Nikkoh の 徒然日記

ゲイ(=男性同性愛者)の Nikkoh が、日々の雑感やまじめなこと、少し性的なことなどを、そこはかとなく書きつくります

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Nikkoh のブログへようこそ。
ゲイ(男性同性愛者 / ホモセクシュアル)の Nikkoh が、徒然なるままにいろいろ書いてます。
マスキュリズム / メンズリブ にも関心があり、調べたり考えたりしています。
※ マスキュリズム(masculism) = 男性に対する性差別(男性差別)の撤廃を目指す思想・運動。フェミニズムの対置概念とされますが、僕は、並置概念と言いたいと思っています

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《 ご理解ください 》
・ ここのブログは同性愛者が運営しており、同性愛の話題がたくさん出てくるブログです。また、管理人はマスキュリズム / メンズリブ にも関心を持っており、それらに関する記事も多いです。その点をご承知の上でご覧ください。(各人の責任で、読む記事を取捨選択してください)

・ 誹謗中傷や攻撃ではないコメントは大歓迎です。ただし、承認制のため、反映が遅れることがあります。また、コメントを承認するかしないかは、管理人の判断で決めます。

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弱者男性問題,男性差別問題,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放運動 に関連した書籍・webサイトの紹介は、 こちら をご覧ください!

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【お知らせ】note での投稿について

2023-07-30 20:50:43 | 男性差別 I (概観・総論・横断的内容)
マスキュリズム(男性差別撤廃のための思索)についての記事を、長らくこのブログにて投稿してきましたが、
今後は note にて投稿してまいります。
こちらのブログへは、今後の新規記事は掲載しません。これまでの僕の発信に興味関心を持ってご覧いただいていた皆さまは、ぜひ note のほうをご覧くだされば幸いです! 


Nikkoh|note

マスキュリズム(男性差別撤廃のための思索と運動)の左派。特に、生命・健康の問題,体力の問題,性的羞恥心軽視の問題等に関心がある。ガラスの地下室へ押し込められた男...

note(ノート)

 


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書籍・webサイトの紹介(マスキュリズム・男性差別論・弱者男性論など)

2023-03-18 23:34:03 | ご案内
マスキュリズム(男性差別撤廃のための思索と運動)や弱者男性論に関わる問題を考えるために参考になりそうな書籍やwebサイトを紹介します。
あくまでも「参考になりそう」という範疇で列挙しています。したがって、リンク先の述べている内容と僕の考えやスタンスには、乖離がある場合もあります。

☆ 書籍紹介 

男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問(ワレン・ファレル著,久米泰介翻訳,作品社,2014年) 
1993年にアメリカで出版された本が、21年もの年を経てようやく邦訳された。奇跡を起こしたと言っても過言ではない1冊である。原著は、Warren Farrell の "The Myth of Male Power" であり、本書はそれを(一部の章を除いて)日本語訳している。原著者のワレン・ファレル氏は、アメリカの社会学者で、マスキュリズムの大御所のような人物である。男性の被害者性や男性の苦しみなどにきちんと光を当て、そこからの解放を目指している。本書で彼は、男性も社会の中で差別されているという事実を、様々な具体例やデータによって提示している。本書を読むことで、これまで見えていなかった〈 男性差別 〉、あるいは、男性の弱者性,脆弱さ,被害者性などが、鮮明に見えてくるであろう。アメリカでは30万部を売り上げてベストセラーになったこの良著は、(悲しいことでもあるが)今でも色あせていない。本書が、多くの人の目に触れることを願いたい。
男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問
ワレン・ファレル(著),久米 泰介(翻訳)
作品社


広がるミサンドリー: ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別( ポール・ナサンソン/キャサリン・K・ヤング共著,久米泰介翻訳,彩流社,2016年) 
《ミサンドリー》とは、男性嫌悪あるいは男性蔑視という意味合いの語であり、ミソジニー(女性嫌悪)と対になる概念である。「男 = 邪悪で愚か」というイメージと男性への蔑視が、ドラマや映画などによっていかに一般社会に刷り込まれつつあるか。そして、そのことに対していかに人々が無関心であるか。メディアにあふれるミサンドリーと男性差別について、アメリカ・カナダの事例から検証されている。ミサンドリーを告発し、ジェンダー論争におけるダブルスタンダードに疑義を投げかける本。 
(日本の事例では無いので、そこが分かりづらさにつながるかもしれません。しかし、メディアがミサンドリーを無意識のうちに刷り込んでいる現象は、間違いなく日本でも多発しています。是正のための取り組みが必要です)
広がるミサンドリー: ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別

ファーザー・アンド・チャイルド・リユニオン 共同親権と司法の男性差別( ワレン・ファレル著,久米泰介翻訳,社会評論社,2017年) 
離婚後の「親権」をめぐって、多くの父親が子どもの養育から引き離されている。男性にとって不利な制度が厳然として残っているし、司法の判断も男性にとって不利なものとなるケースがきわめて多くある。父親が、お金の稼ぎ手としてだけではなく子育てをする人として、そして母親との敵対ではなく協力して行なう「共同親権」は、男性を解放する家族の静かな革命である。アメリカにおいて30万部のベストセラーとなった、運動の第一人者による問題提起の書。
ファーザー・アンド・チャイルド・リユニオン -共同親権と司法の男性差別

法制度における男性差別 合法化されるミサンドリー( ポール・ナサンソン/キャサリン・K・ヤング共著,久米泰介翻訳,作品社,2020年)
男だって “差別” されている。なぜ父親は、離婚で子供の親権を認められないのか? なぜ男性のDV被害は問題にならないのか? 親権,DV,セクハラ,レイプ,売春,アファーマティブアクションなど、具体的な事例を検証し、いかに男性への差別・蔑視が合法化されているかを明らかにする。北米で大論争を巻き起こしている注目の書。
夫のペニスを切断した〈ホビット事件〉,最高裁判事候補がセクハラで訴えられた〈C・トーマス事件〉,14人の女性を殺害した〈モントリオール理工科大学銃撃事件〉などが取り上げられている。そして、これらの事件後にいかに政治的な運動と論争が起こされ、世論がマスメディアによって形成され、男性差別的な法改正が行われたかを検証している。
そして、1990年代以降、この合法化されたミサンドリー(男性蔑視)が、裁判所・教育機関・政府委員会・企業から、雇用・結婚・離婚・セクハラ・暴力・人権に影響を与える法律や政策に至るまで、いかに浸透していったかを論じている。
なお、この本の巻末に、翻訳者の久米氏による後書きが掲載されている。これを読むと、マスキュリズムは困難な荊の道であるが、ジェンダー平等を実現するためには必要不可欠であることがよくわかる。
法制度における男性差別: 合法化されるミサンドリー

正しいオトコのやり方―ぼくらの男性解放宣言(フランシス バウムリ著,下村満子翻訳,学陽書房,1991年)
30年以上前のアメリカで出版された本の翻訳である。原著は、Francis Baumli の "Men freeing men" であり、本書はその一部を日本語訳している。30年以上も前の、それも海外のことを取り上げている本だが、読む価値はかなりあるだろう。内容は確かに古いものの、過去のアメリカと今の日本は重なる部分もあって、生きた内容として読めると思う。特に、マスキュリズム・男性差別・弱者男性問題に関心のある方や、男性が男性であるが故にもれなく不条理に背負わされてしまう様々な苦しみに対して問題意識を持つ人には強く薦めたい。
正しいオトコのやり方―ぼくらの男性解放宣言
フランシス バウムリ (著), 下村満子 (翻訳)
学陽書房


男が崩壊する(ハーブ・ゴールドバーグ著,下村満子翻訳,PHP研究所,1982年)
ハーブ・ゴールドバーグの名著、"THE Hazards of Being Male" の邦訳版です。かなり古い本ですが、一読の価値のある本だと思います。第12章「男であることの危機」,第6章「束縛から逃れられない男たち」,第4章「感情 ― 男が本当に恐れるもの」だけでもよいので、読まれたいところです。
男が崩壊する (1982年)
ハーブ・ゴールドバーグ(著),下村満子(訳)
PHP研究所


脱男性の時代―アンドロジナスをめざす文明学(渡辺恒夫著,勁草書房,1986年)
『脱男性の時代』は、心理学者の渡辺恒夫氏が1986年に出版した本である。
( 註 : 読売グループの渡邉恒雄氏とは全くの別人である。念のため注意されたし )
僕は、彼こそが、我が国における〈 男性学 〉の祖であると思っている。
セクシュアル・マイノリティについての記述に紙幅を割いてはいるが、〈 弱者男性問題 〉,〈 男性差別問題 〉,〈 マスキュリズム 〉,〈 メンズリブ 〉,〈 男性解放運動 〉を考える上で大きな示唆を与えてくれる書籍である。これらの事項に関心のある方には、必要な部分のみを読むという形でも良いので、ぜひ一読をお薦めする。
脱男性の時代―アンドロジナスをめざす文明学
渡辺恒夫
勁草書房


マッチョになりたい!?―世紀末ハリウッド映画の男性イメージ(國友万裕著,彩流社,2011年)
20世紀末のハリウッド映画を取り上げた本だが、〈 男性学 〉の本でもある。著者のご専門が、ジェンダーとアメリカ映画なので、両方の要素を併せ持たせ、男性ジェンダーの角度からの映画分析に仕上がっている。
國友さんは、男らしくない男の子であったが為に、「女の腐ったような」と揶揄されたり、「男らしくあること」を強いられることで苦しみながら育ってきた方である。僕自身と重なるところがあり、彼の文章を読むとカタルシス効果を得ることが出来る。
この本を読むと、男性もまた(女性と同様に)ジェンダー規範による抑圧を受けながら生きているのだということがよく分かると思う。そして、男として生きることは如何に〈 痛い 〉し〈 苦しい 〉ことなのかということも分かるのではないかと思う。
マッチョになりたい!?: 世紀末ハリウッド映画の男性イメージ
國友万裕
彩流社


BL時代の男子学 ~21世紀ハリウッド映画に見るブロマンス~(國友万裕著,近代映画社,2014年)
これまでハリウッドは、ゲイ,同性愛といったものに対して否定的な描き方をしてきましたが、21世紀に入ってそれが逆転してきた。本書ではそうしたハリウッドの意識の変化と、現実社会における男性性の変化をリンクさせ、21世紀がいかにゲイ的な社会になってきているかをハリウッド映画を通して検証している。
BL時代の男子学 ~21世紀ハリウッド映画に見るブロマンス~ (SCREEN新書)

マスキュリニティで読む21世紀アメリカ映画(國友万裕著,英宝社,2021年) 
國友さんの最新刊。トクシック・マスキュリニティ(有害な男性性,男らしさ)の視点からハリウッド映画の構造を鋭く読み解く。膨大な数の映画を渉猟しつつ、ジェンダー強制の抑圧から逃れ得た、隠れた名作を探し出す。
『マッチョになりたい!?』と併せて読むと良いと思う。
マスキュリニティで読む21世紀アメリカ映画

『男は痛い!』
『男は痛い!』は、國友さんの 対人援助学マガジン における連載で、無料で読むことが出来る(PDFファイルをダウンロード)
『マッチョになりたい!?』と併せてご覧になることをお薦めする。
特に、女性(女児)からいじめ・暴力の被害を受けた男性(男児)の問題や、男性の性的羞恥心が軽視・無視されている問題などについては、國友さんご自身の経験なども踏まえて多く記述されている。

ぼくたちの女災社会(兵頭新児著,二見書房,2009年)
女災=女性災害 は、著者の兵頭氏による造語。兵頭氏は《 男性差別 》という語を好まず、《 女災 》という言葉を用いる。
女性災害とは、男女関係のあらゆるフェーズにおいて、事情の如何に関わらず常に「女性が被害者,男性が加害者」と決定づけられてしまうことを指す。
本書において、女性の加害者性とは、いかなる局面でも男性に対して《 被害者 》として振る舞うことが許されていること であり、男性の被害者性 とは、いかなる局面でも女性に対して《 加害者 》として振る舞うように仕組まれていること であると規定されている。これは兵頭氏独特のものであるが、大いにうなずかされるところであり、大変興味深い。
些か理解が難しい部分はあるものの、その内容はかなり本質を突いていて、実に良著なのだが、絶版となっているのが残念。ただし、Amazon の Kindle(電子書籍) で読むことができる。
ぼくたちの女災社会
兵頭新児
二見書房


兵頭新児の女災対策的読書

フェミニズムの害毒(林道義著,草思社,1999年)
どちらかというと、右より(保守)の視点からフェミニズムを批判する書。性別役割分業に肯定的な論調。一貫した立ち位置から、理路整然と書かれているので好感が持てる。
現代人(特に若者)は、知らぬうちに フェミニズム思想の影響を受けているケースが多いと思われるのだが、この本はその解毒剤として効力を発揮するはず。バランスを取る意味でも必読の書といえそう。
フェミニズムの害毒
林道義
草思社


男女平等への道(古舘真著,明窓出版,2000年)
どちらかというと、左より(革新)の視点からフェミニズムを批判する書。性別役割分業に否定的な論調。
「保守派の頑固じじい」にも「過激なフェミニスト」にも批判的で、虚弱な男性や気の弱い男性などのように男女双方から相手にされない非力な弱者の立場から男女平等を論じた、貴重な本。真の男女平等を求める姿勢で、公正に書かれているので、共感をもって読むことが出来る。 
男女平等への道
古舘 真
明窓出版


日本の男性の人権(山本弘之著,ブイツーソリューション,2009年)
男性差別問題を取り扱った書籍が少ないことを憂う著者が、自費出版の形で世に送り出した書籍。
さまざまな男性差別を挙げていて、参考になる。データの類もしっかりと掲載されている。
日本の男性の人権
山本弘之
ブイツーソリューション


男は虐げられている(竹中英人著,郁朋社,1999年)
「男は弱くなった」「男は変わろうとしない」など現代社会ではとかく批判されがちな男たち。男らしさを取り戻すべきなのか、捨てるべきなのか、世の男たちに贈る理論武装のための一冊。
男は虐げられている
竹中英人
郁朋社


☆ web サイト/ nоte /個人ブログなど   

茂澄遥人 男にも幸せに生きる権利がある
茂澄遙人

茂澄遙人

男にも幸せに生きる権利がある

茂澄遙人

 

自作されている『統計データ画像集』は圧巻の一言である。厚生労働省や警察庁や内閣府などが発表した公的な統計データを使ってグラフ化した画像が多数掲載されている。男性から見た男女の不平等がひと目でわかるデータが揃っている。
また、《慈悲的性差別》や《有害な女らしさ》や《受動的攻撃性》など、マスキュリズムに取り組むうえで考えるべきトピックについての考究もたいへん役立つ。

nоte でマスキュリズム関連記事を投稿されている方々 

ウィックジェイ(K/G40xWlKJ)|note

ウィックジェイ(K/G40xWlKJ)|note

ミソジニーガチ勢のマスキュリスト左派。といっても世間的なミソジニーには批判的立場。我々は伝統主義のためではなく、あくまで平等と自由のために戦うべきだ。 #AF4 #Ant...

note(ノート)

 


okoo20|note

okoo20|note

マスキュリズム関連をかじってるペンギン? が、流氷に乗ってnoteに流れ着いてきました。 マスキュリズム関連を中心に何か趣味の物でも書けたらやっていく予定。

note(ノート)

 


MRA for eveyone|note

MRA for eveyone|note

note(ノート)

 



女に生まれたかった男が男女について考える  

女に生まれたかった男が男女について考える

「女に生まれたかった男」が、男女、男性差別、女性羨望について考えます。

女に生まれたかった男が男女について考える

 

「女に生まれたかった男」である管理人さんが、男女論,男性差別,女性羨望などについて真剣に考究しておられます。読み応えのあるブログです。


男性差別とたたかう者のブログ(多様性と人権の尊重を求めて)
男性の性的羞恥心が軽視・無視されていることなどに疑問を呈し、現在の男女共同参画のあり方の問題点(理念と現実の乖離)を指摘されています。


National Coalition For Men 

National Coalition For Men (NCFM)

National Coalition For Men (NCFM)

 

NCFMは、1977年から活動しているアメリカの男性団体です。
NCFM is dedicated to the removal of harmful gender based stereotypes, especially as they impact boys, men, their families and those who love them.
(NCFMは、ジェンダーに基づく有害な固定観念(特に男児,男性,その家族や彼らを愛する人々に影響のあるもの)を除去することを目指して活動している)


メンズリブ 男性運動を行うために。

男性にも人権を! 男性も暮らしやすい社会づくりを!

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国際男性デー 2022

2022-11-20 21:17:41 | 男性差別 I (概観・総論・横断的内容)
11月19日 は、国際男性デー(International Men's Day) でした。

( 関連ワード : 弱者男性問題,男性差別,女災,マスキュリズム,メンズリブ,男性解放,男性運動 )





国際男性デー(IMD)は、男性・男児の健康と幸福を祈念する日 です。
日本ではほとんど知られていませんが、多くの国でこの日の存在が知られています。 

ジェンダー平等の実現のためには、"男性差別" の撤廃が欠かせません。しかし、"男性差別" は見えざる差別であり、まずは "可視化" が必要です。ガラスの地下室へ押し込められ、生命を軽んじられて使い捨てられる男性の現状を、この社会は直視するべきです。  

このブログでは、これまでマスキュリズムについて数多くの記事を執筆してきました。マスキュリズム(masculism) とは、男性に対する性差別(男性差別)の撤廃を目指す思想・運動 を指します。男性の被害者としての側面や、男性の苦しみに着目していく思想や運動です。よく、フェミニズムの対置概念とされますが、僕は、並置概念と言いたいと思っています。男性解放運動と女性解放運動は 車の両輪 です。マスキュリズムとフェミニズムも 車の両輪 です。片方だけでは、脱輪してしまいます。必ず、揃っていなければならないし、揃っていてこそ意味があるのだと思います。
対置概念(あるいは並置概念)であるフェミニズムとマスキュリズムですが、双方の間には歴然とした力の差があります。マスキュリズムは、宿命的にきわめて大きな困難を抱えているのです。
第1に、影響力が圧倒的に違います。フェミニストと比べて マスキュリストは圧倒的にマイノリティ です。これは、「フェミニズム」という語と「マスキュリズム」という語の社会での認知度を考えれば、明らかでしょう。あるいは、刊行された書籍の数を見てもその差は歴然としています。また、「国際女性デー」が記されているカレンダーは見かけますが、「国際男性デー」が記されているカレンダーを見たことがありません。国際連合のサイトでも、国際女性デーは掲載しているのにも関わらず、国際男性デーは掲載されていないのです。また、フェミニズムは行政にも大きな影響を与えていて、多くの自治体が施設を建設したり、政策を実行したりしています。それに対して、マスキュリズムはまず存在の認識すらされていないのが現状です。
第2に、理解の得られやすさが異なります。男性の被害 と 女性の加害 は、逆の場合と比べて理解されづらい のです。「女性はか弱く、保護しなければならない」との素朴な社会通念が存在しています。女性の被害 と 男性の加害 については、この通念と適合しますので、ごく自然に理解できる人が殆どでしょう。ところが、男性の被害 と 女性の加害 の場合は通念と適合しないため、どうしても違和感を持ってしまう人も多いのだと思います。
第3に、所謂“正しさ”の縛りがあります。マスキュリズムの考え方そのものが、“正しくない”ものとしてバッシングを受けることがある のが現状です。教条主義的なフェミニズムや、その主義・思想を土台としたメンズリブなどが、性差別やジェンダーの問題への取り組みのマジョリティとして、大きな影響力を持ちました。そのため、「女性が被害者であり、一方的に男性から支配・抑圧されている」或は「男性は加害者であり、一方的に女性を支配・抑圧している」というイデオロギー が、“正しい”ものとして根付いてしまいました。これを前提とすると、男性の被害 や 女性の加害 に着目するマスキュリズムは、その存在そのものが正しくないということになってしまうというわけです。
こうしてみてみると、マスキュリズムとは極めて困難なものだと改めて思わざるを得ません。しかし、その必要性を疑う余地は無いと思います。社会はじわりじわりと変化していきます。その中で、一歩ずつ前進していくことを願うばかりです。

マスキュリズムをテーマとした映画『The Red Pill』があり、国際男性デーに合わせて東京で上映会が開催されました。




主催者は僕とつながりのある方で、僕も微力ながら運営に協力させていただきました。また、来場者の皆様に記念冊子を頒布させていただきました。(当初は小規模なパンフレットの予定だったのですが、原稿をまとめていったら62ページにも及ぶ冊子になってしまいました)



とにかく一人でも多くの人にこの問題を知って欲しいし考えて欲しいと、心の底から願っています。映画の上映会や講演会、読書会などの開催を重ねていけたらと考えています。

PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)には、御田寺圭さんのコラム『「男性は何かをする必要がある」 ジェンダー平等を謳いながらそんなツイートをする国連女性機関の時代錯誤 ~「男女平等」を強く求めつつ「女性を守るのは男の役割」と語る矛盾~』が掲載されています。核心を突いた良記事だと思いますので、未読の方はぜひお読みください。

「男性は何かをする必要がある」ジェンダー平等を謳いながらそんなツイートをする国連女性機関の時代錯誤 「男女平等」を強く求めつつ「女性を守るのは男の役割」と語る矛盾

国連女性機関が10月半ばに発信したツイート「男性は何かをする必要がある」が炎上した。なぜ男性は猛反発したのか。文筆家の御田寺圭さんは「世の多くの男性にはすでに男女...

PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 


また、茂澄遙人さんの『統計情報で見る男性差別 ~無視され使い捨てられる男性の命~』もたいへんよく現状をとらえており、必読だと思います。男性の生命が、女性と同じくらい大切にされる社会を実現しましょう。繊細な感受性をもった男性が、自分らしく健やかに嫋やかに生きていける社会を………。 

統計情報で見る男性差別 無視され使い捨てられる男性の命

性差別は男性にとって生き死にの問題である。男性が社会から期待される性役割(ジェンダーロール)は、男性を過酷な環境に追いやり、男性の命を危険にさらしている。この記...

茂澄遙人

 
 

マスキュリズムに関する書籍としては、まず 『男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』(ワレン・ファレル著,久米泰介翻訳,作品社)をお読みください。
この本は、およそ20年前のアメリカで出版された本の翻訳です。原著は、Warren Farrell の "The Myth of Male Power" であり、本書はそれを(一部の章を除いて)日本語訳しています。原著者のワレン・ファレル氏は、アメリカの社会学者で、マスキュリズムの大御所のような人物です。男性の被害者性や男性の苦しみなどにきちんと光を当て、そこからの解放を目指しています。本書で彼は、男性も社会の中で差別されているという事実を、様々な具体例やデータによって提示しています。本書を読むことで、これまで見えていなかった〈 男性差別 〉、あるいは、男性の弱者性,脆弱さ,被害者性などが、鮮明に見えてくるでしょう。アメリカでは30万部を売り上げてベストセラーになったこの良著は、(悲しいことでもあるが)今でも色あせていません。本書が、多くの人の目に触れることを願いたいです。

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運動が苦手な男子・体育が嫌いな男子の感じる抑圧

2022-10-10 14:45:08 | 男性差別 II (生命や健康・体力のこと)
今日(10月10日)は "スポーツの日" です。 
長らく "体育の日" と呼ばれていた祝日でしたが、数年前に呼称が変わりました。1964年東京オリンピックの開会式が行われたのを記念した祝日です。 

その体育やスポーツですが、嫌い・苦手という人も多く居るものです。僕もその一人で、小学生のときから体育は嫌い・苦手です。いわゆる "文化系" ひとすじで生きてきました。 
体育嫌いについて、京都教育大の井谷恵子名誉教授が、ジェンダーの観点から研究をされています。ちょうど、この祝日に合わせてか、朝日新聞が報じています。


言えなかった「体育が嫌い」 苦痛だった持久走、忘れられない怒声:朝日新聞デジタル

言えなかった「体育が嫌い」 苦痛だった持久走、忘れられない怒声:朝日新聞デジタル

 大阪府吹田市の大学生、江口康太さん(21)は就職活動中、複数が協力する「グループワーク」で、「もやっとした気持ち」を抱いた。 求められたのは「チームワーク」。嫌...

朝日新聞デジタル

 


国が行った調査によると、中学2年生におけるスポーツが「嫌い」「やや嫌い」の割合 は、以下の通りとのこと。

2008年調査:男子 11.6%,女子 20.7%
2021年調査:男子 12.7%,女子 24.7%
 

男子の8分の1,女子の4分の1が、「嫌い」「やや嫌い」と回答しているということになります。 
「男子は運動・スポーツが好き・得意」と決めつけられることもしばしばありますが、実際のところは、運動・スポーツが嫌い・苦手な男子も数多く居ます。 

記事中では、21歳・男子大学生Aさんが、小学生のときの忌まわしき思い出を語っています。
運動会の組体操では、男子だけが "ピラミッド" に参加することを強要され、シゴキとも形容できるような身体的苦痛に満ちた練習をさせられたそうです。 
教師曰く、「男子だから、先輩たちも続けてきたから、やらなきゃいけない。やる気だ。根気だ。耐えろ。もっとつらい人がいる。チームワークだ」と。 
Aさん「でも、僕は自分からそれをやりたいと思った覚えはない。強制されているとしか思えなかった」
Aさん「男ならできて当たり前だという価値観。できないのはふざけているからだという決めつけ。おかしいと思ったけど、先生たちに言う勇気はなく、もやもやした気持ちとして残った」

井谷教授の調査では、他にも運動・スポーツを嫌い・苦手とする男性たちからの声が上がっています。 
『男性は体育ができて当然とされ、男らしさを競う場として体育が扱われることの圧力の存在が指摘された。そこで生じる序列が、学校生活の序列になっていたことも訴えられた。』

この調査をもとにリーフレットがまとめられています。
 

アクション > 『体育嫌い』の声を聴く   リーフレットができました ◆井谷惠子

アクション > 『体育嫌い』の声を聴く  リーフレットができました ◆井谷惠子


「沈黙する『体育嫌い』の声を聴く ジェンダー視点を中心に」というリーフレットを作成しました。
体育・スポーツに関心のある方々に広く考えていただくきっかけになればと...

 


このリーフレットの中には、男性からの声として、たとえば以下のようなものが掲載されています。掻い摘んで紹介します。
 
・ 肌を見せるのが嫌で、普段もずっと襟付きの服を多く着たりして肌を隠そうとしてるのに、夏の水泳ではパンツだけで泳がなければならないのが本当にストレスだった。 
・ 先生方から、体育っていうのは男の人はできて当然みたいな感じで扱われてきて、やり方など分からないまま授業がすすで行く感じがあった。 
・ 体育授業等で、普通にできない(体力や技能の面で本人にとっては無理なことを要求されている)だけなのに、ふざけていると先生に勘違いされてしまったりして、辛さを感じていた時期があった。 
・ 持久走大会で、体調を気にして体力をセーブして控えめに走っていたら、ものすごい怒号で怒鳴られた。 
・ 学校体育を嫌だと感じるようになったのは、体育が男女別に変わった中学校入学時だと思う。小学校までの男女・上手下手関係なくワイワイしていた体育から、(運動ができるという)男らしさを競わせるような場になったギャップに絶望の日々だった。 
・ 小学校は組体操がすごく盛んで、教員が団結の名のもとに無理な段数を積み上げることが常態化していた。ピラミッドと呼ばれる技も男子児童全員に強要されたものである。小学校6年生の時点で身体的な差がない(筆者註:体格・体力の面ではむしろ女子のほうが上回る時期である)のにも関わらず、男子児童だけがこの理不尽を強いられることに憤りを感じた。 
・ 体育行事に協力しない生徒やできない児童は、他の児童からのいじめに耐えなければならない。「お前じゃなくもっと運動神経がいいやつがうちのクラスにいたらいいのに」と心ない言葉を何度もかけられた。 
・ スポーツできる人たちがマウントを取ってくる。スポーツができる=モテるみたいな風潮があり、そのスポーツのヒエラルキーがそのまま学生生活にも直結してたように思う。

リーフレット内で井谷教授が『男性の「体育嫌い」は女性よりももっと声を上げづらい環境になっているようにも思えます』と記されているのは、確実に当たっています。そういう意味で、このような声を表出させることに成功したこの調査の価値は高いと思います。

運動が苦手な人,体育嫌いな人,体力が無い人という集合で見たとき、男性はマイノリティ(少数者)です。
マイノリティを大切にするのがリベラルであるならば、この問題も社会の中で大切な問題として扱ってほしいものです。

体育やスポーツというのは、男性差別との関連が深いものです。 
運動が苦手な男子,体育・スポーツが嫌いな男子,体力がない男子というのは、そうでない男子に比べて、自尊感情が低くなりやすいと思います。 
体育会系でマッチョな男たちによる、不健全な同調圧力・抑圧の構造は、変えていかなければならないと考えます。 
また、男性に対して一律に運動が好き・得意であると決めつけたり、一律に体力的に優位であることを期待するのは、ジェンダーハラスメントです。 
(これは、何も男性間に限られた問題ではありません。女性から男性に対するハラスメントも多数行われています)


※ 男性のみを対象とした徴兵制は、最大にして最悪の男性差別ですが、ここにもこの問題が関連してきていると僕は考えています。

1994年度から高校の家庭科が男女とも必修となりましたが、それ以前の約30年間にわたり、普通科の高校では、男子に女子の倍近くの時数の体育授業を課していました。家庭科を学ぶ機会を奪われ、体育を押し付けられていました。これは、体育会系・マッチョな男子にとっては良かったのかもしれませんが、そうでない男子にとっては迷惑あるいは苦痛でしかなかったものと思います。 

☆ 高等学校「家庭科」の変遷 ~男子の家庭科を学ぶ権利が奪われていた時代~(2022年8月) 

高等学校「家庭科」の変遷 ~男子の家庭科を学ぶ権利が奪われていた時代~ - Nikkoh の 徒然日記

高等学校における「家庭科」の授業は、1994年度から男女を問わずすべての生徒において必修の科目として履修されるようになりました。では、それ以前はどうだったのかという...

goo blog

 
 

また、女性の体力の平均値を下回る男性も社会の中には存在します。
マスキュリズムの活動を進めていく上では、その存在を可視化していくことが、大きな益につながるでしょう。 

☆ 体力の男女比較 ~〈 手弱男 〉の存在を可視化する試み~(2014年7月) 
体力の男女比較 ~〈 手弱男 〉の存在を可視化する試み~ - Nikkoh の 徒然日記

体力の男女比較 ~〈 手弱男 〉の存在を可視化する試み~ - Nikkoh の 徒然日記

(※この記事は、僕自身の勉強も兼ねて作成している考察文です。無条件に鵜呑みにせず、逆に、頭ごなしに否定せず、1つの仮説として受け止めていただければ幸いです)(※弱...

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運動が苦手な男子,体育が嫌いな男子でも、抑圧や攻撃・ハラスメントを受けることなく、自分らしく生き生きと暮らせる社会になることを願っています。

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徴兵制を作ったのは(戦争を始めたのは)男性であるからといって……

2022-10-01 12:15:39 | 男性差別 V (社会の制度に関わること)
男性のみを対象とした徴兵制は、最大の "男性差別" であり、国家による男性に対する人権蹂躙である。 
この件については以前にも記事を書いているので、よろしければ読んでいただきたい。 

兵役義務(徴兵制)は国家による男性に対する人権蹂躙である - Nikkoh の 徒然日記

兵役義務(徴兵制)は国家権力による男性のみを対象とした人権蹂躙であり苦役の強要である。最大にして最悪の"男性差別"である。残念ながら、たいていの軍隊組織...

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兵役義務(徴兵制)は最大の "男性差別" である - Nikkoh の 徒然日記

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2022年10月1日現在、ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻がいまだ続いており、心痛むばかりである。 
ウクライナの成人男性は依然として出国を禁じられたままであり、国外避難という選択をとることができない。危険な戦場にとどまることを強いられている。
また、ロシアでも9月下旬に "部分的動員令" が発動され、何十万人という規模の一般市民が徴兵されて戦地へ送られている。そのすべてが男性であることは、もはや言うまでもないだろう。 
(ロシアの政治権力を握る者にはこの戦争に対する責任があるが、ロシアの一般国民には基本的に責任はない) 

男性であるという理由だけで、意に反して戦地へ送られ、武器を持って敵を殺すことを強いられる。拒めば自らが刑罰を受けることになり、最悪の場合は命を失うことにもなる。こんなおぞましいことが21世紀になってもまだ行われている。そして、そのことを多くの人たちが "当たり前のこと" だと捉えていて問題視しない(少なくとも声が上がってこない)ことに、憤りを感じざるを得ない。 

男性のみを対象とした徴兵制に対して、"男性差別" であるという主張をすると、以下のような反論が必ず出てくる。

・ 国家権力を握っているのは男性であり、戦争を始めたのは男性である。
・ 徴兵制という制度を作ったのは男性である。

これらの記述は、それ自体は正しいことを述べている。
しかし、その内容を是認した上においても、男性のみを対象とした徴兵制が "男性差別" であり人権蹂躙であることは変わらない。 

国家権力を握っているのも戦争を始めたのも徴兵制を作ったのも「男性」であるが、あまりにも主語が大きすぎる。 
実のところ 「男性」はきわめて多様 であって、千差万別の価値観・人生観・思想・信条を持っている。 
国家権力を握っていない(社会を変える力など持っていない)男性がおり、戦争に反対している男性がおり、徴兵制に反対している男性がいる。意に反して戦地へ送られるのは彼らなのである。 

戦争を始めたのが「男性」だからと言って、すべての男性に責任があるなどとするのは暴論である。 
徴兵制を作ったのが「男性」だからと言って、すべての男性に責任があるなどとするのは暴論である。
 

例えば、何らかの凶悪犯罪が起こったとする。その犯人がA県の出身であったとする。このときに、その責任をA県の県民全体に対して問うだろうか? 
誰もがおかしいと感じるだろう。なぜ、同じ県の出身であるというだけで、責任を問われなければならないのかと、反論するだろう。 

これと同じである。
戦地へ行きたくない男性,武器を持って敵を殺したくない男性と、戦争を始めたり徴兵制を作ったりした男性というのは、性別が同じだけ であって、考え方が真反対であると言っても過言ではない。
それを一括りにするのは暴論以外の何ものでもない。 

したがって、戦争を始めたのは男だとか、徴兵制を作ったのは男だとかいう反論に対しては、「性別が同じというだけで一括りにするな!」 という一言で論駁できる。まったくひるむ必要などない。
マスキュリズムに取り組む方々においては、ぜひこの視点を持っていただきたいと思う。

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