ラットレー レッド・ラパリー |   私的喫煙日記

  私的喫煙日記

      私の日々の喫煙生活を記録しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      

redrapparee zoom

なんだか無性にラタキアを吸いたくなって、色々と物色した挙げ句、レッド・ラパリーを買う事にした。

それにしてもこの蓋のデザイン、警告シールを剥がすと、本当に間抜けな空間である。ツルッと造作なく剥がれてくれたのは良いが、これだけ無駄なスペースが広がると思わず苦笑が漏れてしまう。

このラットレーの名品は、いわゆるイングリッシュ・ブレンドと言われる、ヴァージニア、オリエント、ラタキアのミクスチャーで、実に明瞭な煙草である。悪く言えば、何の工夫も無い(笑)。

今は亡き、フロッグモートンに喩えて言えば、ブラック・マロリーがアクロス・ザ・ポンド、セブン・リザーブがオン・ザ・タウン、そしてこのレッド・ラパリーが、スタンダードのフロッグモートンと言った感じである(私感)。

さてこの煙草、久々に買ってみたが実に美味しい。選択に間違いはなかったと実感した。

「ラタキアが吸いたいならば、何故バルカンタイプじゃないのだ?」と思う諸兄、ふっふっふ、甘いな(笑)。ラタキアらしさは配合率に非ず、なのである。そうだな、映画に喩えてみるとわかりやすい。

好きな俳優、女優、誰でも良い。仮にあなたがオードリー・ヘップバーンのファンだったとしよう。彼女の出演シーンがただただ多いだけで、彼女の魅力を存分に堪能できる映画だと言えるだろうか?他の俳優が脇をどのように固めているかで、彼女の魅力が数倍にも際立つ、という現象を体験した事はないか?たとえ出演シーンが僅か数シーンであっても、効果的に演出されていれば、その役者は主役であり、その映画そのものになる。

「羊たちの沈黙」でのアンソニー・ホプキンスの出番は、それほど多くない。しかし映画そのものの主体的印象のほぼ全てを担っているではないか。印象とは、物理量ではないのだ。

このラットレーのラタキア三兄弟、レッド・ラパリー、ブラック・マロリー、セブン・リザーブは、いずれもラタキアの配合率は50%に満たないのでバルカンではない。しかしながら、ラタキアの魅力を主眼に置いたブレンドである事は間違いが無い(と私は思う。これも私感)。中でも、レッド・ラパリーは逸品である(と今回しみじみ感じた)。全ての他の葉が、協力し合って、ラタキアを盛り立てているのである。