旧奥州街道をロードバイクで巡るシリーズの続きです。
旧奥州街道をロードバイクで②の続きなのですが、少し投稿をさぼっていました。
宇都宮~白河まで1日の実行程に対して、ブログは1ヵ月も放置しています。
さあ、これから続きを書きます。
【喜連川宿~佐久山宿】
喜連川宿に辿り着き、次の宿場へ向かいます。
旧街道沿いを走っていると、歩きで街道巡りをしている方をたまに見かけます。
大概は、老夫婦なのですが今回もご夫婦お二人で歩かれている横を自転車で追い抜く。
この辺りは、あまり立ち寄り場がなく淡々とペダルを踏み続ける。
ボチボチお昼時なのでコンビニで昼食を取る。
ピラフとサラダ。
食べ終わる頃に、追い抜いた老夫婦がコンビニにやってきた。
座るベンチがなく、私が座っているベンチを空けて上げた。
話し掛けてみた。想像通り旧奥州街道を踏破されている最中のようだった。
前日、宇都宮を出発しこの日は、佐久山宿まで歩かれ、東京に戻られると言っていた。
一日20kmのペースらしい。完歩まではまだまだのようだ。
お昼を済ませて次へ進む。大田原市に突入。
大田原市はあの”那須与一”の故郷。
まったく、マークしていなかったがこんな絵画があります。
①与一の里
太田市指定文化財の「不動明王尊像」があるようです。
佐久山宿に到着。
②佐久山宿
本陣1、脇本陣1、旅籠27
佐久山宿を示した石碑
③本陣跡
新しいが立派な石碑が設置されています。
【佐久山宿~大田原宿】
いくつか宿場の史跡を残している佐久山から次の大田原宿へ向かう。
箒川を渡り初めに出てきた史跡。
④浦蘆碑
文化9年(1812)10月のある朝、一隊の兵士が刀を持って槍を立て行進する蜃気楼が現れた。ここを通った甲州の行脚僧がこれを土地の者に聞くと「浦蘆(ほろ)」だと答えたという。
これを後に石に刻んで建立したものがこの碑である
大田原宿に近づいてくると、街道らしい建物が久々に目に飛び込んできた。
ここも事前にはマークしていない場所だが、門の中に教育委員会の標識が建っていたので史跡として残されているようである。
大田原宿に到着。
⑤大田原宿
本陣2、脇本陣1、旅籠42
街並みはすっきり。
大田原宿は大田原城の足元にある宿場。
天文14年(1545)、大田原資清が大田原城を築いたときは16戸という寒村であったが、しだいに商工業者が集まり、ついには旅籠が40数軒という大きな宿場に発展。大田原藩は中世以来の所領を幕末まで守り通した数少ない大名家であった。
⑥那須与一像
与一の里ですものね。 像は新しいものです。
源平屋島の戦いにおいて、一発必中の弓の名手として知られた那須与一は、この地で修練の時を過ごしたという。
【ルート図】
越堀宿へ続く
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旧奥州街道をロードバイクで②の続きなのですが、少し投稿をさぼっていました。
宇都宮~白河まで1日の実行程に対して、ブログは1ヵ月も放置しています。
さあ、これから続きを書きます。
【喜連川宿~佐久山宿】
喜連川宿に辿り着き、次の宿場へ向かいます。
旧街道沿いを走っていると、歩きで街道巡りをしている方をたまに見かけます。
大概は、老夫婦なのですが今回もご夫婦お二人で歩かれている横を自転車で追い抜く。
この辺りは、あまり立ち寄り場がなく淡々とペダルを踏み続ける。
ボチボチお昼時なのでコンビニで昼食を取る。
ピラフとサラダ。
食べ終わる頃に、追い抜いた老夫婦がコンビニにやってきた。
座るベンチがなく、私が座っているベンチを空けて上げた。
話し掛けてみた。想像通り旧奥州街道を踏破されている最中のようだった。
前日、宇都宮を出発しこの日は、佐久山宿まで歩かれ、東京に戻られると言っていた。
一日20kmのペースらしい。完歩まではまだまだのようだ。
お昼を済ませて次へ進む。大田原市に突入。
大田原市はあの”那須与一”の故郷。
まったく、マークしていなかったがこんな絵画があります。
①与一の里
太田市指定文化財の「不動明王尊像」があるようです。
佐久山宿に到着。
②佐久山宿
本陣1、脇本陣1、旅籠27
佐久山宿を示した石碑
③本陣跡
新しいが立派な石碑が設置されています。
【佐久山宿~大田原宿】
いくつか宿場の史跡を残している佐久山から次の大田原宿へ向かう。
箒川を渡り初めに出てきた史跡。
④浦蘆碑
文化9年(1812)10月のある朝、一隊の兵士が刀を持って槍を立て行進する蜃気楼が現れた。ここを通った甲州の行脚僧がこれを土地の者に聞くと「浦蘆(ほろ)」だと答えたという。
これを後に石に刻んで建立したものがこの碑である
大田原宿に近づいてくると、街道らしい建物が久々に目に飛び込んできた。
ここも事前にはマークしていない場所だが、門の中に教育委員会の標識が建っていたので史跡として残されているようである。
大田原宿に到着。
⑤大田原宿
本陣2、脇本陣1、旅籠42
街並みはすっきり。
大田原宿は大田原城の足元にある宿場。
天文14年(1545)、大田原資清が大田原城を築いたときは16戸という寒村であったが、しだいに商工業者が集まり、ついには旅籠が40数軒という大きな宿場に発展。大田原藩は中世以来の所領を幕末まで守り通した数少ない大名家であった。
⑥那須与一像
与一の里ですものね。 像は新しいものです。
源平屋島の戦いにおいて、一発必中の弓の名手として知られた那須与一は、この地で修練の時を過ごしたという。
【ルート図】
越堀宿へ続く
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