先日、facebookの非公開グループの中で
たまたま思い出して
喋ったことなんだけど


少し掘り下げて見ることにした。



もうずいぶん昔のことで、
インナーチャイルドの癒しワークも
散々やってるし


取り立てて焦点を当てる
ものでもないと思っていたことが、
思いのほか癒されていなかったことに
気がついてしまって😂


それは、高校生の時に
担任に暴力を振るわれた件について。


インナーチャイルドと言うほど
チャイルドじゃないから、
理性で抑えていたんだろうな(笑)


暴力を振るわれた?

何か悪いことしたの?


と、今、少なからず
思った人がいるだろうな(笑)


私は悪いことなどしてないよ😂
理不尽なことこが起こっただけ。


ただ、暴力は、
受けた側の善悪など
そもそも関係ないのさ。


暴力を振るう側の正義からでしか
起こりえないのだから。


そもそも、悪いことをしたら
暴力を振るわれても仕方がない。
それは正義だという概念。
 

おかしくないか……?


そう、今なら私もおかしいと思える。


父親が暴力を振るう人だったので、
私は子供の頃から暴力に対して
耐性が着いてしまっていた。


だから、暴力が日常に  "有る"  世界が
当たり前だと思って生きていたんだよね。


The!昭和だな😂


でも、基本的には叩かれたくないし、怖い。






父=男性=暴力


のような方程式を払拭出来ない
時代だったからこそ、
私はパートナーを作ることが
出来なかったんだなと気がついた😂


兄がいてたので、
子供の頃は女子より
男友達が多かった。


でも、思春期の頃になると
女子と関わることがだんだん
苦手になっていって、
そして男子との関わりも減って行った。


仕事をするようになってからは
何故か女性の多い職場が多く、
男性と関わることは
どんどん少なくなって行った。


出会いが無いとか、ご縁がないとか、
私には向いてないとか、
色んなことを思ったけど、


私はパートナーを作ることで
もし叩かれたとき、自分を抑えて
我慢するであろう自分を
きっと見たくなかったんだなと……

(たとえ最初は暴力を振るいそうに
ないような相手でも変わるから‪w)



それは正しく母の姿だったのだけど……




ご縁がないから
私にはなかなか相手が出来ないとか、
出会いが無いとか、向いてないとか


そーやって理由つけて
無意識で避けていたんだわね、きっと(笑)





実は、担任からの暴力よりも、
その後の母の対応に
わたしは心底傷ついていた。


私が生きる世界は、
暴力を容認された世界なんだ。 


親にすら守られないから
自力で対応しなくちゃならない
世界なんだと認識したんだな。



弱さは、隠すべきもの。


まともな恋愛関係など
作れるはずもない😂




あの日あの時、
母は担任に何も言わなかった。


自分が私を殴ったことについて
謝った担任に向かって


『そーですか、分かりました』


とだけ(笑)


いったい何があったのかも、
どうして私が殴られなければ
ならなかったのかも、
何故、担任が私を殴ったのかも


そんな理由も言い訳も
言い分も一切聞かず、

『そーですか、分かりました』

とだけ……




その日、帰ってきた兄に、
母が笑いながら私を見るように促し、
兄は、『殴られたのか?何かやったのか?』
と言った。


なんか、
全てが悲しかったな……





体の傷が治った頃、
友達のお母さんに言われたこと。


もし、自分の娘だったら、
どんな理由であれ、抗議した。




それを受けて、私は母に、 
あの時何故何も言わなかったのか
聞いてみた。



『何も言わない方が、
あのタイプには薬になるから。』




担任には薬をあげたけど、 
私には何もくれなかったおかげで、
私の心は3度目のダメージを
負ったわけです😂






そして先日、
私はその傷が実はずっと癒えてなかった
ことに気がついたわけです😂😂



そしてもうひとつ気がついたことがある。



あの日、あの時、
母は何故何も言わず
私を守ってくれなかったのだろう……



それは、母本人が
いつも父からの暴力に晒された日常を過し
母も、暴力が"有る" を容認した
世界に生きていたんだよ。



私を守れるわけが無いよね😂



腫れ上がった顔で帰ってきた私の姿は、
多分、自分のそれとオーバーラップした
ことだろう。



自分(母)が、父から殴られた時は、
何も言わず、災難が去るのを待って
じっと我慢していた。

余計なことを言って、
火に油を注がないように。




『何も言わない方が
あのタイプには薬になるから』



母が父にしていたささやかな抵抗

『何も言わない』


と言っても、何も言わないことが
父にとって薬だったかは疑問だけど(笑)
(何も言わないことに怒ってたから‪w)



母は、父に対してやっていた抵抗と
同じことをしていたんだな。


自分を守るためにしていたことしか、
出来なかったんだろうな。



兄が学校の部活で、
顧問から暴力をうけたときには
火がついたように毎日学校に
電話をかけて怒っていたんだけど(笑)

きっとそれは、息子だから
なせる技だったんだろう(笑)




息子は守る存在として
認識していたのだろうけど、  

女である娘の事件は、
あまりにも自分と同化し過ぎてて
自分を守る術と同じような対応しか
思いつかなかったんだろうな(笑)



母は私を守ってくれなかった
訳ではなく、私が望む守り方を
してくれなかっただけなんだ🤣🤣


自分を守るやり方しか
出来なかったんだな……。





これまでも、
色んなことを赦しながら
手放してきたし


なんならもう手放すものなど
無いかもと思っていたけど(笑)


まだこんなにもしっかりと
残っていてびっくりだったわ😂



そして、もうこれで
私の中から母を解放してあげられる照れ


母の世界と、私の世界が
同化していた時代は
既に終わってる。



私がこれまでずっと、自分の中で
暴力や凶暴性に向き合い続けたのは、
ここに起因していたんだと分かった。


20年以上も
ずっと伏線が張られていたんだな(笑)


やっと解放されたよーー😂😂




これからの私の世界は
優しさと豊かさと悦びが
容認された世界。


大きな時代の変化を
楽しみながら
新しいわたしの世界を
作っていこう♪



因みに、高校の担任とは
既に和解をしており(笑)
その時書いたものが以前のブログに
残ってたのでコチラ貼っときます(笑)

この時は詳しいことまでは
書いてないな(笑)

懐かしい……(笑)


昭和の常識は
今では非常識(笑)


思えば理不尽なことだらけだったけど