豪雨、地震、台風、最後に地震と、今夏日本列島が襲われた。これだけの短いスパンで自然災害が重なることは珍しい。毎年のように来る猛暑が、異常気象と感じられなくなった矢先、一夏で甚大な被害に覆われた。大阪北部地震は震源がすぐ傍で、台風は経路の真ん中を生活の拠点にしており、それらは恐怖を超えて、死すら感じさせるほど自然の力に、私はただただ畏れること以外に無かった。

 

地震も暴風雨も地球にとってみれば、地表でたまたま起こる変化にすぎない。それが大災害となって牙をむいた。人間が抗えない大きな力が天地とすらならば、どんなに神々の名を叫んだところで、古代は天照大神やゼウスでさえもその一切の愛を否定し、なんと無慈悲で理不尽なものなのだろうか。私達はその度に、立ち尽くし嘆き悲しむ他はない。

 

「すぐに営業を再開せよ」

「出来る状況ではありません」

本社からやっと繋がった社内電話の第一声からは、従業員の安否すら聞かれることは無かった。それでも清い日本人の特性なのか、次々と遅出の社員が出社して来る。地震では水道管が4本ずれ、社内は水浸しとなり、そしてガスは止まった。その修繕は深夜にまで及んだ。台風では、雨漏りと電気がしばしば止まった。その度にけたたましく鳴るセコムのアラームを解除する一日が続いたのであった。

「営業はしているのか」と

「納品トラックが事故や横転したので遅れる」

という電話しかその間聞くことは無く、帰宅難民と化した社員を道路に無数に散らばった瓦を避けながら、

「替えたばかりの新品タイアだからパンクすることはない」

と私は言い聞かせ、彼らを家まで送るというのが唯一の仕事であった。

 

「あぁ、いったい俺は何をしてるんだ。無駄にある体力は、一日中瓦礫撤去ぐらいは出来よう」

とこんなに困っている人が多くいるのにもかかわらず、何をやっているのだろうかと考えるには十分であった。

「いつ死ぬかわからない」と将来を悲観し、使いたい時に使っておいた方が良いと観念的に思えども、やはり現実的には備えが必要であろう。そして多く働いて、税金を納めるしか結論にしか辿り着かないのであった。広域に渡り停電や孤立など、二次被害も甚大であった。労り、支え合う力こそが希望を与えると信じるしかない。

 

今は信じよう 未来はこの想い値する価値のあるものだと
1つの愛を守るため すり抜けていた 全てに意味があったと・・・

 

じくじくとした晩夏の長雨も上がり、カラっとした高い秋空が涼しい風を運んでくれそうな気配はまだ遠いようで、少し動けば汗が背中に貼り付けてくる。まだまだ残暑厳しい。そんな中、東寺へと向かう。DX東寺は回数券を持っていないと、初回購入時に2万円近く使うことになり、3回行く見通しが立たないと、その残を余してしまう。東洋などプリカを持っていさえすれば、金を使っている感覚が一切無い罠に嵌り、ズルズルと常連化していくものなのであるが、東寺は直近のプロ香盤の発表でさえもままならないので、長い目で見れば確実に使用出来そうであるが自然と足が遠くなるのである。

「在庫と金玉は軽い方が良い。何故なら、冷静な判断が利かなくなるからだ」

先輩社員に教えられ、それを是とし、私は判断に迷った時の指針としている。大阪二館の方が家から近く、京都までの下道は間違いなく渋滞に巻き込まれるのも大きな理由であった。

 

「悠那ちゃんから引き継いだアゲハさんの『フェアリー』が進化している。それをまさごで出した。そして東寺でも出す予定とのことです」

熱心なアゲハさんファンの応援さんから聞き、食指をそそられる。

「『フェアリー』は晃生で観ましたからね。天井の高い、まさごや東寺でどうやってポールをやるのでしょうか?」

「それは観てのお楽しみです」

 

この「進化している」や「良くなっている」という言葉がツイッターで散見されるが、これらの言葉に私は深い嫌悪を抱く。それらの踊り子への軽すぎる称賛が、私に言わせればどうも誉め言葉になっていないのである。初日1回目と楽日4回目のデキが違うというならば、プロの踊り子として如何なものかと思うのである。およそ10日足らずで進化するなど到底思えないのだ。

「普通、一香盤一回ですね。それが初日のみとするならば、一回しか観られない客が、デキの良く無いとされるステージしか観られないとは、プロの踊り子が許す筈も無く、あり得はしませんね」

私はこう答えるのである。楽日観劇を好む彼に

「それは楽日というセンチメンタルでエモーショーナルな動機が入っているからです」

と言い放った。引退楽日の4回目でもあるまいし、そんなことは、私は見る限りありはしないのだ。そんな彼とは大いに議論したのであるが、「良くなっている」としか言わないのである(笑)。

「いやぁ。休みにもよりもますが、楽日は行かないですね。出来れば週末も避けたいです」

「何故ですか?」

「客数が増えると会いたく客が比例して増えるからです」

劇場とは社会的に似つかわしく無い客が空間であり、男の私から見てそう感じることが多いのであるから、女の子である踊り子は相当怖いのではないかと思えるのである。今頃になってまたタンバリン、リボン問題が再燃化している。これが踊り子発信であるから、問題なのである。

 

“素人”や“ド素人”がプロの演目やプロが作った音楽に手を加えることはどういうことなのかを考えてみれば容易であろう。西日本一の客数を誇る東洋がこれらを禁止していることを考えれば、問題が多いことは自明である。「盛り上げるため」という、独りよがりの使命感と大義がそうさせるのであろうが、東洋が盛り上がっていないのか。しかしこの劇場は手首が疲労骨折するのではないかと思わせる程の大きな音量で、壁際にズラリと立ち見しながら強く手を打っている客があまりに多いのである。ベッドショーで叩いている輩はどういう神経なのか疑いたくなる。

私は何も踊り子の為に言っているのではない。遊びを最大限楽しむために環境を整えることが必要なのだ。

 

東寺の遅い回転盆は、ずっと踊り子が見つめているのではないのかさえ思える程だ。

「北原杏里ちゃんなんか、ずっと俺の方をみているんだぜ。いやいや、他劇場よりも暗い劇場なのだから、客の顔も見えないではないか。勘違いも甚だしい」

と我に返ることは無く、スト客特有の都合の良い思考は、プラスの作用をもたらした。ダンスは一切関係無く眠りに耽っているカブリのEDリハビリ老人客と私もそう変わらない。これが多種多様な人種が集合する小屋のあるべき姿なのだ―、と。

 

紫の光が斜めからクロスして前盆を中心に照準に合わす。東寺独特の照明とスモークは、他の劇場に無い空間を浮かび上がらせる。盆よりに高くセットされたポールは晃生で観た時と違い、遥かに見応えがある。

「悠那ちゃんも東寺に乗っていたらやっていたのかもしれないな」

目をこらせば浮かび上がらせ、耳を澄ませば聞こえて来る。過去の演目など、それがより美化されて脳裏にあるもので、なかなか覆るものではない。しかしながらそれもやはり断片的になり、点となっていくものなかもしれない。まだまだ私の記憶も確かなもので、悠那ちゃんのフェアリーもアゲハさんフェアリーとして上書きされていくのだったら私も本望である。やはり追い掛けていた踊り子の演目を引き継いだとは色々な想いが交錯するのも事実であった。

 

暗がりで携帯電話を広げる外人客がいた。集団で7人である。日本人客は皆、気付いていたはずだ。それが私の二つ隣の連中であるから困ったもので、本音を言えば見て見ぬ振りをしたかった。この場合、従業員に注意してもらう方が正しい。

「ノー、スマートフォン」

と震えながら私が言うと

「オッケ、オッケ、ソーリー」

と応じてくれた。さすがにタトゥーの柄が膨張してパンパンに張っている筋肉質の外人に注意するのは、どう考えても怖いではないか。

 

「HAPPY DAY」が流れると彼らの熱狂と興奮が止むことは無かった。

「ラッキーだな。どうせ日舞か盆踊りを想像していたんだろ。初めて観るのがアゲハさんとは恵まれているんだぜ。日本のガラパゴス化したストリップを自国へ帰った時に宣伝しときな」

と笑って彼らと握手を交わした。

 

 

 

20189中 DX東寺

(香盤)

  1. 浅葱アゲハ(フリー)

  2. 神崎雪乃(晃生)

  3. 永瀬ゆら(林)

  4. 北原杏里(晃生)

  5. 浜野蘭(川崎)

 

観劇日:9/19(水)