歌詞には映像と物語を 「思い」だけでは同じような歌ばかりが出来上がる | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

歌詞には映像と物語を 「思い」だけでは同じような歌ばかりが出来上がる

歌詞には映像と物語を 「思い」だけでは同じような歌詞ばかりが出来上がる

先日お書きしたBEYOOOOONDSのデビューシングル
「眼鏡の男の子/ニッポンノD・N・A!/Go Waist」が
初週オリコン週間合算シングルランキングで1位を獲得しました。
数としてもCDシングルで10万枚ですから、
このご時世ではかなりの好記録です。

 

 

 

 

「眼鏡の男の子」で思ったのは、
スマイレージの「同じ時給で働く友達の美人ママ」で、
私がスマイレージの楽しさに気付くことになった一曲です。

 

 

 

 

「眼鏡の男の子」は
いつも通学の車両で出会う眼鏡をかけた男の子に憧れ、
眼鏡を取った姿を見てみたいと願うものの、
やがて姿を見かけなくなり、
久しぶりに見かけた時には眼鏡はなくコンタクトレンズで彼女持ち。


眼鏡を取ったらそんなもんか 大したことないじゃん!


というストーリー。

一方、「同じ時給で働く友達の美人ママ」は、
アルバイト先の店長に憧れていたら、
新人バイトとして同級生の美人ママが現れリアルなライバルに。


あーあこの間までは
ただなーんとなく心の中で
「憧れ」
なーんて思ってるだけで充分幸せだったのに
いや!誰かのものになるのなんてありえなーい


というストーリー。

ともにコミカルでどうでもいい話で楽しいのですが、
いずれもそこには映像と物語が描かれています。


私は3rdアルバムぐらいまでの浜崎あゆみさんの歌詞が好きで、
今もずっと聞いていますが、
当時から思っていたのは「このままではいずれ言葉が枯渇する」というものでした。
あの頃の浜崎さんは万葉集を読んでいると語っておられ、
おそらくは作詞のためのインプットをされていたと思いますが、
何しろ、彼女の歌詞には映像に乏しく、
そこにあるのは歌い手、作詞者の「思い」ばかりでした。


それがよかったわけですが、当時の彼女の歌詞は
タイトル以外英語を使用しないという特徴もあり、
「思い」だけで、新曲にこれまでとは違うバリエーションを出していくのは
相当困難だろうと思っていたんです。

日本の歌詞付き商業音楽では、
最近の歌詞には当てはまらないことが多いものの、
従来の歌詞では最初の2行ぐらいで
その歌の世界の映像や物語の前提となる状況を描きます。
それでその曲を聞く人の頭の中に、
その映像を再生させることになります。

うす紅の秋桜が秋の日の何気ない陽溜りに揺れている
この頃 涙脆くなった母が庭先でひとつ咳をする


さだまさしさんが山口百恵さんに提供した「秋桜」の冒頭です。
これから歌われる歌の世界が目に見えるようで、

さらに

縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす ひとり言みたいに小さな声で


と続けば、この曲を聞く人全ての人が

さださんが描こうとしている映像を思い浮かべることでしょう。

少し話は違いますが、

俳句の世界には「一物仕立て」という言葉があります。
一般的な俳句では、季語が主役であり、
ほかの部分で物語、視覚、聴覚、嗅覚などから得られる情報を
言葉にしていきます。

ただ、「一物仕立て」においては、
季語以外の部分全てを季語の描写に使用しますので、類想類句が多く
オリジナリティーが出しづらいという難しさがあります。
詩歌では字数が限られており、
少ない字数の中でオリジナリティーを出そうと思えば、
別の事物の映像や物語、感覚などを取り合わせて詠むことになります。

歌詞においても、「思い」「メッセージ」だけでは
オリジナリティーは出しづらくなります。

「秋桜」のヒット後も、
結婚を控えた女性の母に対する感謝を歌にしたものはあり、
今後も出現するでしょうが、
この曲のオリジナリティーが色褪せることはないと思います。
それは、この曲か映像と物語を伴うものだからです。

今はやたら「○○しろ」「○○するな」「がんばれ」「ありがとう」が多く、
こういうものでもいいのですが、
メッセージだけで映像も物語もないので、
どうしても同じような歌詞になりがちです。


Dreams Come True
「あの夏の花火」

遠くから 胸震わす 音が響いてくる
蒸し暑い 闇の向こうが 焼けている

閃光が 呼び覚ました あの夏の花火を
川風が運んだ 火薬の匂いを

人であふれる堤防 はぐれないように
間近で見た10号玉 まばたきを忘れた

 



Dreams Come True
「サンキュ.」

何も聞かずに つきあってくれてサンキュ
季節外れの花火 水はったバケツ持って
煙に襲われて走りながら
“キレイ"涙目で言うから 笑っちゃったじゃない

 


いずれも吉田美和さん作詞。
映像もストーリーも聞き手に伝わる歌詞です。

 

 

作詞家が作詞家としてだけでは
職業として成立しなくなったことも関係しているのでしょうか。
それもあるかもしれませんが、
それ以上に、発注者の問題が大きいのかなと想像しています。
どういう発注をしているのか、
コンペティションでどういう歌詞を採用しているのか、
あるいは、曲先前提の作詞により、
作詞家が絵を描こうにも描けないのかもしれません。
さらに、歌詞に求められるのは韻を踏むことであり、
映像やストーリーが二の次以下になってしまっているのかもしれません。

私はそんなものより

言葉で、歌で絵を見せてほしいと思います。

ダウンロード販売を含めても
音楽が売れなくなっている今の時代。

そう言われてからずいぶん経ちますが、
その原因に魅力的な楽曲が減っているからだという可能性はないでしょうか。
商業音楽の曲の作り方について、
各社は考えてほしいと思います。