ファーストフードの食べ物を食べ続けていると、気が短くなる、イライラする子に育つって話、聞いたことありませんか?
その話は20年くらい前から耳にするようになり、一部でファーストフード店で提供される食べ物が体に良くないので、手作りのものを子供に食べさせましょう、スローフードに回帰しましょう、というような流れに行ったと思うのですが、私はそれに『ホントかな?』と思い続けていて。
私はどこか、人間のやることを信頼しているところがあって、企業の研究部門や商品開発部門では、儲けのことばかり考えているわけではなく、真摯に真剣に、人のためや、健康や美味しさを追求し、普通に真っ当に、人を喜ばせるような良い商品を作ろうとしていると思っています。
そして、そんな風に開発した商品をがんばって売って、利益を出していこうとするのが、ほとんどの企業の姿勢だと思うのです。
しかし、企業の中におかしな人がいたり、上り調子のライバル会社を貶めようと変な噂を流したり、自分の論を通して利益を得るために、嘘の情報を、さもデータ的な根拠があるように話すような人もいます。
そういうネガティブなニュースって、人の不安をかき立てるがために、広まり易かったりするのだろうなぁと思うのですが、一部にそういうことがありつつも、人は基本的に、ちゃんといいものを世の中に提供しようとしているはずだと思っています。
そうでないと、大きくならないから。
ちゃんと前を向いて歩けなくなるから。
子供に、お父さんは仕事で利益のためにお客を騙すようなものを作っているなんて、言いたくないですもんね。
というわけで、ファーストフード店で提供されるものを食べたところで、特別に悪影響を受けたりはしないと思っています。(同じものばかり大量に食べ続ければ、そりゃ、どんなものもNGですが)
では、なぜ、ファーストフードのものをよく食べる人は短気になるなどと言われるのでしょうか?
私はそれは、食べ物そのものではなく、スピードにあるのではないかと思います。
欲しいものが常にすぐに提供されていると、それが『当たり前』になってしまい、手に入らないときや、待たされた時に、怒りが湧くようになります。
人は状況にすぐに慣れるものです。
便利な環境が与えられれば、最初はありがたいと思うかも知れませんが、すぐに慣れて当たり前になります。
当たり前になれば、そうならない時に怒りが湧き、イラッとします。
最近、車の運転をしていて、前よりも待てなくなった人が、ずっと増えたなぁと感じます。
ファーストフードだけではありません。
今は常にスマホがあって、欲しい情報がすぐに手に入りますし、人と待ち合わせをしても、待たされることなどなくなりました。
何か不満があったら提供側の会社やお店に文句を言えば、向こうがなんとかしてくれます。
自分の人生がうまく行かないのを、政治のせいにする人も多くなりました。
欲しいものが、お金さえ出せば提供されることが当たり前になってしまう。
人からサービスされることが当たり前。
欲しい情報がすぐに手に入ることが当たり前。
困ったら、誰かがなんとかしてくれるはず。
本来、そんなことは当たり前ではなく、ありがたいものだったはずですが、当たり前と思うことで、そうならなかったときに我慢できなくなり、次第に『寛容さ』が失われていくのです。
物事は極に振れれば反転しますので、これが極まると、当たり前が満たされない(=不便を余儀なくされる)状態が、ムリヤリ到来してしまうのではないかとも思います。
しかし、だからと言って、昔のスローライフに戻ればいいとも、私は思いません。
それが世の中の流れなら、それを止めることはできないし、反対方向に促そうという行動は、川を遡って泳ごうとするようなもので、決して楽ではないからです。
では、どうすれば人がこれらを当たり前と思わず、寛容さを失わずにすむ(反転しない)のかなというと、こういったことを知っておき、思いがすぐに満たされる世の中は本当は当たり前ではなく、誰かが提供してくれて成り立つもので、それにありがたいと思うことができ、各自が自分の非寛容さに気付くことができれば、反転せずにすむのではないかなと思っていますが、どうかしら?
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