映画『新聞記者』。
こーいったジャーナリズム?政治的な邦画を見る機会はこれまでほとんど無かった。
元々興味もなかったし、意味も私には分からないだろうと思ってたから。
おすすめ映画らしく、あちこちで見かけたこともあって、数日前に上映スケジュールを見ると、明日で終了とあったので休みの今日を逃すまいと今朝起きて改めてスケジュールを見ると、1週間上映期間が延びていた
上映時間ギリギリで入ると、普段私が観る映画とはやっぱり違うんだな。
年配の方々がとても多く入ってた。
そして思いのほか人数も多かった。
こーいった映画を観ようと足を運んだご年輩(7~80代に見えたが)の方々は、この映画を観て何を感じたのだろう……。
(私の偏見だけど、その年代は某党に入れた方が多いように思うのだけど…)
映画の中に出てた事例は、事実が元だと思える内容の現実が否応なく目の前で繰り広げられてる現在。
本編中の内閣情報調査室の杉原拓海(松阪桃李さん)の上司が言う言葉が印象的だった。
嘘の情報を流し拡散させるという行為の善悪を決めるのは自分たちじゃない、国民だ。
様々な媒体によって流れてきた情報の善悪も、それは自分たちで決めているようでいて実はそう思うようにコントロールされての結果。
今この映画が出てきたということは、かなり差し迫ったものがあるということなんだと理解した。
なかなか言語化が難しいけど、あのラスト、、
山本太郎さんの苦悩を感じた気がした。
その中で今回のれいわ現象は、本編を事実とした場合、彼の並々ならぬ思いとオーバーラップした気がした。
ここで太郎さんを守れなければ国民総倒れなんじゃないだろうかと……
いま、自分がどの位置で、立体思考のどの位置でこの現象を捉えるかによって、地球規模の存続が決まる気がする。
杉原拓海の苦悩と葛藤の様が、ラストに向けて心がえぐられる思いになる。
桃李さん流石です
私のキャパでは収めきれない重い映画でしたが、観てよかったです。