落馬が怖い | First Chance to See...

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エコ生活、まずは最初の一歩から。

 歌手のMISIAが落馬して全治6週間の怪我をしたという。馬に乗って歩行しながらテレビ取材を受けていたら、馬が突然走り出したせいで背中から落ちたのだとか。

 

 慣性の法則、ですな。馬は加速するけど乗っている人間はとっさにその反応に対処できず、思わず後ろに振り落とされる。数えるほどしか馬に乗ったことのない私にも、そのあたりの状況は何となく想像がつく。

 

 ううむ、想像しただけで恐ろしい。

 

 どれほどちゃんと調教された馬であっても、何かの拍子で驚いて思わず駆け出す、ということは起こりうる。馬にその気があろうとなかろうと、ほんのちょっとしたはずみで乗り手は簡単に馬の背から転げ落ちてしまう。

 

 高校生の時に学校の乗馬部(!)に入って本格的に障害馬術をやっていた人によると、部活では「落馬してナンボ」が基本スピリットだったという。落馬したくらいで腰が引けるようなヘタレに出る幕はない——ましてや「落馬するかも?!」と思うだけで腰が引ける私のようなヘタレなど全くもって話にならない。

 

 うむむむむ。

 

 確かに、障害馬術で勝敗を争うならその通りだろう。でも、ただ馬に乗りたいだけなら、必ずしも勝ち負けを競う必要はないのではないか。というのも、私が目指す究極の乗馬スタイルとは、競馬の騎手でもなければオリンピック選手でもなく、ジェーン・オースティンの小説『マンスフィールド・パーク』の主人公ファニー・プライスだからだ。

 

 

 ファニーは、裕福な伯母の家で肩身の狭い思いをしながら育つも、健康のためにと伯父から乗馬を勧められる。「乗馬が私のためになりそうだと話しているのを聞いたときには、もう恐しくて恐しくて」(大島一彦訳、中公文庫、p. 49)とか言ってたくせに、あてがわれた年老いた灰色の小馬とすっかり仲良しに。その小馬が死んでしまった後は、ビビリ、じゃなかった、かよわいファニーには厩舎にいる他の馬は乗りこなせないからと、従兄弟のエドモンドがおとなしい牝馬を新たに調達してくれる。「新しい牝馬は逸品であった。しかも殆ど手がかからずに目的にぴったり叶ったから、ファニーの占有も同然となった」(p. 54)

 

 これだよこれこれ、これが私の理想なの。健康増進のための運動として、おとなしい小馬にまたがり田舎道をぽくぽく散歩。人も馬もぽくぽく散歩することしか頭にないから、急に駆け出す心配もほぼなし。いいなあいいなあ、ファニーが羨ましすぎていっそ妬ましいくらいだよ(ただし、ロングスカート姿での乗馬はご遠慮したい)。

 

 「落馬してナンボ」な障害馬術、大いに結構。でも、健康増進目的のヘタレ乗馬に憧れる人は、私以外にも結構いるんじゃないかしら……?