peruの気まぐれ日記帳

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"小さな光を見て心から美しいと感動したい" 仙台で生まれ育った私達みんなで・・・・・・

小さな光・・・

それは、明日、そして未来にたくしての“希望という光”その光が、いくつもいくつも集まり、美しいと感動した時、私達大人は心から笑顔になりたい。

その笑顔は、私達の子どもたち、仙台の子どもたち、そして日本中、いや世界中の子どもたちへの最高のプレゼントではないでしょうか。

私達はその光にのせたプレゼントをこう呼びたいのです。

『スターライト・ファンタジー SENDAI光のページェント』

年に一度夢を見させてあげてください。私達、そしてこども達のために・・・

杜の都から光の都へ姿を変える仙台の冬の風物詩、「SENDAI光のページェント」。

27回目を迎える今年のテーマは、「Be smile! ~上を向いて歩こう~」。

一人ひとりの夢と希望の光が街の至るところで輝きます。




開催期間12月7日(金)~12月31日(月)

点灯時間17:30~22:00(31日のみ23:00消灯)

会場定禅寺通(東二番丁通~市民会館前)
http://www.sendaihikape.jp/0601event.html


今年も、市民広場ステージ前に、屋外スケートリンクが設置されます。誰でも利用可能。
フィギュアスケート発祥の地仙台。

光のページェント、見たいよー(≧∀≦)


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■仙台空港に不発弾、終日滑走路閉鎖 きょう運航再開の方針


仙台空港(宮城県名取市、岩沼市)の滑走路近くの工事現場で不発弾1個が見つかり、同空港発着の国際線と国内線の計92便が30日、全便欠航した。
国土交通省仙台空港事務所は終日、滑走路を閉鎖し、陸上自衛隊などが処理に向けた作業を進めている。

空港事務所は31日朝までに一定の安全対策を終え、午前7時半の始発から運航を再開する方針だが、ダイヤが乱れる可能性があるという岩沼署などによると、不発弾は長さ110センチ、直径35センチ、重さ約250キロ。
赤茶色にさび付き、太平洋戦争中に米軍が投下した英国製「500ポンド爆弾」とみられる。
発見場所は空港ビルから西に約1.2キロの敷地内で、約3000メートルのB滑走路と並行する誘導路から南側に約40メートル。
 
空港関係者などによると、起爆装置の信管はねじ式で、強い衝撃を与えない限り爆発する可能性は低い。
陸自は不発弾の信管を抜き、爆破させずに撤去する方針。
作業開始まで数日かかる見通しだという。
 
空港事務所によると、29日午後10時5分ごろ、東日本大震災の地盤沈下対策として、工事業者が重機で排水路を掘削中、深さ約50~60センチの地中に不発弾が半分ほど埋まっているのを見つけ、岩沼署に通報した。
30日午前5時35分ごろ、処理の専門部隊がある陸自神町駐屯地(東根市)が不発弾と確認した。
 
撤去の準備作業として、空港事務所は30日夕から、不発弾の周囲に高さ3メートルのL字型コンクリート擁壁を設置。
周りに高さ3メートル、厚さ6メートルの盛り土を施して防護壁を築く工事を進めた。盛り土の上に土のうを約3メートル積む安全対策を取るという。
 
空港事務所は「防護壁ができると、半径約80メートル以上離れれば危険はない。不発弾に近い誘導路を迂回(うかい)させる運用をすることで航空機の安全は保たれる」としている。
 
空港事務所と陸自、岩沼、名取両市は31日午後に対策本部を設置し、撤去作業の手順などを協議する。
信管を抜く場合は、万が一の事態に備え、半径数百メートルの事業所や工場などに避難を要請する。(河北新報)




まさかまさかの不発弾ww 
最大限の安全対策を取って、仙台空港再開のようです。



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■夫の遺志 旅館再建 被災した場所…


東日本大震災の津波で被災した岩手県大船渡市の旅館が再建された。


昨年三月十一日、砂利を巻き込んで進む波の音を聞いた八百子さんと昭雄さんは、海から約八百メートルにある只野旅館最上階の三階に逃げた。三階への階段まで海水が迫ってきた。三日目の朝に救助された。

テレビ局の取材に「再建しましょう」と答え、昭雄さんは「再建おじいさん」として話題になった。旅館を手伝う長女英理子さん(51)も被災直後からがれきを片付け、再建に強い意欲を見せた。

英理子さんからは「お父さんが『再建、再建』と言うのはお母さんを元気づけるため」とも告げられた。
 
それでも八百子さんは、三カ月間は何もする気になれなかった。
「このままがれきにして、高台に小さな家を建てた方がいいのかも」。
鉄骨と基礎だけが残った無残な旅館の姿を見つめ、答えを探した。
「ほかに土地もないから」。

一九七七年に開業し少しずつ大きくした旅館への愛着や借入金を完済していたことも後押しして、旅館は今年六月に営業を再開。
昭雄さんも食器洗いなどをうれしそうに続けた。
しかし、再開からわずか三カ月後の九月中旬に間質性肺炎で亡くなった。
 
再開以降は工事関係者の長期滞在が続き、二十室ほどの旅館は十一月の予約も埋まり始めている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012102402000253.html




前向きで力強いこの言葉に、どれほどの人が勇気付けられたことか。ご冥福をお祈りします。


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