いっそ首相公選制 | 自由への逃走

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投資ブログから、日々考えていること、読書で心に残ったことなどを記していく備忘録に変貌。

あぐです。

 

職場で安倍さんの辞任のニュースに接しました。私は少し前から政局のことはあまり気にしなくなっていたのですが、彼のことを好きだったボスが「しょせんは坊ちゃんだな」と切り捨てていたのが微笑ましかったです。

 

超長期だった割には成し遂げたことがはっきりしない政権でした。株価だって日銀が買い支えしてなければ全く違うレベルにあるでしょうし、むしろ後始末がもたらすリスクが怖いですね。失われた20年が30年になっただけでした。

 

安倍さんのやることなすこと全て肯定(もしくは否定)する人々の登場も気持ち悪かったです。政治とは違う次元の何か心理的な投影があったように思えます。

 

後釜がどうなるにせよ、政治制度そのものが終わっているので、これから更に落ちるところまで落ちていくのでしょう。

 

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だいぶ前から野党が再編しようとしておりますが、本人達も周りも「政策で一致しなければ」などと言っているのを見て、こちらもどう転んでも期待はできないなと。

 

これだけ各個人が多種多様な価値観を持つ時代において、いまさら構成員が或る政策パッケージを揃ってエンドースする巨大政党など原理的に不可能なのです。不可能なことをやろうとして失敗して、政治不信がさらに高まって。。。もういい加減に気づかないと手遅れになるイシューがでてくるのでは?

 

いつかはイシュー単位で考えを一致させるグループが幾層にも重なり合いながら一つ一つ課題を片付けていき、同時に国政で扱うべき事柄の再吟味を行い積極的に都道府県、市町村に予算込みで落としていくという作業が必要になるでしょう。

 

自民党の派閥は自民党という外皮があることにより、今まさにみられるように権力ゲームの単位となってしまっているのでこれとも違う。

 

いっそのこと首相を公選制にして、その人が提示する国家観を国民の大まかな意思のベンチマークとみなして、国会では個々の代議士もしくはそのグループがトピック毎に論を戦わせるようにしたらどうかしらん。