悩めるおねいさん | 三丁目の庶民

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ジョークは爆弾低気圧くらい寒いです。

 東京K坊主「悩めるおねいさん」

 

 私が勤務していた東京支店は、むさいオッサン上司とパートのおばちゃんしか居なく、若者が求める「ろまんちっくな出会い」なんて1ミリたりとも有りませんでした。

 

 しかし、今もあるかどうか知りませんが取引先に、結構大手の旅行会社でいわゆる「統括リーダー」的立場の女性が居ました。

 しかも彼女は当時の私と同い年、なのに毅然としたその雰囲気は「キャリアウーマン」そのものだったのです。

 

 同い年でも彼女にはタメ口で話すことはできず、弟分的な位置でいつも接していたのです。

 

 ちょうど昼食時にさしかかろうとして、茅場町にある彼女のオフィスに向かったら、一人で彼女が出てきました。

 

「あれ、Tさん(彼女の苗字)、どっか行くンスか?」

「うん、、独り寂しくランチってとこ」

「ちょうどいいや、オレも昼飯まだやから、なんなら一緒に行きません?」

 

 こんな感じで彼女とちょくちょくランチを共にすることが多くなりました。

 

 そんなこんなで、東京では全く女っ気が無かった私にとっては、唯一の同世代の女友達レベルまでの付き合いになっていったのです。

 まあ全く下心など無い、健全な友達付き合いだったのですけどね。

 

 ある日、彼女から連絡が来て

「ちょっと相談にのってほしい、できれば早いほうがいい」

と、電話越しでも解るような真剣な口調で言ってきたため、ちょいと静かな小洒落たバーで会うことにした。

 

 事の内容は

「今の彼氏と結婚して退職しようか、それとも別れて仕事を続けるか」

ということだった、ふむ、、、

 ここで私は、未だに忘れる事の無い、我ながら超キザなアドバイスをしてみた。

 

「Tさんの詳しい事情は解らない、けど、10年先の自分を考えてみてよな、その時の「幸せ」な状態を創るため、「今、それに向かえ想像できる将来への行動」を選べば良いと思うぜ」

 

 それから数ヵ月後、Tさんは退職していった。

 その直後、同じく東京を退職して岐阜に都落ちした実家にTさんから

「結婚しました!」という葉書が届いた。

 そしてその片隅に、彼女の手書きで

「私は家庭や子供を持つ幸せを選んだよ、Kさんもがんばってね、ありがとう」

と書かれていました。

 

 キザなカッコツケなことが大の苦手だった私なのに、意外とマトモなカッコイイこと言ってたんだな、てか、何か青春ドラマみたいやん!

 などとしばらく自己陶酔に浸っておりました。

 

 若かりしころの、ほんのちょっと大人びた青春の出来事でした。

 彼女も今や46才か、どう過ごしているかナァ。。。

 

 

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