持ってる人と持ってない人のすれ違い。
いつまでたっても、人々は理解し合えない。
その原因がわかった気がする。
そもそも伝える人が、嫉妬という感情を持っていなかった。
持ってないから持つ人が全く理解できなかった
一方で、学ぶ人は、その感情を持たない人から学んだ。
学ぶ人は、伝える人がその感情を持たないことを知らなかった。
持たないようにと言われるだけで、その強烈な感情を克服するすべを教わらなかった
否定され押し込まれ、そっと嘆いた。
伝える人は平和の感情を知るだけで、嫉妬という感情を克服した経験はなかった。
経験がないことを教えることはできないのに、
そこにいつまでも気づかなかった。
学ぶ人が本当に知りたかったことは、嫉妬を克服して平和な内側になるためのプロセスなのに。
そして、お互いすれ違っていった。
一個人がその透明で頑丈な壁を破るにはどうやったらいいのだろう?
上から降りてくることはないから、下から突き上げるしかないのだろうか。