうやって「ひらがな」「カタカナ」をマスターさせ、日常会話に困らない程度の語彙力をつけさせるかを考えなければならない。
そして、それを「誰が」やるのか。
ここがこの問題の肝である。