突然のお迎え | REGULAR BONUS

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31歳のダウナーな人による、 日々のREGULAR BONUSな瞬間…というかヤだなぁと思った瞬間とかを綴るブログ。

ご無沙汰しております、Restです。

 

随分間が空きましたが、これには理由がありまして。

前回のブログに記載の通り、11月15~18日にかけて東京遠征へ行ってきました。

その東京遠征編もまだ書き上げていないのですが、

そんな矢先、母方の祖母が亡くなったと連絡が入りまして。

本日(11月26日)、葬儀が終わったので報告というか、一つの日記として残しておきます。

 

 

母方の祖父が亡くなったのが18年10月16日(『家族葬』より)。

その数週間後、母から祖母が重度のうつ病だと聞きました。

昔っから、母方の祖父と祖母は仲が良く、『 アンタ、アンタ 』 言いながら祖父へ話しかけてました。

お袋がうちの実家へ嫁いでから30年ほどはずっと2人暮らしで、

それでも喧嘩したという話は聞いたことがありませんでした。

そんな祖父が亡くなり、徐々に自分を責めるようになっていったと聞きます。

飯も拒否するようになり、重度のうつ病と診断されたようです。

精神病院に半年以上入院しており、とにかく誰とも会いたがらなかったそうです。

俺も例外では無く、俺の話はしないでほしいと母に言っていたそうです。

 

病状がどれほど回復したわけでもないですが、ギリギリ痴呆症では無い為

退院させられる運びに。

俺も退院してからは2,3回しか会っていませんでしたが、

とにかくやせ細り全く別人でした。 数キロ先まで歩いてた少し前の面影はありません。

 

それでも、特に病状が悪化した等の連絡は無く、

11月21→22日の夜勤の休憩中、母から祖母の逝去の連絡が入ったので、

本当にまさかといった感じでした。

正直、あそこまで変わり果ててたので長くはないとは思っていましたが、

ここまで突然だとは予想もしていなかったので驚いたというより茫然に近かったです。

そこからは、朝になり上司が来たら報告したら

暗に2日間で戻ってこい的な発言や自分で交代できる人探せ的な発言をされて

今すぐにでも会社辞めてやろうかと内心ブチギレるなどいろいろありました。

紆余曲折あり、4連休くれてホッと一息。

 

 

通夜の当日、地元へ帰り、実家に車を置いて葬儀場へ。

先に母の妹一家が到着してました。

従兄弟長男君とは祖父の葬儀以来1年1ヶ月振りの再会。

こんなに早く嬉しくない再会を果たすことになるとは。

 

通夜が始まり、『 一生坊さんのソロパート 』 とか余計な日本語がよぎったりしつつ、

通夜は終わりました。

通夜後、祖母の顔を見ましたが、俺が最後に見た時よりまた更に痩せてました。

こんな小さくなってしまってという思いと、

こんなになるまで頑張って生きたんだなという思いが交差しました。

 

 

通夜ぶるまい。

寿司の中に俺が食えない事でお馴染みの生エビが。

 

 

俺 「 俺コレ食えないから。 」

 

従兄弟長男 「 嫌いなの? 」

 

俺 「 嫌いじゃないんだけど、唇がかゆくなって、呼吸がちょっとおかしくなるんだよね。 」

 

長男 「 マジでダメなやつじゃん。 」

 

俺 「 そうそう。 治ったかなーと思って調子乗って食ったら

   マジで苦しくなったからダメだと思う。

   コレ食ったら婆ちゃんに挨拶してくることになるから。 」

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

 

もう、こんな孫でごめんなさいとしか言いようがないですね。

 

 

この日はこの施設で一泊。

元々家族葬の施設であり、別室で数人泊まれるようになっており、風呂なども完備。

俺とお袋、お袋の妹・その夫・長男の5人が泊まりました。

 

しばし残り物を食い、各々風呂に入り、俺と長男君はテレビ見ながらしばらく喋ってました。

その中で、奴に彼女が居ることが判明。

しかも去年会った時点で居たらしく、おじさん聞いてませんけど!?ってなりましたね。

しかもしかも3年くらい付き合ってるとか言うから驚き。まぁもっとも、うちは5年半ですが。

 

その後、寝られないからと起きてきたお袋を交えてテレビを見つつ雑談。

月曜から夜更かしを親と従兄弟と、葬儀場で見る実績を解除しました。レアケース。

 

 

2日目。通夜当日。

寝たり起きたりであんまり休んだ気がしませんでした。

 

 

俺 「 なぜか知らないけど、従兄弟のお父さんに、

   『 ○○ちゃん(俺の呼ばれ方)、7時半だよ 』 って言われた夢見て、

   時計見たら5時半だった…。 」

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

 

葬儀の時間となり、隣の会場へ移動。

とにかく、この時が終わらないでくれと言う思いでいっぱいでした。

昨年の爺ちゃんの葬式の時、葬式では泣かなかったんですが、

棺桶へ花入れるのと出棺、そして火葬場で棺桶が入りシャッターが閉まった時…

これらで泣いたのをまだ鮮明に覚えているので、

正直あんなつらい思いをもうしたくないという一心でした。

 

葬儀も終わり、いったん控え室へ。

トイレから出ると、うちの実家の婆ちゃんとばったり。

来ることを聴いてなかったので驚きました。

爺ちゃんの時は、流石にお袋の婆ちゃんが存命だったので、

離婚した事もあるので来なかったですが、

今回は遺されたのがお袋だけという事もあり、来たようです。

元々喧嘩して離婚したとかではないので、

最近はお袋もうちの実家に飲みに来たりしてたようなので実現できた事です。

 

 

棺桶に花を入れる儀式。

やはり、思い出とか、後悔の念とか、そういった考え事とか全て飛び、

泣いてしまいました。

あれがどういう感情なのか分かりません。

悲しいとか寂しいとか、お別れとか、そういう事はもう考えてなく、

かといって無というわけでもない、不思議な感情です。

 

棺桶を霊柩車へ運び、火葬場へ。

最後のお焼香を済ませ、最後のお顔を眺め、合唱。

火葬室というのでしょうか、あちらへ移動し、シャッターが閉じられました。

この時もまた、自然と泣いてました。

 

 

再び葬儀場へ戻り、お斎。

食事をし、ある程度の時間で俺はお骨拾いの為離脱。

爺ちゃんの時は婆ちゃんが行ったので俺には声がかからなかったので初めてです。

僅か2時間余りで骨だけになった姿はなんとも耐え難いものがありましたね…。

4人で行ったのですが、頭を拾う人2人、体を拾う人2人で、

最初は頭を拾う人同士で菜箸の太い版みたいなもので骨を拾い、相手がそれを受け取り、

もう一人も同じように骨を拾い相手に渡す…と言う習わしがあるようです。

これは知りませんでした。

 

お骨拾いが終わり、お斎の会場へ戻り、しばらくしてお開き。

 

 

お袋の実家へ戻り、ほどなくして従兄弟一家も帰ったので2人きり。

その為お礼参りはお袋と俺で行きました。

 

 

もうちょい会ってあげればよかったなーと思いますが、

それ以上に手袋さんを元気なうちに会わせたかったなーという後悔がずっと頭の中をめぐりました。

婆ちゃんもすごく優しい人で…。

あの状態でも喜んでくれてたそうなので、元気な時なら絶対もっと喜んでくれたと思うんですよね。

ただ、お袋は存命中に一度でも会わせてあげられてよかったと語ってました。

状態いい時だったようですし、何より後悔を語り出すときりがないとの事で、

それもそうだなと思いました。

あんまり『元気だった頃に会わせてあげたかった』と言っても、

それも実際に会った晩年の婆ちゃんに悪いですしね。

爺ちゃんの逝去後、いくらもしないうちに重度のうつ病になり入院し、

退院後、4ヶ月かそこらで亡くなってしまった為、親戚でも最晩年に会った人は少ないそうです。

ギリギリで間に合ったと考えれば、当時そこまで深く日程決めたわけでは無いですが

いい方向に転んだのでは、と思います。

 

 

拙い文章というか、何が言いたいか分からない文章になってしまい申し訳ないです。

書きなぐったというか、葬儀の翌日なのでまだぼんやりしているというかなので。

 

今まで、本当にありがとう。