一乗谷を本拠地として栄えた朝倉家は兵庫県北部 但馬の名門豪族から出て、越前を支配する戦国大名となった。

その出自は36代 孝徳天皇とする伝承と、9代 開化天皇とする伝説のふたつがある。時代的に数百年の差があるので両方の血を引いていても矛盾しないし、どちらにしても伝説的には天皇家に由来する名家であることに変わりはない。

但馬国 朝来郡(あさご)は、「朝 あさ くる 来」であって「あさくら」そのものである。

開化天皇後裔説では、その皇子 彦坐王が但馬にやって来る。但馬・丹波の桃太郎とでもいうべき存在で、在地の勢力と激戦を繰り広げた伝説が各地に残る。

孝徳天皇後裔説では、その皇子 表米親王の落人伝説になる。

越前に行く前の朝倉氏のなかでは強弓を引く豪傑として頼朝に賞賛された朝倉高清が目立つ。