Another day comes 紫・電・一・閃 ~今日と違うはずの明日へ~

こんな俺でも いつかは光を浴びながら
きっと笑える 日が来るさ ・・・来るまで生きるぜ(生への渇望)

対極

2018-07-10 20:04:48 | 日記
コメントを・・・返させていただきます。
今回はコメ返自体も読んでくれる方に向けた記事そのものにつながりますね。
はっきり言って自慰行為が加速しているようなものですが、ご勘弁ください。


Re:壁際のいぶし銀さん

今後見てくれても、そうでなくても、コメントを書こうが、書くまいが、
擁護しようが、非難しようが、迷惑ではありません。
あなたの、あなた達の真にご随意に。私はただ、そうであってほしい。
この望みが真実であること、真実になることに拘りたい。

コメントに気づいたのは1日前ですが、何をどう返せばいいのか、
本音と建前、いや、純粋さと天邪鬼、そのどちらを取るべきか、いろいろ考えました。
ただ、一番最初に湧き立った思い、それが本音でしょうから、それを。
本当にありがとうございます。

対人のタブーは幾らでもありますが、一応の倫理を身に着けたものとしては未だに浮気は大罪です。
・・・正直に言いましょう。私はお猿さんなので、本当なら好きな人とイイコトしまくりたいです。いきなり直球に幼稚ですね。
心から望みはしませんが、昔から私の「勝ち組」の定義は『いつでも好きな事をする いつでも好きな子とする』ですので。
でも幸か不幸か、自分の容姿や過去から現在に渡る社会的地位の低さ等のマイナス要素が、欲求を「可能性のないただの欲求」にしてしまうことで
倫理を幇助(あえてこの言葉を使います)しているんですね。
・・・私自身の信念に誇りをもってもいい気はしますがね。何せ自分にも天邪鬼。

twitterもfacebookもやったことはありません。
見てるだけでも虫唾が走りますし、羨望とともに、自分の方が「哀れ」であるにも拘らず、蔑視に近い哀れみすら感じます。
それは簡単に言ってしまえば自分自身にはない承認と理解への妬みなわけですが、
仰る通り、私も本当の心根・思想とか、自分の思い出はさあ見ろ感じろと誇示してしまっては単なるティッシュ一枚程にも軽いものになってしまうと思います。

そうやって使命のように自分を常に立たせる、
暗に少しでも他に反発したり、踏みつけ押し退けようとする


・・・それが至極当たり前の世界になってしまっている。私にとっては生きづらい世の中を象徴するものです。
あれは、言うなればオナティッシュを見せつける行為なんですよ。
でもひとつ言いたいのは、やってる人間は好きになれないですが、やってても(どうでも)いいと思います。
好きな人がやってても構いません。だって自慰は、セックスはみんなするでしょう。
新手の性行為、そんな風に見てます。


・・・このごみ溜めを見て、本当に少しでも、どんな感情でもいい、何か感じてくれた。
ここは誰にも「見せつけていない」自分自身の吹き溜まりですから・・・
救われた気がしただけでも、これは恵まれたことだったなと、純粋に思いました。
誰も皆、美しい醜さも見ないフリ・・・





・・・唐突ですが自分語りを。
私はね、生まれてこの方姿勢が悪いからか、顔面の右側が異様に不細工なんです。
歯並びも悪く、最近は禿げが進行し、どちらにせよ元来不細工であることに変わりないんですが、
左右でまったく違うのは事実。
左は二重で、右は光がなく鋭利な一重。視力もついでに右が悪いし反応も悪い。
つむじが右斜め45°にあるので髪型も右が浮く。おかげで寝癖が強烈、直らない。
ついでに禿げは頭皮が左寄りなので前から見ても斜めにハゲで右がよりキツめ。笑えて来ます。若いのに。

鏡を見ると、違う人がくっついているようです。
まさに私という人間そのもの。
左(相手から見て右)は元気で子供の心を持った、「純粋、こうありたい自分」。
右(相手から見て左)は陰気で荒んだ心を持った、「卑屈、現実に在る自分」。
・・・余談ですが、私は鏡で見た自分はそれなりに嫌いじゃありません。写真(相手が見る顔)は大大大嫌い。
人は友人・恋人といった、好意的な印象を抱く場合、相手から見て左側が第一印象になるようです。
はぁ・・・そりゃあね、不細工ですよ。余計に。


話をしっかり戻しましょう。
私は純粋さの後に、偏屈・卑屈さというか、天邪鬼が来るのです。
必ず。これは、傷つき、失敗することを恐れ、また打ちひしがれることを恐れるあまり、
いつの間にやら身についた防衛本能だと分析しています。
無垢な心、相手を信じようとする心を、叱責するように、

「ダメだ、現実を第三者視点で見ろ、見られなければ心を読め
読めなければ予測しろ、想像しうる最も望まない未来を」


とこんな感じに。厨二っぽいですね。別に頭の中でこんな台詞が巡ってるわけじゃないですよ。例えです。
あらゆる観点からダメだった時、悪くした時、自分でなくても相手や関わった人間の心変わりなども。
ついでに私は私を知覚する人間の、私に対する印象は最低値付近だと勝手に決めつけます。
もはや傲慢ですね。ですがこれも謙虚さが行き過ぎた結果かもしれません。

何が言いたいかというと、
もう何が本当なのかわからないということ。
天邪鬼、卑屈さというのは、例え真に良好な関係であったり、好意的な印象であったとて、
それすらも嘘偽りにしてしまうものなのです。
言ってはいけないことを言ってしまったり、やってはいけないことをやってしまったり。
そうすることで、個人的疑心や懸念を現実に引き起こし、結局悪いところへ落ち着く・・・

でも、本当にそうなのだろうか?
私はこの世界に適応していないし、理解も追いつかないうわべで馴れ合いたくもない。
・・・では、この私を皆嫌いになるのでは?
というか収束点が「そこ」ならば、私の傲慢ともいえる卑屈さは、ある意味では他人の心を踏みにじるかもしれない天邪鬼は、
当然の事実・結果を導き、それ相応に行動しているだけなのでは?
後ろ指を指されているにも関わらず泣き笑いで道化を演じているよりはマシなのでは?
わからない。
・・・・・・・・・ああ。
わからないから動けなくなってしまった・・・という言い訳をしたかった。
正直でよろしい。



コメントですら、純粋に心に響いた直後、
涙を零すかと思いきや、「どうせまだ書いていない、書きたくない事実を書き記してみればコロッと批判に変わるさ」とか思って、
いつも通り自己嫌悪に。懲りない。
でもこれも正直に書いた。私は私でありたい。匿名の、でもどうしようもなく俺に近い私。その権化たるこのブログ。

私は嘘が本当に嫌いで、
でも他人に嘘はついて、
他人に隠し事をしても、
自分にはしてほしくなくて、
でも自分の信条は、
解ってほしいことは正直に言ってしまって、
でもそれは他人の中の自分が怖いからであって、
その修正に必死であって、
でもそれは到底理解されないのであって、
それがどんなに苦しいか解ってほしくて、
でもそれは自分のせいではないと思っていても、
現実と半身はそれを認めなくて・・・


じゃあどうしたいのだ私は。
何を求めるのだ?
対極した自分自身との対峙・・・それは終わることがない。
暗闇の中で延々と続き、可能性が収束し切るその時まで、
誰も見ていない現実のステージで、こうやって演技し続けるのか。

演技が終わったら、もし終わったら・・・
それは生きていくということ。
その時には、恐らく住所氏名顔面以外のすべてを曝け出すと思います。
多分その時には、生への覚悟ができていると思うから・・・


長文を書くと結局話がズレる、というか脳味噌が離れ始める。
困ったものだが、自分的にはこれでいい。この不愉快な馬鹿さ加減が私なのだ。
回天の時を口を開けて待っているこのゴミが、このゴミであることが生きている証拠なんだよ。
あ、前回の病んだ原因は今のところ封印事項なので書きません。

次回はいつになるかわかりませんが、多分久々にはっちゃけよう。そうしよう。
頭悪いなー俺は。
クール()、真面目()に決めてるのが馬鹿らしくなってきてしまいました。
だって眠いんだもの。気分が暗いと眠くなる、なぜでしょうね。

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