ピーターソン・マイ・ミクスチュア965 |   私的喫煙日記

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ピーターソンから出た、ダンヒルの復刻版である。

酔狂というやつで買ってみた。

正直今まで1900円で買えたモノを2400円で買う気にはなれないので、すぐには買えなかった。

缶のシールも警告文が一体化していてそこだけは剥がせない。

 

さて、965自体とても久々に吸う。そもそもダンヒルの965のレビューもこのブログに上げた事がないのに、まさかまさかピーターソン版のレビューを書くことになるとは自分でも不思議だ。

マクレーランドの煙草が買えなくなった時はかなりショックだったが、ダンヒルは正直どうでも良かったし、これでしか味わえない独特の風味というものも特に無い煙草ばかりだった。

 

ただ965というと思い出すのは、今は亡き祖師ヶ谷大蔵のたばこ屋「カワバタ」の親父さんが愛喫していた事だ。

店に入ると、いつもこの煙草のルームノートが漂っていた。小学生の頃から父に連れられてこの店には幾度となく足を踏み入れている事もあり、とても懐かしい香りである。

ラタキアのクレオソート臭を初めて嗅いだのは、もしかするとこの店だったのかも知れない。うちの父はボンドストリートなどを吸っていて殆どラタキアを吸っていなかった。嫌いだったのではなく恐らく母が嫌がったからだろう。

 

 

さてさて開缶。

ティン・ノートは間違いなくダンヒル965の香り。葉組みを見ると、気のせいか少し赤黒いように思う。ダンヒル版もロバート・マッコーネルの復刻版も、もう少し明るい葉が多かった気がする。

最近使ってないヤニックの髑髏メシャムに7分目程詰めて火を点けた。

 

ウン。間違いなく965だ。それは間違いない。ロンミクでもスタミクでもなくダーバーでもなく、965だ。

巧く復刻しているのか、元々ブランドが変わっただけでほぼほぼ同じ物なのか、細かくテイスティングできてないだけなのか、あまり以前と変わらない印象を受ける。

 

ただし、何というか、全体的にモッサリとした印象に感じる。かつてのダンヒル版はもう少しシャープな印象だった気がする。それも吸い比べられない今となってはよくわからない。

思えばかつてのダンヒル965もロットによって可成りの差異があった。「今度の缶は結構旨かったな」「今度の缶はイマイチだったな」という調子だ。

多かれ少なかれ、多くの煙草がそんなものである。それでも単一の煙草だと言えるのは、缶にそう書いてあるからだ(笑)。

そういう意味において、ピーターソンは重責である。ちょっとでも違えば「やっぱりピーターソン版は違う煙草だ」と言われてしまうからである。最悪な場合、パロディ的な位置付けをされてしまう危険もある。

 

ともあれ、オリエントの酸味もしっかりとあり、スーッと煙を鼻に通してみると、甘みのあるグレープ臭も昔のままだ。

イングリッシュ・ミクスチャーのキモは、着香部分だ。ある意味、ヴァージニアやラタキアはスパイスでしかない。料理本を見てもそうだろう?コショウ少々とはあるが、S&Bのコショウとは書かれない。ここは何としてもGABANのシルバーペッパーにされたし、とか書いてあるレシピ本はない。食品メーカーが出している料理本なら別だが。

この着香部分、特にキャベンディッシュの製法や隠し味になっている部分が、その煙草のシグネチャーとして特徴づけられるのだろうと思う。

 

再確認したのは、この965というミクスチャーは、特に思い入れの強い煙草ではないしても、無くなってしまうとちょっと寂しい銘柄なんだなあ、ということ。

時代はどんどん進み、良くなる物は良くなって行き、古き物はその古き故の拙さや幼さをも含めて無常に変化している。大量に作られていた時代の粗悪さをも懐かしむ事はないのかも知れない。