オーストラリア在住なのでオーストラリア生まれの私の子供たちは当然オーストラリア文化の影響を強くうけています。表情や表現力が豊かになり物事をはっきりという。逆に家庭ではこちらにはあまありない日本や韓国によくある暗黙の了解や社交辞令、謙虚さなどを教育することとなります。とにかく細かく言えばきりがないですが我が家は文化に関してはごちゃごちゃ状態です。

 

日本や韓国のテレビ番組(ドラマやバラエティー)なども家族で見るので私たちの時代と違った現在の日本や韓国の変化などについてもよく話をします。

 

私がオーストラリアに移民したのは15歳、主人は21歳だったと思います。私たち夫婦はお互い家族移民だったのでオーストラリアに移民しても日本人の両親のもと、主人は韓国人の両親のもとで過ごしていました。どちらの両親も移民をするぐらいですからインターナショナルな考え方も持ち合わせ視野が広めの両親だと思います。まさに今でいうグローバル家族。しかし驚くことに譲れない文化というのも根強く残っているわけです。しかも学校に行けばオーストラリアの文化を学ぶのであって、同年代の日本人や韓国人の影響は全く受けない状態にあります。つまり大袈裟に言えば「日本と韓国の文化=親の教えから学ぶもの」となるのです。当時は携帯はもちろんネットも普及していなかったので日本や韓国の入るニュースの量は限界がありました。1年に一度、日本や韓国に遊びに行った時に変化に驚くぐらいです。

 

つまり年齢からみても私はどちらかというと昭和の日本人、主人は昔の韓国人状態で止まってしまっている。そういった点でも長期海外在住者の中には意外にも自国の昔の文化を引きづっている方々が結構いらっしゃいます。(現在の母国は全然違ったりすることも多いのに…俗にいう浦島太郎状態)もちろん中には移民した国の文化に寄り添いほとんど自国の文化をあまり気にせずおおらかに生きている方々もいらっしゃいます。

 

つまり私たち夫婦も国際的考えを持ち合わせながらも良かれ悪かれアジア的な古い面も持ち合わせているのです。しかし自分のアイデンティティを問われれば私たち夫婦は簡単な方でしょう。私はやはり日本人、主人は韓国人という意識を持てるからです。もちろん私も主人も若い頃からオーストラリアにいるのでオーストラリア文化にかなり馴染んで、普通の日本人や韓国人との違いはかなりあるのも事実ですが...(汗)

 

そこで本当の意味で異文化で育つ子供たちの意識は私からみても不思議な感じです。今ではオーストラリアへの移民人口も増え、娘や息子と同年代の日本人や韓国人、他のアジア人も増え、さらに日本人xオージーハーフ、韓国人xオージーハーフも増え、ネットも普及し多くの情報もいろいろ入る中、比較的古めの日本人、韓国人の両親のもとで育つ私たちの子供たち。

 

話が長くなりましたが、まずは今まであまり話してない韓国人と結婚するとどういった異文化を感じるのかのお話からはじめたいとおもいます。

 

 

■結婚1年目、驚いた韓国の家庭で行う法事的なイベント■

 

 

上記の写真は「茶礼(チャレ)」という日本でいう法事的なものです。主人のご両親が子供たちが全員結婚後、韓国とオーストラリアに半々に住むようになり、久々にオーストラリアから私たち家族と主人のお兄様ご家族が韓国の主人の実家に訪れた時の写真です。当時ちょうど秋夕(チュソク)という日本でいうお盆にあたり、韓国の法事「祭祀(チェサ)」を簡易化した「茶礼(チャレ)」という儀式を早朝から行いました。

 

オーストラリア在住の主人のお兄様ご家族と私たち家族が休みがたまたまあうことができ、早々韓国に全員が集まることは難しいということで、主人のご両親が子供たち4人のために韓国の伝統衣装をわざわざ用意。サイズも子どもの時なので、この時たった一度袖を通しただけで未だに家の奥にしまったまま。もったいないですけど主人のご両親は孫たちのこの姿がかわいくてしょうがなかったんでしょう。

 

その後はお墓参り。こちらも韓国では通常で茶礼の後に一家揃ってお墓参りに行きます。

 

 

まあ韓国でこの儀式をやるのは文化なので私も理解しますが、実は主人のご両親、ゴールドコーストの家でも毎年、この祭祀(法事的な)と秋夕(お盆のような)の茶礼、そしてお正月・・・3回必ずやっていました。その度に長男の嫁(韓国人)と次男の嫁(私)は早朝から食べ物を作る手伝い(この儀式専用の食べ物があります)韓国から持ってきた茶礼床のセットアップをし(ご先祖様へのお供えもの用の食器から一つ一つ磨かされます)そして後片付けまでをお義母様を筆頭に女性群の仕事として行います。(お義母さまは前日から準備しているのでもっと大変ですけど)男性はほぼ何もせず、お義父様と長男さんは単純に食べ物の配置などを確認し、儀式が始まると先頭に立つだけです(苦笑)

 

結婚した当初は何もかもが初体験でして、

「わ~大昔の日本じゃん」

「まさに男尊女卑でてる~」

「オーストラリア来てまでこんなことやるの?」

なんて思っていました。


そして何もしない旦那に小言をいうと

「男が台所に立つと男の大事なところがなくなるって育ったからな~」
私・・・「はぁ?!」呆れ気味。


主人のご両親は人種差別もなく日本やオーストラリアのいいところも理解し、韓国の長所や短所も理解し、オーストラリア生活にも馴染んでいましたがこれは譲れないということでした。

 

よくよく考えてみると移民された日本人の方々もお盆にはお墓参り、七五三やひな祭り、成人式などもやりたいと思う方多いですしね。たまたま韓国はちょっとイベントが面倒な過程を踏むだけであって、やはり主人のご両親にっとっては半世紀以上続けているこの儀式を怠ったらご先祖様に申し訳なく、心が痛いということになるのはその文化で育ってきた以上、お気持ちはお察しします。

 

ただ結婚当初は韓国語もほとんどわからず、見たこともない食べ物の作り方もわからず、儀式のやり方も全くわからず悪戦苦闘していたという私の苦労を主人は全然わかっておらず・・・(ここが一番問題!!)

 

当時の主人は

「俺が韓国にいたときはこんなシンプルじゃなかったよ。料理だってすごい種類と量だし、親戚一同集まるし、オーストラリアに来て簡単に行ってるからお前ラッキー、ラッキー。韓国に住んだらすごい仕事量だよ~」

私は

「はぁ~簡単っていっても私は日本人!」さらに呆れ気味の私。


ここ10年は年齢もあり、主人のご両親は韓国に戻ってしまい(言葉や娯楽、食べ物や便利さを考え)お手伝いすることはなくなりましたが(たまたま時期に重なった場合に韓国へ行けばお手伝いしますが)今思うといろいろと勉強になったとつくづく思います。文化は肌で感じないとわからないものなのかもしれません。

 

現在21歳になる娘は小さい時から主人のゴールドコーストの実家でこれを経験してるので「韓国はこういうもんだ」と思っています。息子は記憶がないのでまた韓国でこれを行ったら異文化に感じるでしょうね~。幸い男性なのでイベントでの働く苦労はないですけどね(苦笑)

 

おかげさまで毎年お手伝いをしたおかげで習った韓国のお料理は今でもおいしく家族で食べています。そして当時主人よりも大変さを理解してくれたお義母様にやさしくしていただいて大変感謝です。自分もお嫁に来て苦労したからと・・・

しかし当時は英語が苦手なお義母様と韓国語が苦手な私では言葉があまり通じなかったので、気持ちは通じても歯がゆさがお互いあったのも事実だと思います。言葉と文化の違いでよくわからず、私もまわりの状況をみながら「こうしたほうがいいかな?だめかな?」などと精神的にも疲労困憊でした。

 

幸い、私も昭和人間なんで主人の実家を訪れた際には、ご両親を敬うのも当たり前、料理も掃除も当たり前、反抗しないのも当たり前と思っている世代なので(正確にいうと私の両親の世代の教え)何とか乗り越えたのかもしれません。それでもあちらのご両親からすれば若かったのもあり、文化の違いもあり、至らない点も多かったと思うのでかなり大きな心で見守ってくれていたことは想像できます。


若気の至りと言えば主人も同じで・・・

今では私の男女は平等、人間は平等の力説を聞き、さらにはオーストラリア文化の影響をうけ・・・

「今考えれば文化も言葉も違い、俺の両親がいるだけでも気を使うのに大変だったよな~」

「当時は女はそういうもんだ、それが当たり前で育っているから何が大変なのかわからなかった。男ってアホだよな~俺のお母さんも苦労してるってことだよな。」

私・・・

「私の世代なんかより、あなたのお母さまの苦労は私の苦労と比べるのも恥ずかしいぐらい大変だったと思うよ。昔の韓国の文化だし、お姑さんいじめたらいからね~」


まあ主人も遅いながらも理解してくれてよかったですけどね~。若い頃は文化の違いで喧嘩をたくさんしたので喧嘩の効果があったとポジティブに考えています(大汗)この喧嘩の内容を聞いてる子供たちも異文化について無意識に学んでるんだと思います(苦笑)