三省堂の「例解新国語辞典」(第七版第九刷・2009)をめくっていたら、
もの【物・者】 のところに、以下のような説明があった。
もの【物・者】
(名)日本語では、わたくしたちの目に映じ、心にうつるすべてを「もの」「こと」の二語でとらえることができる。「もの」は形のあるものや、形はなくても名詞で表せるものを表すのに対して、「こと」は、たえず変化してうつりかわっていく事象、すなわち動詞や形容詞で表すものをうけもって表す。
「もの」の表しかたは三種類にわかれる。第一は実在する「物」と「者」。第二は、ことばのうえで仮に立てる「もの」。第三は、判断の仕方を表す「もの」である。・・・
(改行は宝田による)
辞書編纂者が、辞書の本文でここまで書くだろうか、というほど、「もの」という言葉に対する愛にあふれている。
それじゃ「こと」の方には何が書いてあるだろうか。
こと【事】
(名)日本語の中でいちばん意味のひろいことばが、「もの」と「こと」である。見たりさわったりできる物体や物質は、なんでも「もの」といって表せる一方、人の心の中での思いや、もののなりゆきなどは「こと」で表しうる。両方あわせて「ものごと」といえば、自然や社会のありさまをふくめて、人間の心にうつるすべてを言い表すことができる。
と、こちらはもっと自論の開陳である。
「もの」も「こと」も、この後に詳細な解説が続き、別途囲み記事もあるもてはやしぶりで、
用法など、なるほど日本語を総合的に考える上で、大事な言葉だと、大学で国語を学んだはずの私も大いに得るところがあった。
だが、「もの」なり「こと」なりを、辞書で引いて調べたことのある人は少なかろう。意味を調べる以前から、あまりにも使い慣れ、使いこなしているつもりの言葉だからだ。
さて。
上記標準語では、「ものごと」で、森羅万象を言い表す、というが、
富山弁なのか、もっと広い範囲、狭い範囲で使われる言葉なのか、
ウチの親は「ものごと」を、「冠婚葬祭」の意味で使っていた。
盆正月秋祭り、結婚葬式や法事、子どもにまつわる祝い事など
「ケ」=日常に対する「ハレ」=非日常が、「ものごと」であった。
砺波地方の家々には、たいがい二間(ふたま)続きの座敷があって、奥には仏壇と床の間、
「ものごとうちですっときゃ、やっぱ二間続きの座敷ぐらいなけんにゃ」
というのが、このへんの「おやっさま」たちの常識であった。
8畳二間に、奥行き2尺の床の間を設けると、それだけで9.3坪である。
床柱に長押や天井縁など、本格的にしつらえると、大工費用もかかる。
ふすまや障子など、建具も「見せどころ」として凝りたくなる。
和室は汎用性がある、とはいうが、
全体で35坪とか40坪とかが「標準的な新築」といわれる時代に、
もはや二間続きの和室など、とてつもない贅沢であり、
高気密高断熱計画排気の現代の家づくりから見れば、罪でさえある。
ただ
家は何のためにあるのか
寝に帰る場所である、とともに
子どもが育つ場所、
年寄りが死に直面する場所でもありたい
本当の意味の
「ものごと」ならば
やはり、外に持ち出すのではなく
家の中で完結するのが理想ではないのか、と