歴史に残る瞬間に立ち会っているかもしれないと思う。


最初に思ったのは、ベルリンの壁が壊された時だったけれど。

アメリカのミネアポリスで黒人男性が警察官に窒息死させられたことに抗議するデモが全米からヨーロッパにも広がっている。


根強い人種差別、

白人至上主義が、何か変わるかもしれない。

変わればいいなと切に思う。





自分に、人種差別がないのかと問われると、

「ある」と答えるだろう。


大阪で生まれて育ったということは、

被差別部落や在日朝鮮人韓国人の問題とすごく近しいところにあったということ。


言葉では「差別はいけない」と父や母は言うのに、

「あの子は、あそこの子やから」とか、「あそこに住んでるから」と蔑むように言うのを何度も聞いて、すごく悲しくて、すごく怒りを感じて、両親を軽蔑したこと。

結婚する時には恋愛でも、恋愛だからこそか、釣書というのを書かされて親戚にも見せないといけなかったこと。

違和感と嫌悪感を感じながら、抵抗できなかった私。


私の世代は、差別がいけない、自分は変わりたいと思いながら育った世代で、

根底には差別を感じながら生きているのだろうと思う。

そうじゃない人もいるけれど。


息子や娘の世代は、知りながらも差別はいけないと強く思わなくてもいい世代なのかなと、息子や娘を見ていて思う。
なんて書けばいいのかわからないけれど、私は、差別しないようにと人と接するけれど、彼らはそれがないというのかな。

それは、とても嬉しいこと。


社会にはいろいろな差別があって、ヒトという生き物はそういうものだからなくなることはないと思う。

でも、人間だからこそ社会の制度や仕組みで改善されるものはたくさんある。

なくならないということを前提において、考えて、制度や法律ができていけばいいな。


少しでも、よい方向に向いていきますように。










via 富良野/花七曜
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