粗利の源泉 | 自由への逃走

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投資ブログから、日々考えていること、読書で心に残ったことなどを記していく備忘録に変貌。

原理主義者あぐです。

 

今回は仕事の話から。

 

ただいまうちの素材を使った製品に張ってもらうホログラムシールを作っています。ブランドタグみたいなやつです。

 

いつも附属品を作ってもらっている業者に頼んだものの出来がイマイチで、厚さが足りなくて貼ると蕁麻疹みたいな気泡が入る。「これじゃ安っぽくてイメージダウンだよ」というと、この社長(学校の後輩)曰く、「いやパイセン、厚い台紙あるんですが、特注でとんでもないロットになります。」

 

どうも納得がいかず、ほかに業者は無いのかとグーグルで調べてみたら、どうも頼んでいるドンピシャのメーカーのWebページに行き当たりました。そこには3種類の厚みがあると書いてあり、試作はその中の一番薄い奴でした。おまけにコスト構成までオープンにされており、恐る恐る見てみると、後輩からうちへの請求の半額ぐらいカメ

 

一応そのメーカーに電話して厚いシールのロットってどれくらいなのかを聞くと、そこも企画会社で工場に外注する形なのですぐには分からないという。「見積もり取りましょか?」といわれたが、さすがにそれは断って電話を切った。

 

その後すぐに、別の自社工場を持つメーカーが見つかったので、そちらに改めて見積もりを取らせていたところ、件の後輩から電話が入り、「パイセン、やってくれますね」という。まあ、相手はツーカーだろうから昨日の今日で同じ質問すればバレルねガーン

 

ちょっと気まずかった。

 

カメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメ

 

さて、前置きが長くなっただけでなく、あまりこの後書くことに関係ない気もしてきたけど、「粗利」について考えてみます。

 

上のケースは粗利50%程と一見とんでもないけど、アパレル業界では最終製品になると粗利80%も珍しくありません。セールで最大70%オフとかあるけど、それでも売上総利益はプラスになります。そんなことばかりやっているところは営業利益はマイナスでしょうが得意げ

 

粗利「率」の絶対値は、この業界では一般的に川上の方が低く、川下の方が高い。それを考えると、商品の附属で50%というのはやっぱり、とんでもなく高いむっ

 

でも、私が注目するのはここではない。

 

そもそも、粗利とは売上から仕入れを引いたものですね。つまり、商品を安く仕入れて、高く売るその差額であり、どれだけ高く売るのかが粗利率。ブックオフで見つけた本をアマゾンで高く売る個人も、総合商社もやっていることは原理的に変わらない。

 

ただし、「商品」とはモノに限らず、「情報・サービス」も含まれます。というかむしろ一般化して商品の実態は「情報」と割り切ったほうが、理解、分析には好都合のような気がします。

 

例えば、クルマというモノを買ったとしても、内実は原料仕入れの情報、クルマの設計情報、組み立てのノウハウ、ブランドストーリーなどなど、消費者がクルマに支払う代金はこれら情報の集積に対して支払うともいえます。

 

ではどんな情報が高く売れるのか?それは情報のレア度/独占度に大きく依存するというのは感覚的に受け入れられると思います。

 

そもそもある商品をどこで仕入れることができるのか誰も分からなければ、そして「生産者がマーケット情報に疎ければ」、その情報を握る人は値付けにおいて相当な自由度を持つでしょう。また需要がある前提で、希少な商品はそのコストとはかけ離れた値付けがされる傾向にあります。

 

しかし世の中の原理として、どうも「事物は拡散する」らしい。事とは情報、物はモノです。情報拡散の度合いはインターネットの登場により加速しており、あらゆるものがすぐ陳腐化していきます。(モノの拡散は物理法則によります。)

 

グーグル検索1ページ目に出てくる程度の情報に依存していた上の後輩のケースは、まあ、、、あまりにもお粗末なケースですが、ビジネスの持続可能性を考える際にこの原理を文字通り中心に意識しなければ、待つのは淘汰への道であります。レナウンは逝きましたが、自分が一枚かむことでそこにどれだけの情報を付け加えているかを考えていない、もしくは価値のない情報に依存する有名企業はいくらでもあります。結果は「次はあそこが危ない」という世間の噂。

 

つまり、この感覚的に受け入れることが容易どころか、「何当たり前のこと言ってるの?」と反応されそうな原理をおざなりにしているのは後輩だけではありません。あらゆるものの利潤率もしくは投資利益率が下がって行き場を失ったカネが余っている背景には、この事物が拡散するという原理があることは間違いありません。

 

私の会社のように特定の商品がその存在理由とイコールになっている場合ではなおさら情報の取り扱いには注意しなければならない。情報は出さなければならないけれど、出し方には一ひねりが必要であります。せんじ詰めて言うと私の仕事はその一点に集約されます。。。得意げ

 

カメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメカメ

 

話が脱線しますが、「生産者がマーケット情報に疎ければ」という状況を放置して自分だけ儲けるというのは、生産者の自由のポテンシャルを搾取するということで宜しくない。いや、そんな難しいこと言わなくても、自分のビジネスに関わる人が川上から川下までハッピーになれるのなら、仕事もそこそこ楽しく感じられるのではないでしょうか。

 

話はさらに脱線しますが、私は「事物は拡散する」ことはギリシャの初期の哲学者が「万物の源は水である」といったのと同じ意味でこの宇宙の原理であると直感的に「信じて」おり、上のようにビジネスに関わる態度だけでなく芸術までをも含むありとあらゆる人間の活動がこの原理から生じていると考えます。

 

「信じて」いるとはつまり形而上のお話で、証明はできないかもしれない。ただ、メタフィジックスにフィジックスを統合することにより、多くの人が受け入れられる物語を作ることはできるかもしれない。

 

なお、拡散するのに何で秩序(例えば生命)ができるのかは大きな矛盾ですが、そこを考えた先人はいたようです。ただその人の書いた本難しい。。。凡人はここまでにして、この原理を信じ、自分の生を一層意味あるものにすることに精を出したほうがいいのかもしれませんガーン