土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

勧修寺、真言宗門跡寺院です。

2019年11月28日 | 京都の古寺巡り





(2019.11.23 訪問)


京山科にやってまいりました。今日は色んな読み方をされるお寺、門跡寺院勧修寺への訪問です。正式には「かじゅうじ」。
白壁築地塀の参道を歩くと、門跡寺院の優雅で上品な空気がそこはかとなく漂っているのを感じます。




            [ 勧修寺 ]
            ●山号 亀甲山 (きっこうざん)
            ●寺号 勧修寺 (かじゅうじ)
            ●宗派 真言宗山階派 (しんごんしゅうやましなは) 大本山
            ●勅願 醍醐天皇 (だいごてんのう)
            ●開基 承俊律師 (しょうしゅんりっし)
            ●開創 昌泰三年 (900年)
            ●本尊 千手観音菩薩
            ▲京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6 TEL.075-571-0048  
            ▲拝観料 400円 御朱印300円
            ▲拝観時間 9:00~16:00
            ▲地下鉄東西線「小野駅」下車 徒歩約6分
             京阪バス「小野」下車 徒歩約2分




            ▼本来、寺号は誰もが読めなけりゃ意味がないのにネ。






勧修寺縁起
昌泰三年(900年)、醍醐天皇が母の菩提を弔うため、母の生家を寺に改めた。天皇の祖父、藤原高藤が勧修寺内大臣と称していたこと
から、勧修寺と名付け定額寺に列せられ皇室との縁が深く、宮門跡として品格高く維持。鎌倉時代に後伏見天皇の皇子寛胤法親皇が十
六世として入山以来宮門跡寺院となる。その後応仁の乱で寺は衰退、江戸期になって皇室と徳川氏の帰依、援助で伽藍整備が進み復興
された。




▼参道沿いの築地塀。左右の樹々は桜、春には桜参道になります。 






▼山門。






▼名勝庭園へ直行です。赤が映えていそうですネ。






▼これを称してモミジの紅葉と云う。ウン?         











▼竹の垣根も興をそそります。






▼宸殿。桁裄五間、入母屋造、桟瓦葺、一間向拝付。元禄十年 (1697年) 旧御所明正院から移築された御対面所。
 内部は一の間、二の間、三の間が一列に並ぶ寝殿造風建物です。別名明正殿と呼ばれています。

       




▼明正殿と書かれた扁額。

                      




▼宸殿内部の様子です。






▼庭に咲く花。






▼書院 (重文)。桁裄七間、入母屋造、杮葺。御所の建物を拝領したらしいのですが、建物は諸説あるそうです。
 門跡御座所、二の間、対面所、私室などで構成されています。






▼書院広間の障壁画。土佐光起の近江八景図。






▼書院前庭の水戸光圀寄進と伝える勧修寺型灯籠。
 灯籠を囲んでいるのは、樹齢750年、檜科のハイビャクシン、これで一本の樹らしいです。






▼赤と青のせめぎ合い。






▼スッポリとブルーシート、本堂は修理中。桁裄六間、入母屋造、檜皮葺、一間向拝付。






▼おことわり書。






▼本堂内陣。






▼本尊千手観音菩薩立像。整ったお顏と像姿、近くで拝したいものです。像高160cm。室町時代。
 十一面さんと思われますが頭部の様子が分かりません。目の光具合から玉眼が嵌められているようです。






▼大斐閣とも呼ばれる昭和六年再建の観音堂。






▼観音堂正面。






            ▼観音堂本尊。なんとも艶やかな観音さん。






▼観音堂側面。






            ▼境内の一角に修行大師像。






▼岩座に不動明王三尊。脇侍は矜羯羅童子と制多迦童子。






▼氷室池。今は見る影もないハスの成れの果て。初夏にはカキツバタや花菖蒲、蓮が池面を飾り、水鳥たちもやってきます。






▼弁天堂。一間四方、勾欄付宝形造。扉は閉まり中には鏡が一つポツンと。弁天さんにはお会いできませんでした。






▼こんな扁額がポツンと。






▼せっせと働くミツバチに敬意を評して、勧修寺 オ シ マ イ











宸殿や書院を拝見すると門跡寺院の格式は否応無しに感じます。ただ今の時代「やんごとなき」世界の生活感は感じることはありません。
仏像で一言、本堂本尊と観音堂本尊との像姿の極端な違いは、徹底した儀軌に基づいた造仏作法によるものなのか、あるいは仏師の遊び
心の余裕さなのか、今となっては計り知れませんが、往時の衆生はどんな感じでこれら二体のお像を拝していたのか興味のあるところです。

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