いつの間にやら7月も最終日になってしまいました。どうもブログから遠ざかってしまっており,どうしたものかと思わないでもありません。

そのような中で格好の素材が出てきたということはいえます。それは医師がALS患者に対して嘱託殺人罪(刑法202条)を犯したというものでした。これを機に「安楽死・尊厳死の議論を進めるべきだ」のようなことが言われていますが,これは,これまでの学術的な議論をまったく踏まえていないというそしりを受けるでしょう。これまでも,私が知る限りでも,医事法学や刑法学で議論がされてきており,教科書レベルですら記述があります。

 

この議論を進める上で絶対に外せない点がいくつかあります。それは次の諸点です。つまり,①安楽死はあくまで病苦が甚だしいために,その病苦の継続と死を比較衡量しているということ,②尊厳死は,「人間の尊厳」を保障するという前提があること,③わが国には「姥捨て山」(口減らし)文化が過去に存在していたこと,④あくまで当事者の合理的計算が前提にされなければならないのに,他者からの圧力やそもそもの苦痛ゆえに合理的な判断がなされている保障がないこと(なのに,死んでしまったら取り返しがつかないこと)などです。これらの諸点に対する配慮なしになされる言論は,議論の土俵に登れていないということを言わざるを得ません。

しかし,こういう事件でさもモノを考えているかのように「議論せよ」という人たちのほとんどが,こういったすでに積み重ねられている議論を踏まえていないというのは,非常に象徴的ですらあります。要するに,こういった状況でそういう安楽死や尊厳死をさも議論がされていないようなことをいう人は,そもそもにおいてこのデリケートな問題について勉強していないし,同時に「人を殺してみたい」だけなのではないか(それは翻って,誰かを「殺す」ことで,自己の「優位性」を実感したいだけなのではないのか)というニュアンスすら感じさせます。デリケートな問題について,デリケートなアプローチをかけられていないということが,すでにこの問題に対する姿勢を表しています。

 

本稿で私見を述べることはしませんし,それこそ刑法の教科書でも見れば,一定の知見は得られます。むしろ,我々は,この機に「人は勉強していない」ということを直視すべきでしょう。そして,「勉強していない」人のその時の意見にどう向き合うかこそ考えておくべきであろうと思います。


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