刑法における詐欺罪の有名な論点に,「自己名義のクレジットカードを,引落日に引き落とされないことを予見しながら,当該カードにより支払いを行った場合」というのがあります。これは,(1項であれ,2項であれ)カードを利用した時点で詐欺罪が既遂となると理解されています。したがって,例えば,カード利用日が9月10日で,引落日が10月11日だった場合,9月10日に詐欺罪は既遂となるのです。

このとき,刑法の授業などでは,次のようなおまけがついてきます。すなわち,「その後,9月20日にたまたま宝くじが当たり,10月11日にはちゃんと満額引き落とされた場合に,詐欺罪の成立に影響を与えるか?」です。そして,この問いに対して望まれる解答は,「影響を与えず,詐欺罪は成立している。なぜなら,カード利用日である9月10日が既遂時点であり,9月20日の宝くじ当選,10月11日の引落しは,犯罪成立後の事情であり,犯罪の成立には影響を与えないからである」というものです。

 

これは考えてみれば当然のお話です。まず理論面からみて,犯罪の成否は犯罪結果発生までの時点において判断されるのであり,その後の事情は犯罪の成否には無関係な事情となるのです(これが,いわゆる行為責任原則です)。例えば,人を刺した時点での故意や正当防衛などが問題とされるのであり,刺したときは熊だと思っていたが,その後死体をよく見たら人であり,その死体を確認したときに「どうせこいつを殺したかったんだし,いいや」と思ったところで,殺人罪にはならないのはいうまでもありません。

また,実際面からみても,「原状回復ができるのであれば犯罪とならない」というのでは,かなり危険です。もしこれを許せば,天才的な外科医は,「自分で傷口を塞げるから」と,通行人を通り魔的に次々に切り付けていくことができます。もし犯罪後の事情を加味できるのであれば,この場合,この外科医は「無罪」にならざるを得ません。しかし,それは我々の法感情としても耐え難いものでしょう。道行く人がすれ違う他人を天才外科医かなど知り得ない以上,常に犯罪におびえることになります。

 

これは,賄賂罪のような国家的法益に対する罪や危険犯に対しても同じことが言えます。もし,賄賂が発覚したのなら,その金品等の授受から発覚までは,公正な公務は危殆化されており(つまり,金品で公務は歪められる危険にさらされており),その後に当該金品が返還されたからといって,金品授受から発覚までの間の公務の公正さに対する疑いが払しょくされるわけではありません。時計の針は戻らないのです。

 

これは,原状回復のための損害賠償を否定するものではありません。むしろ,それらは時計の針が戻らないことを前提に,ある種のフィクションとして「本来あった形」に戻そうとするものです。したがって,これは「本来あった形」そのものではなく,それに見せかけた「似非」であることを肝に銘じておく必要があります。


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