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マハトマ・ガンディー
「ひとつの命への暴力は、すべての命へとつながる。
こうして、わたしたちは、
この世界の暴力から、ひとり無縁でいることはできない」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

パレスチナの解放を目指す緊急学習会
「ガザの抵抗とイスラエルによる虐殺が意味するもの」報告:早尾貴紀

【緊急生配信】D2021×CLP
「ガザで一体何が起きているか-民族浄化とは何か-」

————————————————————
☆パレスチナ系米国人アブドゥッラー・アル=アリアン氏
(カタールの大学の歴史学教員/早尾貴紀氏による試訳)

ガザ地区を生活不可能にする
―――――――――――――
☆小田切 拓氏

『ガザ地区問題と西側政治』 ―我々にも迫る危機―

〈イスラエルの次なる敵は、我々か?〉

 しかしことはそう簡単には進まない。10月7日に今回の事態(7 が始まってから一週間も経っていない12日、英仏独では親パレスチナのデモが禁止され、逮捕者も出た。一方で、同じ日にイギリス政府は、ユダヤ人を守るための資金を拠出することを決めた。

 今回の事態は、西側諸国の民主主義に劇的変化をもたらすに違いない。11月5日、アルジャジーラのウエブ版で、イギリス在住のイスラエル人歴史学者であり、シオニストによるパレスチナ人の民族浄化政策の存在を主張する中心人物イラン・パぺが、興味深い分析を行っている。今後、「パレスチナ人に味方する市民社会」が多数出てくる一方で、それらが属する「各国政府がイスラエルを支援し、免責する」状態が起きる。つまり「国民」と「国家」の深刻な分断を予想したのだ。

 ガザ地区の人口は約220万人だが、西岸地区にも325万人が存在する(ほか海外等に約900万人)。これらの移管が現実のものとなれば、欧米を中心に治安目的の統制は確実に強化される。シリア難民、ウクライナ問題も解決の糸口さえみえていないのだ。今後、国籍も人権の尊重も、絶対的な意味を失う可能性が高い

 12月10日、国連パレスチナ問題救済事業機関のラザリーニ事務局長は、これまでの展開から考えれば「(ガザの)パレスチナ人のエジプトへ移送が意図されている」と述べ、第一次中東戦争によるパレスチナ人の離散のような事態になる可能性にまで言及した。

※「我々」とは誰か、どんな存在なのか、本文の中では詳述しなかった。
  各人がそれを考え、定義することを期待する。”

――――――――――――
ガザを知る緊急セミナー ガザ 人間の恥としての
(2023年10月23日) 〔岡真理氏〕講演 日本語字幕


ガザは実験場です。
150万人以上もの人間を狭いガザに閉じ込めて、
経済基盤をも破壊して、
命を繋ぐのがやっと、という状況に留め置いて、
何年かに一度、大規模に殺戮し、
社会インフラを破壊し、
そういうことを16年間続けた時に、
世界はどうするのか》という‟実験
です。
〔そうして〕わかったこと、《世界は何もしない》。
ガザでパレスチナ人が
「生きながらの死」を生きようが死のうが、
世界は何の痛痒【つうよう】も感じない

彼らが殺されている時だけ、顔をしかめて見せるだけ。
だから、
なるべく、攻撃が世界のニュースにならないように、
できるだけ数日に納めるのが得策という事になります。
2022年5月の攻撃は3日で終了しました。
世界が報道する前に、ヒット・エンド・ランです。
いずれにせよ、停戦になったら、すぐ忘れられてしまう

75年前、
イスラエル建国によりパレスチナ人が故国を失って以来、
パレスチナの歴史、あるいはパレスチナ人の歴史は、
(中略)集団虐殺の歴史でした。・・・”
【44分~】

————————————————————
緊急報告会「ガザはどうなるのか?」
記録映像(2023年12月17日)


パレスチナ大使に聞くガザの惨状とパレスチナの未来

ガザ攻撃 天然ガス大国イスラエルの強気
西側先進国の思惑【半田滋の眼No.90】20231115

酒井啓子氏『現代の戦争と世界』(8分30秒~)
Stop the War―戦争をしない日本と世界を創る
※2022年6月18日公開

12月102023/12/10
『パレスチナに平和を!
日本政府は停戦を実現させろ!
12・10国会正門前大行動』

ロンドンでパレスチナ支持の大規模デモ
英政府は警戒強化 |TBS NEWS DIG

「貧困の終焉?」
グローバル経済の収奪構造をえぐるドキュメンタリー

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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

テント生活の避難者たち、
冬用の服や毛布もなく……
ガザ地区からBBC記者報告


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ベトナム戦争米軍撤退のきっかけのひとつに
米国防総省機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」
リークのエルズバーグ氏死去|TBS NEWS DIG

官僚と良心「国家はなぜ嘘をつくのか」
前川喜平×猿田佐世×梓澤和幸



“ 道徳の根本概念は我と物でなく、我と汝である。

 道徳はすべて我と汝の関係の認められるところに成立する
そのことは
人間を
単に他のとの間柄においてのみ考えて、
自己自身として考えない
ということではない。
我々が人格であるのは、
自己が自己に対する関係においてであって、
他に対する関係においてではない といわれるであろう。
しかし人間が
このように自己自身において道徳的存在であるということも、
自己が自己に対して我と汝の関係に立ち得るということに基づいている。
私は私自身に対して汝と呼び掛ける。
「汝為すべし」という道徳的命令は、
私が私自身に対して汝と呼び掛けるのである、
そこに道徳の自律性がある。
道徳を単に自他の間柄においてのみ考えるのでは、
道徳の自律性は考えられないであろう。
道徳的に自覚的であるということは、
自己が自己に、自己を汝として対することである。
カントが
良心を、主体の主体に対する関係として、法廷に譬え、
自己のうちに訴えられたものと その裁判官であるものとを
考えたのも、かような関係を示すものにほかならない。
良心的とは道徳的に自覚的である ということである。
過去の私、未来の私、否、現在の私も、
私は これを汝として これに対することができる。
かように
自己が自己に、過去現在未来のすべてにおける自己に、
これを汝として これに対し得る ということは、
人間存在の超越性に基づいている。
超越なしには道徳は存しない。
自己が自己に、自己を汝として対し得る自覚的存在として人間は
人格であり、
かような人格にとって他の人間も真に汝であるのである。
汝が真に汝として我に対するためには
我が真に我でなければならぬ。

 ところで「汝為すべし」という道徳的自覚は、
自己が自己に、自己を汝として呼び掛けることであるが、
それは同意に逆に、
かように呼びかけるものが むしろ汝
であり、
自己が汝に呼び掛けるのではなくて、
汝から自己が呼びかけることである。”
(三木清【著】『哲学入門』
1940年、岩波新書、168-170頁)

――――――――――――――

“良心は
人間の客観に対する関係ではなく、
主体に対する関係である。
倫理は
主体の主体に対する関係のうち
にある。
(中略)
・・・良心は単に内在的なものではない、
それは人間の主体的超越性を現わしている。
・・・良心的であるということは
単に内なる呼び掛けに応えることでなく、
外なる呼び掛けに応えることである。
外なる呼び掛けが内なる呼び掛けであり、
内なる呼び掛けが外なる呼び掛けであるところに、
良心がある

物が表現的に我に臨むということは、
主観的な我を否定すべく我に迫ることである。
知るということも、
もと物的表現の世界から呼び起こされることである。”
(三木清『哲学入門』163-164頁)

―――――――――――――――――――

道徳においては
私自身の真理が問われている
のである。
その真理は主体的な真理
言い換えると、真実、人間のまことである。
人間のまこととは何であろうか。
我が汝から喚び起こされ、
汝の呼び掛けに応えるということである。
かく応えることにおいて
我のまことは顕わになり、真理は起こる

即ち その真理は歴史的である。
それが道徳の存在の真相である。
呼び掛けは つねに具体的なものであり、
これに応える行為もつねに具体的
である。
汝から喚び起こされるためには、
我は純粋で、まことでなければならぬ。
本質的に歴史的な行為的な道徳的真理は、
具体的には、単に我のまことにあるのではなく、
また単に汝のまことにあるのでもなく、
我と汝との間にあるのである。

 道徳的真理 即ち真実が 信頼を基礎付ける。
信頼は、元来、
主体と主体との間に成り立つ関係である。
自己の呼び掛けに対して他が必ず応えるであろうと信頼する、
その際 他のまことが信ぜられており、
また応える側においても
自己に呼び掛ける者のまことが信ぜられている、
即ち 信頼は
人と人との間に真理が起こるということを土台としている。
(中略)

ところで
他の呼び掛けに応えることは責任をとるということであり、
それに応えないことは無責任ということである。
責任をもつということは 他の信頼に報いることであり、
無責任であるというのは 他の信頼を裏切ることである。
信頼と同じく責任の観念は 道徳的行為の基礎である。
もし信頼が ただ他を信頼するのみで
同時に 自己を信頼することでないとすれば
それは自己のまことを失うことになり、無責任なことになる。
責任もまた 単に自己の他に対する責任でなく、
自己の自己に対する責任でなければならぬ。
他の対して責任を負うことが 同時に
自己に対して責任を負うことであり、
自己に対して責任を負うことが 同時に
他に対して責任を負うことであるというところに、
人間のまことがある
のである。
そして人格の観念と責任の観念とは本質的に結び付いている。
人格とは責任の主体である。”
(三木清『哲学入門』173-174頁)

――――――――――――――

“      〈良心という根拠〉

わたし〔アーレント〕が
ソクラテスの言葉として引用したものが
道徳的に意味しているのは次のようなことです。

〈わたし〔ソクラテス〕が
参加の代価として求められることを実行したならば、
それがたんにご都合主義で実行されるか、
実質的な抵抗の唯一の機会として実行されるかを問わず、
わたしは もはや
自分自身とともに暮らすことができなくなるだろう。
だから わたしは、
自分に悪しきことがなされるままにまかせよう。
そして
わたしが参加を求められても拒んだことを理由に、
死刑に処せられるのも甘受しよう、
それでも悪しきことをなして、
生涯をこのような悪しきことをなした者とともに暮らすよりも
ましである
〉。
問題が殺人の場合には、
その行為を拒む根拠は、
殺人が行われないほうが世界がより善いものとなる
というのではなく、
わたしは
自分のうちの殺人者とともに暮らすつもりがない
ということにあります。”
(ハンナ・アーレント【著】/中山 元【訳】
「集団責任」( 『責任と判断』所収)
2016年、ちくま学芸文庫、288頁

――――――――――――――――――

‟起きたことを
「大量虐殺【ジェノサイド】」という言葉で呼んだり、
数百万に達した犠牲者の人数をを数えたりすることによっては、
この問題を道徳的な視点から考察することはできません。
ある民族を絶滅させるという行為は、
古代でも、近代の植民地でも実行されています。
第三帝国における殺戮の新しさは、
それが合法的な秩序の枠組みで実行されたこと、
この「新しい法律」の要【かなめ】が、
「汝殺すべし」という命令にあったこと、
しかも敵ではなく、危険をもたらす可能性もない人々を、
何らかの必要性のためではなく、
反対に
すべての軍事的な配慮やその他の功利的な配慮に反してまでも、
殺害することにあったことです。
この事実を認識することが、
道徳的な考察において重要な意味をもつのです。

 ナチスの殺戮計画は、
地上の最後のユダヤ人が殺害されれば終焉する
という性質のものではありませんでした。
この絶命計画は戦争とのかかわりのないものでした

戦争とかかわりがあるとすれば、
それは
この軍事的な目的をもたない殺戮作戦を実行するための煙幕として、
戦争が必要であるとヒトラーが考えていたためなのです。
この作戦そのものは、
戦争が終わったのちには
さらに巨大な規模で実行される予定
でした。
そしてこうした殺戮行為は、
無法者、怪物、狂乱したサディストが実行したのではなく、
尊敬すべき社会で、
もっとも尊敬されていた人々が手を下したのです。

 最後に、こうした大量殺戮者たちは、
つねに人種差別主義や反ユダヤ主義、
あるいは
いずれにせよ人口統計的なイデオロギーに基づいて
行動していたのはたしかです。
しかし殺害者とその直接の共犯者たちが、
こうしたイデオロギー的な根拠を信じていないことも多かったのです。”
(ハンナ・アーレント【著】/中山 元【訳】
「独裁体制のもとでの個人の責任」( 『責任と判断』所収)
2016年、ちくま学芸文庫、69-70頁

――――――――――――――

 ”私にとっては、
神とは真理であり愛である。
倫理であり道徳である。
かつまた、
無畏【むい】であり、光と生命の源である。
それにもかかわらず、
これらすべてのものの上にあり、すべてのものを超えている。
神はまた、良心であり、無神論者の無神論でさえある‥‥
人格的な存在を求める人たちにとっては人格神であり、
接触を求める人たちには化現【けげん】もする。(後略)”
(マハートマー・ガンディー 同 89頁)
―――――――――――――――――

‟真理とは何か、とは難しい質問である。
私は自分のためには、
内なる声が語ること、という解答を出している。”
(マハートマー・ガンディー【著】/古賀勝郎【訳】
同 101頁)

―――――――――――――――

“人生には、
最良の友とさえ袂【たもと】を分かって行動しなければならぬ時があるものだ。
義務の葛藤がある際には、
自らの内なる「静かな細き声」が常に最後の断を下さねばならない。”
 (マハートマー・ガンディー【著】/古賀勝郎【訳】
同 101頁)
 
――――――――――――――――




ガザへの「民族浄化」的なジェノサイド、
そして、
いま日本で無理に進められている
不自然なまでの軍備拡大の状況を受けて、
この2023年暮れの時点では、
少なくとも、この1つの記事だけは
書き残しておこうと思いました。

この記事では、
ベトナム戦争を終わらせるきっかけを作った、
(故)ダニエル・エルズバーグ氏についての記事を
書きます。

エルズバーグ氏は、
自分が終身刑を受ける事になろうが、
判決による刑罰を受ける事で、
仕事も家庭もすべてを失ってしまう事になろうが、
それを覚悟のうえで、
自分が従事し、作成している、
ベトナム戦争に関する政策決定の過程や模様が
克明に記載されている国防総省の機密情報を
「ニューヨークタイムス」や「ワシントンポスト」に
漏洩して、ベトナム戦争の実情を、
世間に知らしめる決断に出ました。
当初は、政治家に相談していたようですが、
問題が大きすぎて、
自分の身を守るために協力してくれず、

機密文書を新聞社にリークする、
という最終手段に踏み切ったワケですが、
しかし、
私たちが知ることになる
「歴史的な人物」としての
ダニエル・エルズバーグという人間が
「生まれる」には、
少なからずの人々の間の良心の連鎖〉が、
エルズバーグに
覚悟」と「勇気」をもたらした側面
を、
この記事では紹介したいというのが、
今回記事の趣向です。

彼が「ペンタゴン・ペーパーズ」暴露に
踏み切ることとなる前に、
アメリカの青年たちによる「良心的な態度」に
遭遇するのでした。

多くの若者たちの「良心的な態度を受けて
エルズバーグの裡で〈何かが生まれた模様を
この記事で見ていきたいと思います。



‟   〈ケーラー青年との出会い〉

  一九六九年、私は、
戦争抵抗者連盟の年次総会
(戦争抵抗者インターナショナルの三年ごとの大会との同時開催)
に足を運びました。
第一次世界大戦および戦後の良心的兵役拒否者の連合体に
端を発するさまざまな反戦団体を精神的に支えた多くの文学作品を
すでに読んでいました。
とりわけ、マハトマ・ガンディーやバーバラ・デミング、
マーティン・ルーサー・キング
さらにはソローなどの著作を好んで読みました。
自己犠牲をいとわず、
凶悪な行為へのかかわりを断つ非暴力的抵抗の思想に
感化されていましたが、
現実にこうした理念で人生をまっとうしている人々との出会いは
経験していませんでした。
(中略)
〔ペンシルベニア州の幅フォートで開かれたこの会議で
さまざまな人々に会ったが〕
なかでも強烈な印象を残したのがランディ・ケーラーという青年でした。

 私と同じハーバード大学を卒業し、
当時はスタンフォード大学の教育局で働いていました。
会議が終わりに近づいた頃、演壇に立ち、
反戦運動にかかわった経緯について発言していました。
彼は、
カリフォルニア州オークランドの
徴兵検査場での抗議活動で逮捕された経験があり、
一切協力しないことを徴兵委員会に通知して、
徴兵登録カードを送り返しました。

 ・・・発言によれば、
他の仲間たちは全員が徴兵への抵抗を理由に投獄され、
サンフランシスコで戦争抵抗者連盟に残ったのは
彼ひとりということでした。
反戦集団「徴兵への抵抗」の創業者でジョーン・バエズの夫〔当時〕であるデイビッド・ハリスも投獄中でした。

 ケーラーは、
いずれ獄中で仲間たちと再会できることを誇らしく思い、
満足していると語りました。
徴兵拒否裁判の有罪判決を期待している
という発言をはじめて耳にしました。
これからも運動は絶えることがないし、
自分が投獄されても
仲間たちに闘争が引き継がれることがわかっているので
幸せな気分だ、
と発言は続きました。

 心の底から、驚愕する思いでした。
なにがこの青年を駆りたててているのか見当がつきません。
多くの聴衆がすすり泣き、私も涙が流れはじめました。
会場を出て、裏手にある小さな男子用トイレに入り、
ドアをロックして床にすわりこんだまま、
ひどく興奮した状態で泣きじゃくりました

一年前ロバート・ケネディの死、
直前のマーティン・ルーサー・キングの暗殺を除けば、
なにか出来事に遭遇して大泣きした記憶は他にありません。

 これが私の祖国がたどりついた現実なのだと思えました。
私の見るところ、
同世代の最良の青年たちが、
自分の人生をかけて最善の行為に訴えると、
投獄の憂き目を見るのです。
理不尽な戦争に自分たちは加担しないし、すべきでもない、
と最大限の強さで意思をあらわす行為
です。
むろん、私の思いも同様でした。

 当時、一四歳の息子のことを思い、
「投獄されるために生まれてきた」とうい考え
が頭に浮かびました。
実際、四年後、十八歳になった息子は、
ベトナム戦争の継続する状況で徴兵が可能になりました。
彼は徴兵カードを返却し、私に相談もなく、
投獄される危険を冒しました。
自分自身で決断し、私には事後報告でした。
当時、徴兵を拒否する多くの青年があらわれ、
およそ五万人が裁判所に出廷し、
投獄される可能性のある訴訟手続きを強いられました。
その後、さらにそれを上回る数十万人が徴兵への協力を拒みました。
ニクソンは徴兵を中止し、撤回する羽目になり、
私の息子も裁判にかけられずにすんだ
のです。

 トイレに座り込んで泣き続ける私の頭に、
自殺を思いつめている男のことを歌ったレナード・コーエンの曲
「ドレス・リハーサル・ラグ」が流れ、
反復される歌詞にふるえる思いがしました。

 自分の祖国に起きていることを思いながら
長い時間泣き続けた末に、
ようやく立ちあがり顔を洗って、自分に問いかけました。
「よし、投獄の覚悟はした。
自分としては、

戦争の終わりを早めるために、なにをすればよいのか?」
これが私の人生の岐路になりました。


 後にランディに話す機会もありましたが、
獄中への道の途上にあるという言葉を彼が口にしてときには、
まるで斧が私の頭に振りおろされたように感じました。
私の人生がふたつに断ち割られる、
ということが実際に起きたのです。
それ以前とそれ以後で切り離され、
以来、残りの人生を私は生きてきた
のです。


   〈声をあげ、立ちあがった人々〉

 スウェーデンやカナダに逃亡するのではなく、
良心的兵役拒否の道を選ぶのでもなく、
投獄をあえて受け入れることを選択した若きアメリカ人に触れることで、
私の人生は一変しました。
理不尽な戦争に加担してはならないという主張を、
可能なかぎり強く発信することが彼の目的でした。
その主張の強みを理解し、
私の人生に照らして感じることが多かったゆえに、
異議申し立ての威力を学びとり、
それが私を変えてくれた
のです。
先駆けとなった若者たちへの感謝の念を忘れず、
後に続く人々に伝えてその行動を励ましたいと思いました。

 こうした行動にどんな効果があるのか、
われわれには計り知れません。
さほど強くないかも知れない、
しかし可能性は常にあります

ランディ・ケーラーが
徴兵センターの入口に座りこんで抗議行動を展開したとき、
これで戦争を終わらせることができる
と確信していたわけではありません。
一方、
私のような元政府関係者に影響が及ぶとは、
よもや考えてもいなかったことでしょう。
それでも、彼は抗議を続けました

やがて私もそこに加わり、
戦争のゆくえを左右する数々の真実を伝える役割を担ったのです。
その影響がどんな結果に行きつくか、

正確なことが誰もわかりません。”
((ダニエル・エルズバーグ【著】/梓澤 登・若林希和【訳】
『国家機密と良心——私はなぜペンタゴン情報を暴露したか——』
岩波ブックレットNo.996、2019年、83-88頁)


“エドワード・スノーデンがモスクワからかけてきた電話で、
ダニエル・エルズバーグがいなかったら、
自分の存在はなかった

と話すのを聞き、とても誇らしく思いました。
私にはこの上ない栄誉です。
ドキュメンタリー映画
『アメリカで最も危険な人物
——ダニエル・エルズバーグとペンタゴンペーパーズ』
を観たスノーデンは
行動への意欲を大いに高められた、と言ってくれたのですが、
まさしくランディ・ケーラーとの出会いが
私の人生を変えたのと同じこと
でした。”
(ダニエル・エルズバーグ【著】/梓澤 登・若林希和【訳】
『国家機密と良心——私はなぜペンタゴン情報を暴露したか——』
岩波ブックレットNo.996、2019年、92頁)


『国家機密と良心』の中でエルズバーグは、
彼の父親も、
良心的な決断で仕事を辞めたことを、
述懐している。

 彼の父ハリー・エルズバーグは
構造工学技術者で、
水爆の原料を生産する
大掛かりな工場の設計責任者になるように
求められ、
《ハンフォード事業全体の構造系の責任者》として
任され、従事していた、
と後々に、89歳になった時に、
息子のダニエル・エルズバーグに告げた。

しかし、父ハリー・エルズバーグも、
その仕事を辞める決心をする。

その仕事を辞めたのは、

ハリーだけだったという。
水爆製造のハンフォード事業の仕事から
ハリーが辞めた理由も、
良心的なものであった、という。



「水爆を製造するのは嫌だった。
なにしろ、爆破力が原爆の1000倍以上だ!」(79頁)

「自分が、
母国の土地をずっと汚染し続ける事業計画のもとで働き、
数千年も人間が暮らせない土地を生み出しているのかも知れない、
と思うと堪えられなかった」(80頁)

最後に、
自分が何かを決心するのは、
自ずから沸きおこるものに
あるいは、
汝なる自己からの喚びかけに、
人生や世界からの問いかけに、
自らが応えるものであるとしても、

誰かがひとり犠牲になるのではなく、
誰か1人が100%のちからを出しきって
ボロボロにされるリスクを負うのではなく、
一人に100パーセントの力を出させて、
その人の人生を犠牲にするコミュニティとは、
どれだけ冷たく
自己中心的な人たちばかりの社会なのだろうか。
それよりか、
100人が1パーセントずつ出しあって、
おなじ結末を出せるほうが、
どれだけ健全なコミュニティか、
とぼくは思う。

―――――――――――――

大矢英代×金平茂紀
 『「新しい戦前」のなかでどう正気を保つか』
【著者に訊く!】 20231121

"アメリカでいちばん危険な男"
ダニエル・エルズバーグとペンタゴン文書
(2009 09 16 放送) デモクラシーナウJP

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
菅原文太氏のスペシャルゲストあいさつ

20231212 UPLAN
【「台湾有事」を起こさせない・沖縄対話プロジェクト】
「台湾有事」を起こさせない
―北東アジアにおける平和の準備

20231106 UPLAN
井原聰「経済安保法「改正」と
セキュリティ・クリアランス法制化の狙い」

民間空港港湾が軍民共用に
~日本全土を危険にする防衛政策
【田岡俊次の徹底解説】20231206

「非戦」大国のはざまの安全保障
 出演:猿田佐世 / 半田滋 / eri / 塩田潤

「安保3文書」1年を問うシンポジウム
――「戦争の時代」を拒み、平和の選択を――

23/12/5(火)18時半~
経済安保法「改正」の名のもとに
大拡大する秘密法体制


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガザ・ジェノサイド:
「そこに転がっている(娘の)手を渡してください」
(『ガザ・モノローグ』)


【以下の抜粋は、途中から】
‟友よ、昨日、イスラエル占領軍は
ガザのバプテスト病院を爆撃し、
今の時点〔10月18日当時〕では500人以上が殉教している。
殉教者らはバラバラに切り刻まれ、肉の山となった。

劇作家として、我々は
演劇「アンチゴーヌ」は最も残酷な悲劇の一つとして理解している。
クレオン王がアンチゴーヌの兄弟の埋葬を禁止し、
そこから死後であったとしても、
人間であるとは何を意味するのか、
尊厳とは、価値とは、権利とは何かについての
2人の間の会話が展開される。
アンチゴーヌは
自分の目の前にある兄の遺体を見て、
彼を埋葬しないままにしておくことに堪えられない。
バプテスト病院の
虐殺された、頭のない、手のない、あるいは足のない遺体は
我々の時代の新たな悲劇となった。

バプテスト病院の瓦礫の傍らで
年配の女性が看護師にこう尋ねた。

若者よ、
そこに転がっている手を渡しなさい。
指輪でわかった。
それは今朝、
私がニュースを見るために椅子に座るのを
助けて支えてくれた娘の手だ。
テレビをつけてくれた手だ。
娘は家を出る前に私に挨拶し、手にキスをしてくれた。
いつも私を抱きしめて肩を優しく叩いてくれた手だ。
髪をとかしてくれて、いつも爪を切ってくれた手だ。
若者よ、
その手は、私の最後の日々の力の源だった。
娘〔の手〕に最後のキスをさせておくれ。
そうすれば、私はこれ以上、娘の身体を求めずに済む。


【原文】 https://www.gazamonologues.com/_files/ugd/07c7f7_040c56316075402094320b5a43889080.pdf

 

この母親は、自宅を爆撃された。
その家の中には5人の子供がいた。
母親は子供たちの名前を叫んだ。
「Bara'a、Mutaz、Tayseer、Aya、Mahmoud…」
「今では私は、戦争を恐れなくなった。
何も失うものがないから」
そう彼女は言った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
     「なくてはならないもの」
             長田 弘
(おさだ ひろし)

なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものは いつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することのできないものだけ
なのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
草。水。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星【ゆうずつ】の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないもの
だ。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
砂漠の歴史の書には、そう記されている。
「すべての人の子はただ死ぬためにのみ
この世に生まれる
人はこちらの扉から入って、
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている」
この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
本を閉じて、目を瞑【つむ】る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。

※括弧内・フェルドウスィー『王書』(岡田恵美子 訳)より

――――――――――――――――――――
 


     「なくてはならないもの」
             長田 弘
(おさだ ひろし)

なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものは いつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することのできないものだけ
なのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
草。水。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
空気の澄みきった日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星【ゆうずつ】の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないもの
だ。
真夜中を過ぎて、昨日の続きの本を読む。
「風と砂塵のほかは、何も残らない」
砂漠の歴史の書には、そう記されている。
「すべての人の子はただ死ぬためにのみ
この世に生まれる
人はこちらの扉から入って、
あちらの扉から出てゆく。
人の呼吸の数は運命によって数えられている」
この世に在ることは、切ないのだ。
そうであればこそ、戦争を求めるものは、
なによりも日々の穏やかさを恐れる。
平和とは(平凡きわまりない)一日のことだ。
本を閉じて、目を瞑【つむ】る。
おやすみなさい。すると、
暗闇が音のない音楽のようにやってくる。

※括弧内・フェルドウスィー『王書』(岡田恵美子 訳)より

――――――――――――――――――――

三人の魔女「きれいは汚い、汚いはきれい。」
(シェイクスピア『マクベス』)

これは、ある一人の8歳の少年が
イスラエルによって殺害されてしまう瞬間。

アダム・アル・ゴールは、8歳の少年だった。
彼にとっての世界の中心は、サッカーと家族と友達で、
そうした存在の周りをまわって生きていた。

彼は、占領されたウエストバンクのジェニンで、
イスラエル兵によって射ち殺される。
 

この母は、自宅を爆撃された。
その家の中には5人の子供がいた。
母親は子供たちの名前を叫んだ。
「Bara'a、Mutaz、Tayseer、Aya、Mahmoud…」
「今では私は、戦争がこわくない。
何も失うものがないから」
そう彼女は言った。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガザ・ジェノサイド:
「そこに転がっている(娘の)手を渡してください」
(『ガザ・モノローグ』)


【以下の抜粋は、途中から】
‟友よ、昨日、イスラエル占領軍は
ガザのバプテスト病院を爆撃し、
今の時点〔10月18日当時〕では500人以上が殉教している。
殉教者らはバラバラに切り刻まれ、肉の山となった。

劇作家として、我々は
演劇「アンチゴーヌ」は最も残酷な悲劇の一つとして理解している。
クレオン王がアンチゴーヌの兄弟の埋葬を禁止し、
そこから死後であったとしても、
人間であるとは何を意味するのか、
尊厳とは、価値とは、権利とは何かについての
2人の間の会話が展開される。
アンチゴーヌは
自分の目の前にある兄の遺体を見て、
彼を埋葬しないままにしておくことに堪えられない。
バプテスト病院の
虐殺された、頭のない、手のない、あるいは足のない遺体は
我々の時代の新たな悲劇となった。

バプテスト病院の瓦礫の傍らで
年配の女性が看護師にこう尋ねた。

「若者よ、
そこに転がっている手を渡しなさい。
指輪でわかった。
それは今朝、
私がニュースを見るために椅子に座るのを
助けて支えてくれた娘の手だ。
テレビをつけてくれた手だ。
娘は家を出る前に私に挨拶し、手にキスをしてくれた。
いつも私を抱きしめて肩を優しく叩いてくれた手だ。
髪をとかしてくれて、いつも爪を切ってくれた手だ。
若者よ、
その手は、私の最後の日々の力の源だった。
娘〔の手〕に最後のキスをさせておくれ。
そうすれば、私はこれ以上、娘の身体を求めずに済む。”


【原文】 https://www.gazamonologues.com/_files/ugd/07c7f7_040c56316075402094320b5a43889080.pdf

 

 

――――――――――――――

ここ最近は、
毎度ヴィクトール・フランクルの話ばっかり
引き合いに出してきて恐縮ながら、
フランクルの生前の言葉で、
その時々の決心や決定によって
〈人間は天使にも悪魔になる〉
といった言葉があった。

ガス室を作ったのも人間ならば、
そのガス室に
祈りを唱えながら入っていったのも人間
だった、
という。
そしてフランクルは、
ナチス側かユダヤ人側か、によって
人を裁かなかった
ようだ。

このフランクルの言葉は、
皮肉にも、
いま私たちが目の当たりにしている模様が、
いっそうの説得力を増して
裏づけてしまっているように見える。

フランクル研究や翻訳をされている
諸富祥彦氏と広岡義之氏との対談も
収録されている、
『もうひとつの〈夜と霧〉』という本のなかに、
生前のフランクルの逸話が紹介されている。



‟諸富
 〔「お前はナチ寄りではないか」

という批判を同胞たちから受けるほど
それほどまでにフランクルは、
ユダヤ人かナチかに分けてはいない、
結局一人ひとり個人の問題なのだ

だから集団的責任という概念はない。
責任というのは
個人が決断することに対する責任なのだという考えを
よく貫き通した
と思いますね。
あれはフランクルの最も立派な点だと思うんです。
これも〔広岡〕先生の本で知ったことですが、
「よく君はああいうことが言えるなぁ」と、
あるナチの親衛隊だった人に言われたときに、
フランクルは
「あなたには言えない。あなたが言うと責任逃れになってしまう。
私は被収容者のユダヤ人だったからこそ言えるのだ。
殺される運命にあった人間の生き残りだからこそ言えるのだ」
と答えているのですね。
これは最後まで非難囂々【ごうごう】ですよ。
なんでこんなときにそんなことを言うのだと。
しかも戦後間もなく
ですよ。
その時点でそれを言うのはものすごい勇気が要ったことだと思うんですよね。

広岡
 フランクルは
もちろんユダヤ人の共同体の一員だったんですけれども、
今おっしゃったように、
強制収容所のユダヤ人の中にも、
立場上仕方なく収容所を管理するカポとか
ナチの立場に立つ人たちもいた
わけですし、
あるいはドイツ人の中にも
こっそり薬をポケットマネーからユダヤ人も渡す人たちもいた

ノルマンディ―上陸から連合軍が挽回して
1945年に解放されたのですが、
そのときフランクルは、
ドイツ人だけれどもこの人たちはすごく協力してくれたので
処罰しないでくれ
と体を張って連合軍の兵士にかけ合ったりもしています

それから戦後すぐにも、
ドイツ人がみんな悪いわけではなかったと言うのですけれども、
これは勇気の要ることですよね。
そんなことを言うと、
同僚のユダヤ人たちから総スカンを食うわけですよね。
お前はほんとにナチを擁護するのかと。
でも彼は最後までそれを貫き通す
のです。
そういう意味では強い信念の人であったというべきか。

諸富
 そうですね。
ナチスであったとかユダヤ人であったかによって
人生の価値が決まるのではない。
人生の価値というのは、
自分の人生の状況にどういう態度をとるか。
どんな絶望的な状況に置かれていたとしても、
それに対して個人がどういう態度をとるかによって決まる
のだ
という思想を徹頭徹尾貫いている。
これがフランクルの思想のいちばんの骨子ではないでしょうか。”
(諸富祥彦・広岡義之【訳】
『もうひとつの〈夜と霧〉』170-171頁)


イスラエルの閣僚たちは
パレスチナの人たちを
「動物」だとレッテルを貼った。

しかし、たとえば
「デモクラシーナウ」でのインタビューで
ハマム医師が答えた姿勢の内容は、
ハマム医師の気高さを物語るものだった。

ハマム医師たちの姿勢や言葉は、
うえに貼りつけた
新宿での緊急デモで読み上げられた
パレスチナ人劇作家のアリ・アブ・ヤシン氏が、
ガザへの無差別攻撃下で紡いだ文章の中で、
引き合いに出された『アンティゴネ』、
尊厳とは、価値とは、権利とは何か、
と同じように、
〈私(たち)の「魂/良心」に問いかけてくる〉。

ここでは、
‟人権”という言葉は使いたくない。

いま目の当たりにしているのは、
人権”のダブル・スタンダード
のような光景だからだ。

けれども、
この「良心」のうずきや「神の道理」と
人権とには、じつは繋がりあるようだ。

アンティゴネ』の悲劇の訓えは、
西洋の自然法や人権感覚の
思想源流として流れていることを、
憲法学者の笹沼弘志氏による
『臨床憲法学』を通して知ることができる。

「国王であっても
従わねばならない高次の法、神の法」(46頁)
がある、という思想の源流には、
『アンティゴネ』の悲劇が流れている、と。



“・・・新たに王となった兄弟たちの叔父クレオンは、
祖国を守った英雄エティクレスには壮大な葬儀を執り行う一方、
逆賊ポリュネイケスについては、
埋葬しても泣き悼んでもならないとの布令を出した。
亡き兄弟の妹であるアンティゴネーは妹イスメーネーに、
布令を知りつつ、
鳥や犬に喰われるままに放置されている兄ポリュネイケスの亡骸を
埋葬しないか、ともちかける。
しかし、イスメーネーは
王様の布令を破って王権を蔑ろにしてはならないと、
埋葬を思いとどまるように諫めた。
アンティゴネーは
妹の忠告を聞かずポリュネイケスを埋葬し、逮捕され、
王クレオンの前に引っ立てられた。

 兄を埋葬したのか、布令は知っていたのか
と問うクレオンに対して、
少女アンティゴネーは臆することなく答えた。
布令を知らないわけがない。
お布令を出したのは神様ではない
たとえ王でも、人間の身で、
死者の葬り方を定めた神の掟を破り捨てることなどできない。
自分は神の掟に従っただけだと敢然と言い切った
(中略)
  ・・・神の掟に背いたクレオン王は
一気に家族を失い、
国も滅亡の危機に瀕することとなってしまった

人間の弔い方、人間の尊厳を定めた神の法を犯す国は
滅亡の危機に瀕するのだ
という教えである。
主権者が定める法といえども、
人間の尊厳を定めた神の法を犯してはならないのである。

 しかし、
アンティゴネーの悲劇と教訓はそれだけにとどまらない。
ほとんど忘れられた存在となっている妹イスメーネーとの会話が
それを教えてくれている。
布令に背いてでも亡き兄を葬ると言うアンティゴネーに対して、
イスメーネーは、王の布令を破ってはならないと、次のように諭す。
(中略)

 弱い者は力ある者に、
女は男に服従しなければならない、
歯向かっても ろくな事にはならないとイスメーネーは言う。
しかし、
アンティゴネーはそれを振り切って敢えて弔った。
国法だけでなく、弱い者は力ある者に、
女は男に服従しなければならないという社会通念さえ覆すのが、
人間の尊厳を定める神の法なのだ。”
(笹沼弘志【著】『臨床憲法学』
2014年、日本評論社、47-48頁)

アンティゴネーと
妹イスメーネーとの《それぞれの立場》は、
シェイクスピア『ハムレット』の
主人公《ハムレットの葛藤》と重なるかもしれない。

〇【0-mい】K・ポランニー『ハムレット』受容~「自覚」における「自主と責任」と「自己愛的決断」~
〇【0-j】②“新ストア主義者”スピノザ理解のための「ストア主義」&「ロゴス」理解

私たちは、
その両者の立場の間で股裂きにあう》。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」
と葛藤させられる。



父の亡霊の命じるままに
クロ―ディアス王の殺害を実行すれば

愛するオフィーリアや友、自分の王位、母、
そして自らの命など、彼が大事にしてきたすべてを
喪失してしまうかもしれない
。”
(若森みどり【著】
『カール・ポランニー ~市場社会・民主主義・人間の自由~』
NTT出版、2011年、24頁)

‟ハムレットは、
できるなら決断を
永遠に遅らせたかったのではなかろうか。
ほとんどの人間は、
自らの意志や望んだ結果ではない人生の選択肢から
逃げ続け、
決断すべき決定的な瞬間意識的に取り逃して、
空虚な人生に甘んじる
。(Polanyi, 1954: 348)”
(若森みどり 同書 26頁)


しかし、現場に残り、
イスラエル軍の無差別攻撃によって
殺されてしまった、
例えば医師の人たちの死やメッセージが、
それでも、私(たち)に問いかける。

フランクルは
「神」とは、
自己に対して極限的に誠実である時
もっとも親密な自己対話の相手
だと言ったことがある。
(『苦悩する人間』166頁)

《その相手/汝》のほうから
私に問いかけてくる


私が、
《人ではない生き物》になる時は、
その「自己のうちの汝」との対話
やめて声を聞かなくなった》時なのかもしれない。

「魂」について、
臨床心理士でもある諸富祥彦氏が
魂が深く満たされた病者」と
魂の空虚な健常者」

という対比を設けた文章において、
8年うつ病に患った人との会話を紹介している。

精神科医のヴィクトール・フランクルは
「心理の次元」と「精神/魂の次元」とを
まったく次元が異なるものとして区別していた、
という。
「精神/魂の次元」を軸にして人を見ると、
この世の中には、
魂が満たされている者と魂が空虚な人がいる、
という。
健康ではあっても、
仮に成功していても、金持ちであっても、
魂が空虚な人がいる
また逆に、
メンタルヘルスの面では
病者であるのだけれども、
魂/精神の次元では満たされている、
という事がある、と。


“「先生、
いま考えると、
私、うつ病になってほんとうによかったと思います。
うつ病になる前は、毎日が空騒ぎの連続でした

ちょうどバブルだったこともあって、
一生懸命仕事をして稼いで遊びに明け暮れていました。
けれどもそのあと、いろいろなことに失敗してうつ病になりました。
うつ病になって私は初めて、魂の世界というものを知りました
精神の深い世界というものを知りました。
いまのほうがはるかに満たされた日々を生きています。
もしうつ病にならなかったら、
私は空っぽのまま生きていたと思います。
それは、ほんとうに怖ろしいことです
。」

 私【諸富祥彦氏】は思いました。

 魂が空虚な健康者や成功者になるくらいだったら、
「魂の満たされた病者」でありたい、と。
魂の満たされた不成功者でありたい。
魂の満たされた貧乏人でありたい、と。

 メンタルヘルスというときのメンタルは、
「精神」ではなくて「心理」という意味です。

 心理の次元で病を持っていても、
魂は満たされている人もいる。
同様に社会的には
不成功者であれ、貧困であれ、
魂が満たされている人もいる。

 逆にどんなにお金持ちで、
どんなに成功していて、どんなに健康でも、
魂の空虚な人もいます。

 この二つのベクトル
——社会的な成功や富、健康という「水平性のベクトル」と、
精神的な高みや深さ、魂の濃度といった「垂直性の次元」——
を明確に区別したのが
フランクルの大きな業績の一つだと思います。

 私は、魂の空虚な成功者になるくらいだったら、
魂の満たされた不成功者でありたい。
魂の満たされた病者でありたい。”
(諸富祥彦/広岡義之【著】
『もうひとつの〈夜と霧〉』2017年、ミネルヴァ書房、155-156頁)

魂の空虚》と《死への愛》とは
つながっているのかもしれない。

フロムは、
人が誰かを愛するとき、
その前提や土台として、
「信じること/信念」が不可欠だ、という。
友情でも愛情でも「信じること」が欠かせない、
と言った。

愛や友情の前提に
自己」が出来ている必要がある
といった。

「自分自身を『信じている』者だけが、
他人にたいして誠実になれる」からだという。


‟人間関係においても、信念は、
どんな友情や愛にも欠かせない特質
である。
他人を「信じる」ということは、
その人の根本的な態度や人格の核心部分や愛が、
信頼に値し、変化しないものだと確信することである。
こう言ったからといって、
人は意見を変えてはならないという意味ではない。
ただ、根本的な動機は変わらないのである。
たとえば、
生命や人間の尊厳にたいする畏敬の念は
その人の一部分
であって、変化することはない。

 同じ意味で、私たちは自分自身を「信じる」。
私たちは、自分のなかに、
一つの自己、いわば芯のようなものがあることを確信する

境遇がどんなに変わろうとも、
また意見や感情が多少変わろうとも、
その芯は生涯を通じて消えることなく、変わることもない。
この芯こそが、「私」という言葉の背後にある現実であり、
「私は私だ」という確信を支えているのは、この芯である。
(中略)
 自分自身を「信じている」者だけが、
他人にたいして誠実になれる
。”
(エーリッヒ・フロム【著】/鈴木昌【訳】
『愛するということ』
紀伊国屋書店、1991年、182-183頁)

いまイスラエル軍が
生成AIを使って合理的に計算して
「民族浄化」的なジェノサイド》を行なっている。

「民族浄化」的なジェノサイドだけでなく、
フロムは
ある人を殺さず、自由を奪うに留め、
ただ相手を辱め、その所有物を奪う
》だけでも、
それは《死への愛》であり、
死を愛する者は《必然的に力を愛する

と言っている。
(『悪について』ちくま学芸文庫、44頁)


イスラエルが
パレスチナに対して行なっていることが
これは《死への愛》的と言えるだけでなく、
また、
今日の身の回りにおいて恐ろしいは、
《生死への無関心》というかたちの
《死への愛》
も、広がっていることだ。



‟ ここで
ネクロフィリアの〈社会的条件〉に話を戻すと、
次のような疑問が浮かんでくる。
ネクロフィリア〔死への愛〕と
現代の産業社会の精神とは、
どう関わっているのか。
さらに核戦争への動因に関して、
ネクロフィリアと生への無関心は
どのような意味を持つのか。

 私〔フロム〕は ここで、
現代の戦争を引き起こす誘因となる〈すべて〉の面を
とりあげることはない。
それら〔戦争を引き起こす誘因〕の多くは
核戦争と同じく、以前の戦争においても存在していた。
ここでは
核戦争に関する、
〈一つ〉のきわめて重要な心理学的問題だけをとりあげる。
これまでの戦争を正当化する説明が どのようなものであろうと
――攻撃に対する防衛、経済的利益、解放、栄光、日常生活の維持――
それらは核戦争には当てはまらない。
〔核兵器が使用されれば、その後の光景は〕
防衛もない、
利益もない、
解放もない、
栄光もない、
“よくて”国の半分が数時間で灰になる。
文化の中心地が破壊され、
生存者が死者をうらやむような
野蛮で非人間的な生活だけが残される。

 これらすべてのことが
予想されているにもかかわらず、
核戦争への準備は着々と進み、
抗議行動がいま以上に広がらないのはなぜなのか。
子や孫をもつ人々が、
なぜもっと多くの抗議に立ち上がらないのか。
このことをどう理解すればいいのだろうか。
生きたい と思う理由がいくらでもある、
あるいは
そう見える人々が、
全面的破壊を考えて平気でいられるのはなぜだろうか。
それには数多くの答えがある。
だが、
そこに次の理由が盛り込まれていなければ、
満足のいく回答とはなりえない。
人が全面的な破壊を恐れないのは、
生を愛していないから
あるいは
生に無関心だから
さらには
多くの人は死に惹かれているからとさえ考えられる。

〔現代の人々が、
核兵器に対して否定の動きに出ない事から、
現代の人々が、じつは生を愛していないか
生に無関心か
むしろ死に惹かれ愛しているのではないか、という〕
 この仮説は、
人は生を愛し死を恐れる、
さらに現代の文化は
これまでのどの文化よりも刺激と楽しさを人々に与えている

という、私たちの推測と相反している。
しかし、
だからこそ私たちはこう問いかけなければならない。
いまの楽しさと刺激は、
もしかしたら生の喜びとはまったく違うもの
ではないだろうか。”

‟核戦争への抗議が少ないことや、
われらが”原子科学者”が全壊または半壊の損得勘定について
議論しているのを見ると、
私たちがすでに“死の影の谷”の奥深くに入り込んでいることがわかる。”

※引用文中での太字・フォント拡大・色彩・下線は引用者。
なお、〈〉囲みでの表記は、引用文中では傍点で強調表記。
(エーリッヒ・フロム【著】/渡会圭子【訳】
『悪について』2018年、ちくま学芸文庫、67-68、72頁)

―――――――――――

“「根源的な悪は
すべての人々をひとしく無用視するシステムと結びついて現れた
と言っていい。
そういうシステムを操っている者たちは、
他の人々を無用だと思っているだけでなく、
自分自身も無用だと思っている

全体主義における殺戮者たちがそれ以上に危険なのは
かれらが自分の生死を意に介することなく、
自分は生まれても生まれなくてもどうでもよかった
と思っているから
である。…」”
(ジュリア・クリスティヴァ【著】/青木隆嘉【訳】
『ハンナ・アーレント講義』2015年、論創社、6頁)


《ガザへの「民族浄化」》が無くても、
シリアやパレスチナなどで
「越冬」募金などの支援が
毎年必要とされるのにもかかわらず、
住宅もライフラインも破壊され、
水も食料も衣服も
圧倒的に不足しているという。

まだ数千人もの人たちが
攻撃で崩壊したガレキに
埋もれて身動きが取れないまま、
寒さや飢えや衰弱死・・・
もしかしたら孤独と悲痛を抱えて、
お亡くなりになっていっているかもしれない。

早く攻撃から解放されて
衣食住の支援が差し伸べられて、
まずは、冬を乗り越えてほしい。


【緊急生配信】D2021×CLP
「ガザで一体何が起きているか
-民族浄化とは何か-」

 

 

(「食料も水も電気もない人たちは?」「ガザ!」
「これからお祭りとなっていくのは誰?」 「ガザ!」
「テントで暮らすことになるのは?」 「ガザ!」
「空軍がビルをぶっ壊すのは?」 「ガザ!」
「我われはテロリストとの和平など望んでいない。
これは、イスラエルの土地。ガザとの平和を望んでいない」)
 


『パレスチナのちいさないとなみ』
【ゲスト:高橋美香】2023年11月14日(火)
大竹まこと 小島慶子 高橋美香
【大竹メインディッシュ】

【インタビュー】
私たちは「死傷者数」という「数」に
置き換えられる存在ではない
―アマルさんインタビュー

自爆テロの被害者 母親は今何を思う
/揺れるイスラエル それぞれの本音
【10月25日(水)#報道1930】

『愛国の告白―沈黙を破る・Part2―』予告編

(土井敏邦)
*【注意】衝撃的なシーンを含みます。

パレスチナ大使に聞くガザの惨状とパレスチナの未来

ジアム大使【5分50秒~】
「パレスチナ解放機構(PLO)は、
パレスチナの全ての政治勢力を含んでいますが、
《ハマスとイスラム聖教だけは外れています》。
というのも、
イスラエルとパレスチナとの平和協定であるオスロ合意を認めないからです。
しかし2006年の総選挙の時に、米国政府とイスラエルは、この選挙に、
《前提条件なしに》ハマスを参加させる事を求めてきました。
〈そんな事をして、ハマスが勝利してしまったらどうする?〉

と米国とイスラエルに言いましたが、
彼らは〈それで良い〉との回答でした。」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「武力で作れる平和はない」――イスラエル出身、ダニー・ネフセタイさんインタビュー

(2023.10.24 認定NPO法人Dialogue for People 安田 菜津紀)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
パルシック【ご寄付のお願い】パレスチナ・ガザ緊急支援
〇【署名】イスラエル・パレスチナでの「市民に対する無差別攻撃の即時中止/人道的支援の増強/恒久的停戦に向けた平和会議の設置」を日本政府として正式に提案を! 一般財団法人PEACE DAY

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


“     〈人間の規格化・均質化〉

 人間個人は一人ひとり顔が違うように、
性格も嗜好も思想も多様である。
その多様な個々人を
均質的な製品に仕上げる「改造行程」は、
それ自体、徹底した規則優先・管理主義を特徴
とする。
生活者としての人間個人のすべての側面
(頭の先から足の先まで、食べること、寝ること、排便、
セックスに至るまで)が
徹底的に規則化・規格化される。
内務班長の「一日ニ於ケル業務実施著眼事項」を
見ると、
朝の人員点呼からはじまって、消灯後まで
都合二六三項目のチェック・ポイントが列挙されている
…。
  (引用者中略)
これらは、ほんの一例であるが、
一個の人格をを持った人間個人を
ここまで徹底的に管理すること自体
人間個人に対する冒涜といえる。
しかし、のような人間管理の方法は、
各人の人間性や人格といったものを否定するには
実に効果的な方法
であった。
  (引用者中略)

【水島朝穂氏】
「内務班では、
規則でがんじがらめにされていたようですが。」

【久田栄正氏】
規則なんてもんじゃない。
細かいだけでなく、
無内容なこと実に詳細に規定化されている

人間は「考える葦」といわれるが、
軍隊の内務班教育というのは、
この考えるという人間の最も大切なことを奪ってしまう
何から何まで管理されると、人間は無気力になってくる
いわれたことをやるだけになる

これが、
命令に絶対服従の人間を作るのに効果的だったんですね。
私のような「反軍思想」を持つ人間も含めて、
根本的に思想改造してしまう
そんな装置の役割を果たしたといえる
でしょう。」

【水島朝穂氏】
「内務班の規則主義・管理主義を見ると、
今の小・中学校の現状とだぶってきますね。
特に、校則による管理には凄まじいものがあります。
子供を管理する対象としか見ない
個性あふれる生きた人間個人として見ていない

それらを作った教師たちの人権感覚を疑いますね。…」
(水島朝穂【著】
戦争とたたかう~憲法学者・久田栄正のルソン戦体験~
2013年、岩波現代文庫、45-49頁)
―――――――――――――――――

“【久田栄正氏】
「…私はルソン島の体験がなければ、
おそらく憲法学の道に進むことはなかったと思います。
私にとって国家とは、
私に対して命令権を持った具体的人間であり、
戦争とは、
このような権限を握っている人間たちと、
それに服従を強いられる具体的人間でつくられる
具体的な人間関係であると考えています。
戦争と軍隊はまず、
この人間の権利を剥奪するところから生まれる

私が憲法13条(個人の尊厳)に
平和的生存権の根拠を求める理由は、
この戦場での体験によるところが大きいですね。」

【水島朝穂氏】
「〈『全滅の思想』のなかでは、
指揮権が優先し、人権は無視される。
これが戦争というもの
だろう。
人権を云々しては戦争はできない〉
(楳本捨三『全滅の思想』8頁)。
軍の論理からすればこうなる。…」”
(水島朝穂【著】『戦争とたたかう』同、242頁)

―――――――――――――――――

“【久田栄正氏】
「戦場で生き残るのに「私的制裁」が効果があった
という評価には反対です。
私の体験からしても、
殴られることによって鍛えられるというのは
人間を馬鹿にした発想です。
そんなのは本当の強さではない。
軍隊ですから、どこの国でも訓練は厳しい。
しかし、殴ったり、いじめたりすることは
強い兵隊を作ることにはならない。
むしろ、
内容班で人間性を否定された兵隊が、
戦闘に無関係な民間人や武器を捨てた捕虜までも
殺していく
のです。
帝国陸軍の弱さの現われですね。」
(水島朝穂【著】『戦争とたたかう』同、71-72頁)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

冬のような寒さになってきた。

とすれば、
家屋もライフラインも破壊され、
水も食料もエネルギーも断たれ、
病院も医療者も支援職員も
イスラエルに虐殺され、破壊された。
パレスチナの人々のことを
想わずにはいられない。

――――――――――――――

いまデスク上に、
戦慄をおぼえる2,3冊の書物がある。

そのうちの1冊が
シルヴァン・シペル【著】
林 昌宏【訳】/高橋 和夫【解説】
イスラエルvsユダヤ人』(明石書房)。

この本1冊を手に取って中身を見てみても、
いまパレスチナで起きている出来事を
2023年10月7日を基準にして
眺める事などできなくなる。

イスラエル政府による
パレスチナ《占領》政策の内容はう
アパルトヘイト”や“抑圧”。

イスラエル政府は
パレスチナ人を追い出すために
土地や生活資源を
ゆっくりと確実な方法で没収する事で
パレスチナ人の生活や生存を
耐えがたいものにすること”を、
意図的かつ組織的で合理的に
長年おこなってきている
という。


近年のガザ地区では、
若者の自殺が急増しており、
自殺の原因は、〈貧困〉と絶望感だという。
自殺増えるガザの絶望、パレスチナ自治区
(2015年10月12 AFP)
ルポ「ガザは今・2019年夏」・6「急増する自殺」
(2019年10月6日 土井敏邦)

イスラエル国防軍のパレスチナ政策には
《パレスチナ人たちが
常に支配下に置かれている」という意識を
“植え付ける”意図
》がある
という。

イスラエル軍は、

新兵の訓練として、
恣意的かつ適当に

家宅捜索をする家を選び、
何の説明もなく
深夜に
兵士全員でガサ入れに入り、
誰も逮捕されることなく、
途中で捜査が中止され

イスラエル軍は立ち去っていく
(時には家が破壊され、人々を殴る)。

がさ入れされた理由を、
家宅捜索された人々には、
誰にも皆目わからない


これによって、
パレスチナの人々は
家宅捜索に入られた家も、
近隣住民も皆が
疑念と恐怖や不安に陥れられる》。

もうひとつ、
この深夜の恣意的な家宅捜索によって、
新兵の良心《徐々に破壊する》意図があるという。
初めは、良心の呵責を覚えるが、
よほどの強い精神力が無ければ、
「兵士」としての日常の職務に”慣れて”
人間としての尊厳失っていく
という。

こうして、
上に貼りつけた「報道1930」で紹介されている、
土井敏邦「愛国の告白—沈黙を破る・Part2」での
NGO団体「沈黙を破る」の
元イスラエル兵士の告白のように、
非人間的な任務を与えられても
倫理的な感覚がマヒして何とも思わない人間
が生み出されてしまう
、という。
【動画の26分~】に、
土井敏邦氏が、次のようなコメントをされている。

生存の基盤を奪い、尊厳を奪うような
構造的な暴力と呼ぶべき、この《占領》政策は、
パレスチナ人を苦しめるだけでなく、
イスラエルの若者の良心を殺いでダメにし、
イスラエル社会も崩壊させてしまう
、と。

じじつ「検問所300」というゲートでは、
ゲートの通過を待ち望んで
行列をつくるパレスチナ人を、
何時間も待たせ、
人々をあちこちに翻弄させて、
《パレスチナ人を精神的に追い詰める
恣意的で残酷なゲーム
》となっているという。
この〈検問所〉の光景ひとつをとっても、
イスラエル兵士は
パレスチナ人に対して
無関心》で《冷酷無比》になっているという。

すると、
パレスチナ人を追い出すための、
《意図的で首尾一貫した残酷な「占領」政策》
が、
イスラエル社会から「人間性」を喪失させ
人として」のイスラエル社会をも
崩壊させているようにも見える。

――――――――――――

『イスラエルvsユダヤ人』を通して、
イスラエルが、
GDPに占める武器輸出額の割合が
アメリカの4倍にも相当
し、
世界中の様々な暗黒政権に
武器供給をしてきた
こと
を指摘している。

独裁政権や暗黒政権にも
武器輸出をするという
イスラエルの伝統な”国益追及”の他方で、
サイバー監視システム技術》や
難民に対する《管理ノウハウ
を、
近年のイスラエルは、売り物にしているという。

1970年代に、ロシアから、
高度な教育を受けたユダヤ人の流入により、
アメリカの資金援助のもと、
イスラエルは、農業国からハイテク国に変貌した。

‟ハイテク国家”イスラエルは、
パレスチナ人への占領で培われた
監視システムのテクノロジーとノウハウ》を
海外に輸出してきている
——監視技術は、
アメリカ政府にも売られている——


イスラエル政府は、
ヨルダン川西岸地区とガザ地区への
《占領》状態のなかで、
ガザ地区は
監視システムの実験場」になっていたり、
イスラエル軍は、
ドローンやミサイルや、様々な爆弾など
「新兵器の実験室」
にしたりしている
、という。
また、
ヨルダン川西岸地域は
サイバー独裁者を生み出す実験室”となっているという。

イスラエルが《サイバー監視技術》で
他国に対して‟優位にある”のは、
《パレスチナ自治区の占領》を通じて、
制約なく実験ができるから”だ
、という。


このイスラエルの“優位性”は、
イスラエル‟国内の反体制派市民への抑圧政策”によっても支えられている。

狂信的な人種差別主義のインドのモディ政権、
ロヒンギャ弾圧を行なったミャンマー、
ウクライナのネオナチ組織「アゾフ連隊」、
ハンガリーの極右政権、
ブラジルのボルソナロ元政権など
独裁的・自民族中心主義・宗教色が強い”政権
イスラエルの政治スタイル》をお手本にしている
という。

安倍政権も接近した
イスラエルの政治スタイルというものは、
国際法を無視してでも、
自国民の圧倒的な支持を得るやり口
》であった。

パレスチナ占領に「国内で反対・抗議する者」、
イスラエルをユダヤ人だけの国にする、という理念を
否定する者」は、
“イスラエルを弱体化させる人物”として
そのサイバー監視システムの対象になるという。



イスラエルは、
国民を密かに管理し、人権を抑圧するために
最先端のサイバー技術を活用する先駆者
だ。
自分たちの存在を脅かす民族(パレスチナ人)
および
国内の反体制派を
サイバー監視する分野において
イスラエルが先頭を切るには理由がある。
世界中を見渡しても、
政府が国民の統治や権力維持のために最先端のテクノロジー
何の制約もなく利用できる国は、
イスラエルをおいて他にない
からだ。“
(シルヴァン・シペル【著】/林昌宏【訳】/高橋和夫【解説】
『イスラエルvsユダヤ人
——中東版「アパルトヘイト」とハイテク軍事産業』
2022年、明石書店、162頁)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「政府が国民の統治や権力維持のために
最先端のテクノロジーを
何の制約もなく利用」している国は、
じつは、まだある。


デスクの上にある、もう1、2冊が、
ジェフリー・ケイン【著】『AI監獄ウイグル』と
福田直之【著】『内側から見た「AI大国」中国』だ。


著者のジェフリー・ケインによれば、
2017年以降、
新疆ウイグル自治区の
高校などの多くの建物が
拷問や洗脳や強化のための拘留施設に
再利用されて、
最大級の強制収容施設となっているという。
人々は
このディストピア化を”状況”と呼び、
収容所送りを免れたとしても、
新疆ウイグルでの生活は“地獄”だという。

政府から派遣された監視員を隣にして
毎朝目覚め、
出勤前には
中華人民共和国国家の美徳を
家族に教え込む姿勢を見せて、
自分の「成長度」を監視員にチェックされる

また、中央政府から任命された
地域の自警団の役員が
自宅内に「不規則なこと」がないかを
チェックし

日課を終えた自警団の役員たちは、
その検査が終わったことを報告すべく
自宅のドアに取り付けられた
《機器にカードをスキャン》する


目覚ましをかけ忘れれば、
「その犯罪」のために、
地元の警察署に出頭して
取り調べを受けるはめになる。

ガソリンスタンドに立ち寄るにしても、
食料品店に行っても、
どこに行っても、
武装警備員が立つ入り口に設置された
IDカードにスキャンしなければならない


スキャンして「信用できる」という表示が出れば、
‟入店することが許される”
という。
逆に、スキャナーをかざして、
画面に「信用できない」と表示された場合、
その人物は入店することが”できない”。
スキャンして「信用できない」と表示された場合、
警察官がやってきて、
「信用できない」人物として尋問をうけ

一体化統合作戦プラットフォーム(IJOP)
と呼ばれるプログラムを使って、
スマートフォンで身元確認がされる。

《IJOP》のデータベースには、
何百万台もの監視カメラ、裁判記録、
市民内通者から政府が集めたマスデータが
集積されており、
その膨大なデータを、AIが情報処理する。
「予測的取り締まりプログラム」
に基づいて
その人物が将来に何かしらの犯罪を犯す、
“AIが判断し”、
〈その人物を強制収容所に送るべきだ〉と勧告し

警察官が同意した場合、
その人物は「再教育」のために連行される
その人物は「再教育」を終えて、
いつか戻ってくるかもしれないが、
二度と戻ってこないかもしれない、という。

しかも、
《「少数民族専用」のレジ》があり、
自分の《購入履歴が常に監視されている》。

仕事が終わって、車で家に帰るにしても、
幾つもの検問所を通過し、
自宅のある地区の入り口ゲートで
IDカードをスキャンする
》。
つまり、
新疆ウイグルも、
IDカードをスキャンせずに
出入りすることは許されない「ゲットー」
なのだ。

自宅では、わが子が、
学校で教わった「愛国心」など
中国の中央政府の美徳について話をし、
それに反対意見や否定をして
子どもがそれを学校などに話そうものならば、
連行される羽目にあう

また職場では、同僚たちが、
一挙手一投足を見張っている
という。


こうした日常は、
戦時下の
《軍機保護法によってもたらされた張り詰めた日常》や
《東ドイツのシュタージによる監視社会&密告社会》的な日常に、
《デジタル・テクノロジー》が、
監視社会化の精度向上の面で
貢献しているようにしか見えない。

かつての東西ドイツを震え上がらせた秘密警察「シュタージ」のアーカイヴ施設に潜入してみた
小社会 密告社会
特定秘密保護法案 沖縄への影響を考える2
コロナ禍、ベルリン市民が懸念する旧東ドイツ監視社会の記憶


中国の内政問題の背景として、
新疆ウイグル地区で、
民族問題が多発してきたようだ。

しかし、民族問題の他方で、
新疆ウイグルは、
「一体一路」構想の“出発点”であり、
(太平洋横断ルートに代わる
国際的な貿易ルートを、中国が確立すべく、)
新しい陸路とパイプライン網の‟出発点”にして
ヨーロッパ側からすれば“終着点”に位置した。
その事から、中国は、
新疆ウイグルを、
“平和な状態にする”必要
があるようだ。

民族問題の多発を受け、
中国政府は、
監視システムによる締め付けを強化した。

監視システムの強化の上で、
AIテクノロジー》は、
監視能力を、各段に高めている
ようだ。

AIテクノロジーによって、
中国は“徹底的な監視国家”となる。

しかも
14億人もの人口がいる中国の場合、
AIテクノロジー開発の点で、
膨大な人口は、強みをもたらしてくれる

人口が多ければ多いほど、
その多くの人間の動きが
データを生み出してくれる
からだ。
そのデータをAIが学習し、認識精度を高めていく

AIによって監視カメラの性能は
各段に高まる

現在では、顔の特徴だけでなく、
歩幅や歩くテンポ、腰の角度や足の角度から、
その特定人物の歩行動作の特徴を割り出し、
顔をサングラスやマスクで隠したとしても、
「骨格の動き」や「動作の特徴」だけで、
個人を特定化できてしまう
という。
すると、
カメラの解像度が低かろうと、
骨格データと計算能力が高ければ、
特定ができてしまう


中国で、監視カメラが急速に普及したのは、
2016年~2018年にかけてだ、という。
監視カメラネットワークの名前は
スカイネット(天網)」。

監視カメラ網と
AIの顔認識や音声認識能力などによって、
個人を識別でき、
いつ・どこで、何をしているか、を
簡単に把握できるようになった


しかし怖ろしいのは、
監視カメラとAIテクノロジーだけではない。

いまや「AIテクノロジー大国」中国は、
屋根のない家」と喩えられる。

中国では《キャッシュレス社会》が進み、
《デジタル人民元》が
スマートフォンの財布アプリで管理される

‟キャッシュレス”であるので、
一人ひとりの購入履歴が丸裸で、
現金(キャッシュ)のような「匿名性」は‟ない

数回前記事の生権力の「生政治」で言えば、
デジタル人民元》は、
‟個々人の購入履歴が丸見え”という点で
国内的/領土内では
個人監視を可能にする治安ツール〉である
と同時に他方で、
対外的/国際的には、
デジタル通過システムを途上国に輸出し、
デジタル人民元を国際化する
事で、
米ドル覇権に挑戦する〈国際基軸通貨化ツール
と言える。
《デジタル人民元》は、
対内的には監視ツール
対外的には基軸通貨ツールの足掛かり

また、中国には、
戸籍情報や家族関係、
成績や仕事ぶりなどの生涯の経歴や賞罰、
さらには思想信条まで細かく評価・記録される
档案【タンアン】
」という制度が元々ある、という。

さらに、《AI》によって昨今では、
人々はスマートフォンの決済アプリを通じて、
芝麻信用を利用する《キャッシュレス社会》が

中国では急速に進んだ
https://www.am-one.co.jp/warashibe/article/chiehako-20201113-1.html
https://www.hokeni.org/docs/2019100200010/

年齢、学歴や社会的地位、職業などの身分、
アリペイでの決済情報や取引履歴、
マイカーや住宅などの資産状況、
交友関係やSNSにおける人間関係、
消費の特徴などが、
スコアに反映され

そのスコア点数が
350点~950点までの範囲の点数で表示され、
中国社会における
芝麻信用の普及浸透化
により、
個々人は、
信用スコアの点数を稼ぐこと腐心し
また信用スコアが下がること恐れ、
点数を失わないように、
法律やルールやマナーを守るようになった
》という。

フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰』でも
取り上げられているジェレミー・ベンサムが
《パノプティコン》で夢見ていたような光景
は、
スコアリング社会化》が生み出した
法律やルールやマナーの順守化
に、
現実化されている。

7-1】〈パノプティズム〉と「電子テクノロジーの発達」による《ポスト・パノプティズム》と


しかし、
信用スコアの点数に、自分の形振りや行動原理が支配される》ような日常や人生に、「人格的日常」や「精神的自由」はあるのだろうか?

信用スコア点数の上昇と下落によって
〈自由度の幅〉が変わるとしても、
それがどんなに高い点数であっても
データによる社会管理の枠内での行為》に変わりない。

ミシェル・フーコーの「権力」観っぽく見れば、
《スコアリング》は、見方によっては
人の行動や形振りを《左右する装置》をなし、
信用スコアという装置の枠内で
「自由」に行動できる》
にすぎず、
その意味では、
《スコアリング社会》や《キャッシュレス社会》は
逃げ道のない《規律権力》的な状況をもたらし得る。

7-3f】「電子テクノロジーの発達」による《ポスト・パノプティズム》又は《超パノプティズム


『AI監獄ウイグル』著者ジェフリー・ケインに、
ウイグルのガイド役マンスールが、
こう教えたという。



”「不確かな状況に置くことが、
人々をコントロールするために有効な方法です」
(中略)

カメラ、人工知能、顔・音声スキャナーを使えば、
「国全体をパノプティコンに変えることができます
(中略)

「あなたもすでに目撃したはずです。
いたるところにカメラがあり、
スマートフォンとコンピュータはハッキングされ、
市場や学校に入るときにはIDカードのスキャンが強制され

お互いに密告するような家族や友人お金が支払われる

それに、

信用度のための“社会ランキング”が全員に与えられています・・・
そして、ルールを不規則に適用するんです」
と彼は説明を続けた。
たとえば、
社会ランキングの低い人夕食をともにしたという
些細な違反をしただけで、
強制収容所送りになるケースもある
という。

そうなると社会すぐに崩壊する
とマンスールは続けた。
事実や真実から遮断され、つねに監視下に置かれると
多くの人は敵と味方を区別することできなくなり
政府に対抗するために必要な情報も得られなくなる
友人が友人を裏切り、
上司が部下を密告し、教師が生徒の秘密を暴露し、
子どもが親を攻撃する

すると誰もが政府に庇護を求めるようになる


 そのように利用されたテクノロジーは、
もはや人間の善の部分を解放するものではない

と私は気がついた。
それは、
人間のもっとも暗い衝動のための刑務所でしかない

そして中国では、
テクノロジーを支配する者が国を支配する
。”
(ジェフリー・ケイン【著】/濱野大道【訳】
『AIウイグル監獄』
2022年、新潮社、41-42頁)


ジェフリー・ケインは、
習近平による発言から、
習近平による
「AI大国化」と「監視社会化」政策
の背景に、
軍隊を機械化し、強力な近代国家をつくり、
帝国主義的な海洋帝国の大英帝国
との
アヘン戦争に敗れ、
中国の支配層はアヘンにおぼれ、
イギリスの支配下に置かれた、
屈辱の中国の過去の歴史
に、さぐる。


先進技術は、
近代国家にとって鋭利な武器となるものです。
現代において欧米諸国が世界を支配できた理由は、
彼らが先進技術手にしてきたからです。
真のコア技術をお金で買うことはできません。
まさに『国家でもっとも鋭利な武器を公開するべきではない』
ということわざのとおりです」
(ジェフリー・ケイン『AI監獄ウイグル』、120-121頁)


アメリカが
パナマ運河を建設し、
大西洋と太平洋とを素早く移動できる
巨大な地政学的権力を手に入れた
ように、
習近平の中国も、
ユーラシア全体を結ぶ陸路の
「一帯一路」の超大陸化を狙っている
、という。

先に見た、シルヴァン・シペル【著】
『イスラエルvsユダヤ人』の解説で
国際政治学者の高橋和夫氏が、
アメリカは、
東アジアで中国と対峙すべく、
軸足を、中東から東アジアに移し始めた、という。
オバマ政権のときに唱えられ、
トランプ政権でも引き継がれ、
そしてバイデン政権で実行されているところ
だ、
という。

いま、私たちは、
ガザへのジェノサイド》を冷たく静観する、
欧米先進国の指導者層の、
《アメリカなどの地政学的都合など》
をも
目撃している。

パレスチナに対する冷たさ》を通して、
アメリカの地政学的都合などの政治的都合》を
垣間見ているのではないか。

その《冷たさ》
ここ、東アジアを舞台にした〈米中覇権戦争〉に
当てはめた時、
《パレスチナで今起きていること》は
パレスチナだけに限ったことではなく、
‟この日本も他人事ではない”
ように見える。

防衛ジャーナリストの半田滋氏も、
『内側から見た「AI大国」中国』の著者で
朝日新聞記者の福田直之氏も、
中国の‟ハイテク大国化”に
脅威を感じているアメリカは、
〈中国が高性能半導体を
まだ現段階では‟製造できない”状態〉を、
“中国のアキレス腱”と見て、
《半導体を狙い撃ちをしている》こと
を指摘する。

半田滋「アメリカが、中国の台湾侵攻を「絶対に許さない」と言える根拠」

私(たち)にとって
不気味で不思議でしようがないのは、
——ウクライナと違って、
中国による台湾侵攻があった場合に、
米国は台湾を守るのか?
——
というインタビュワーの質問に、
「イエス」と答えた
バイデン大統領(のアメリカ
)が、
《パレスチナでの無差別攻撃と虐殺》に対しては
冷たい”ことだ。

経済安保》&《IPEF》&《経済的徴「用」制度化》など《米国の「捨て石」空母化する日本》!?
9a】《先制攻撃》論という新たなマントラ/標語 ~911後世界のセキュリティ幻想~



米国が台湾防衛にこだわる理由
【半田滋の眼68】20221025

20220404 UPLAN 纐纈厚
米本土防衛の盾にされる日本列島
~米中対立・台湾有事の背景を探る~


平和フェスタ2023纐纈厚氏講演

同盟は寝返りの歴史
【田岡俊次の徹底解説】20210629

2015/6/19 柳澤協二×泥憲和
「亡国の安保政策 安倍政権と『積極的平和主義』の罠」

台湾有事のリアル~台米日とも損失甚大
【田岡俊次の徹底解説】230117

集団的自衛権での敵基地攻撃
報復「日本、大規模被害も」2023.2.6

南西諸島のミサイル基地配備問題
羽場久美子さん
「台湾有事とアメリカのインド太平洋戦略」
~東アジアの平和のための、日本の役割~

「非戦」大国のはざまの安全保障
 出演:猿田佐世 / 半田滋 / eri / 塩田潤

ガザ攻撃
天然ガス大国イスラエルの強気 西側先進国の思惑
【半田滋の眼No.90】20231115 

品川正治さん講演会(2/4)

佐高信「この国の会社」
原子力の平和利用に惑わされなかった
「保険人」品川正治


――――――――――――――
【12月25日追記】
以前に、
メガFTAとAIとプラットフォーム覇権との関連について、物事を探りつつ、
記事を書いていた時に、
元NSAの暗号解読の職員で
冤罪的に裁判にかけられた
ウィリアム・ビニー氏が、
あるインタビューで答えていたことを
紹介したことがある。

アメリカは
世界中の情報を吸い取る
シンスレッド》というシステムを構築はしたが、
集めたビッグデータが膨大すぎて、
‟処理する能力を持ってない”
点についてを、
ビニー氏は当時、答えている。

もし、その膨大なビッグデータを
処理できる手段”があるとすれば、
それは、AIなのではないだろうか?

2】監視社会化と人工知能《監視社会化=人工知能=プラットフォーム覇権=メガFTA=資本
6】「シンスレッド」をめぐる攻防~911以降の《対テロ戦争》で進むアメリカの《非立憲》社会化


〇〈スノーデンの警告「僕は日本のみなさんを本気で心配しています」なぜ私たちは米国の「監視」を許すのか
 【小笠原みどりの「データと監視と私」一覧
技術は差別と暴力にどう加担するのか IBMとホロコーストの歴史を知る
新型コロナにケータイが効く? ビッグデータという名の私の情報が使われる
マイナンバーというゾンビ 新型コロナで義務化を仕掛ける政府が隠す過去

オリバーストーン監督の日本への警告20170118NEWS2

米国の同盟国をやめた瞬間に、
CIAのマルウェアが日本中のインフラを崩壊させる!?
スノーデン証言の真偽は⁉︎
ーー映画『スノーデン』のオリバー・ストーン監督に
岩上安身が直撃

20231020 UPLAN 小倉利丸
「サイバー戦争へ踏み込む日本

——安保三文書の意味とは」

【Talk It Out】「戦争と原発 新潟の視点から」
パーソナリティ:佐々木寛(国際政治学)


こんにちではもはや、
安易な楽観主義に立って、

最近の時代に出てきた問題を
簡単に無視することはできないということです。
私たちは、悲観主義になったのです。
私たちは、
もはや進歩そのものを信じていません

人類の発展が、自動的に達成されるなどとは信じていません。
機械的な進歩を盲目的に信じるのは、
もはや満ち足りた俗物がすることになりました

こんにちでは、
進歩への信仰は、反動的であるといえるかもしれません

こんにち、私たちは、
人間がどんなことをしでかすかを知っています

(中略)
・・・以前、活動主義は、楽観主義と結びついていましたが、
こんにち、
活動主義の前提になっているのは悲観主義です。

 というのも、こんにちでは、
行動を起こすどんな動機であれ、それは、
ひたすら信じてみを任せることができるような進歩というもの
ないことを知るところから生まれるからです。
こんにち、私たちが
手をこまねいていてはならないとするなら、
私たちのひとりひとりにかかっているからなのです。
その際、私たちが意識しているのは、
そもそも、ひとりひとりの内面の進歩しかない
ということです。
(中略)
この技術の進歩こそ進歩そのものであるかのような
強烈な印象
がありますが、
それは、ただ、
私たちがちょうど技術時代に生きているからにすぎない
のです。

 私たちは、
悲観主義にもとづいてしか、
行動を起こすことができません

懐疑的な態度をとってはじめて、
なお何かしようと手をのばすことができるのです。
(中略)
このバラ色の宿命論よりは、
冷静な活動主義の方がましです
。”
(V・E・フランクル【著】/山田邦男・松田美佳【訳】
『それでも人生にイエスと言う』
1993年、春秋社、8-10頁)